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★あらすじ
モルグ街の殺人事件の続編。
『モルグ街』のレスパネー夫人とその娘の惨殺事件を、卓越した推理で解決し、
パリの当局からも賛嘆された、陰鬱な勲爵士デュパンが、
今度は、二年後のマリー・ロジェ殺人事件の
真相に迫るべく頭脳をフル回転させる話である。
マリー・ロジェは、今でいうとデパートの一階にいるような美貌のカリスマ美容部員である。
彼女はある日失踪する。
一週間後に彼女は叔母の家に居たとして、戻ってくるが、その五ヶ月後に、再び失踪。
今度は、セーヌ河に腐乱死体となって発見される。
被害者の美貌もあいまって事件は、新聞で派手に報道される。
上流の森の中に、彼女が暴行を受けたと思わしき、
いろいろな遺品やら状況証拠が見つかり、彼女は
複数のならず者によってなぶり殺されたとされるが、
多額の懸賞金がかけられても犯人は見つからない。
パリジャンはもともと警察が嫌いなので
事件がいつまでたっても解決しないことで
警察への反感が一気に高まり、暴動まで起こり、
世論は、この事件を社会問題にしはじめる。
何人か容疑者が出るが、皆証拠不十分で次々と無罪釈放される。
威信が危殆に瀕したパリ警察はデュパンに白羽の矢を立てる。
デュパンは、警視総監から証拠物件に関する講義を一晩聴き、
それからやおら、あらゆる新聞報道を隈なく読み、検死結果や物証、
そしてマリーのアリバイに関する捜査や報道の誤謬を次々とあげつらい、
アームチェア・ディテクティブによる科学的な検証を行いながら、
新聞報道の先入観によって作り上げられた犯行状況に反証を挙げ
まったく別の状況を再構築する。
その結果、事件は、複数による犯行でなく、単独の犯行であると
デュパンは断定する。
さらに、真犯人は、事件を複数犯によるものだと印象づけようとする
大量の投書を、一般市民に擬して各新聞社に宛てて送っており、
捜査かく乱行為までしているような、知能犯であることを、
新聞の投書を読み込むだけで、デュパンは見破ってしまう。
その犯人は……たぶんあの人。
っていうか、推理だけしまくって犯人はつかまらず完。
★感想
メアリー・シシリア・ロジャース殺人事件という実際の事件を元に
作られた推理小説だと、冒頭に書かれているが、
それが、ポーの気の利いたブラフなのか、事実なのか、
そこまで調べてないので、最初はよくわからなかった。
まあ、ネットで調べてみると、アメリカで起こった実際の殺人事件らしく、
ポーは、その事件の舞台をパリに移して、創作したらしい。
ちなみに、この小説の研究書はいくつも出されている。
読みどころは、新聞報道を手がかりに推理していく際の、
デュパンの偏執狂ともいえるような数学的な思考の過程である。
ただ、個人情報保護法よって、マスコミ報道が制限され、
DNA鑑定によって、捜査の精度があがった現在では、
こんな複雑で、野暮ったい推理を駆使されたら、私は困惑するだろう。
それでもやはり、読んでいて、興奮させられる思弁的な面白さがある。
推理小説のなぞ解きの面白さとは別の評価として、この小説は、
語り手の私に、ひたすらデュパンが推理を弁ずるという構成によって
登場人物の自意識の相対化がなされている。
つまりは、語り手とデュパンが、合わせ鏡のように一対となり、
その反射の中で、二人の自意識が消失して
事件をそのまま客観的な主題にすることに成功している。
つまりは、批評を作品に組み込んだ実験的構成が創作されている。
この実験の成功は、やはり文学史に多大な影響を与えていると思う。
そして、マスメディアが無意識に捏造する先入観に対してメスを入れ、
付随的で興味深い細部から、その背後にある事実を探り当て、認識論的布置を、
ひっくり返していくという仕掛けによって、ポーは作品にその時代を反映させた。
うつろいやすい現代性(モデルニテ)、それは、当時のマスメディアあり方である。
たとえば、新聞投書が、世論を誘導しているという設定には、批評的先見性がある。
これは、新聞広告を、事件の解決に用いた『モルグ街』の先見性に匹敵する。
そんなこんなで、この推理小説は、アームチェア・ディテクティブものの古典である。
ちなみに、新潮文庫の佐々木直次郎訳より、丸谷才一訳の方が読みやすいと思う。
ポオ小説全集 3 (創元推理文庫 522-3)
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