信州読書会 書評と備忘録

世界文学・純文学・ノンフィクションの書評と映画の感想です。長野市では毎週土曜日に読書会を行っています。 スカイプで読書会を行っています。詳しくはこちら → 『信州読書会』 
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2013年07月25日

あぶく銭師たちよ! 昭和虚人伝 佐野眞一 ちくま文庫

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「プチプチプチプチプチシルマ〜♪」ってご存知だろうか。
ゴールデンのCMで志村けんと研ナオコが出てるやつです。


あれっておもいきりネットワークビジネス、つまりマルチ商法まがいです。
最近はちらほら店頭販売してるけど、2年前ぐらいは一切店頭販売してなくて
怪しい個人代理店を通して50粒20000円とか、そんな感じの法外な値段で取引されてた。
以前に、私はプチシルマ体験会に連れて行かれて、ひどい目にあった経験がある。



体験会とは名ばかり、ベンツやシーマが並ぶ郊外の掘っ立て小屋で
ホストみたいなチャラいギャル男がサクラでいっぱいの異様な会場内。
「今日は新規3名です」ってひきこもりの学生みたいな人が無理矢理連れてこられてて
サクラの野郎が演じるインチキな体験談や与太話をえんえん聴かされていた。



例えば、ゲルマニウムのネックレスを巻いたレモンが半年腐らないよ、とか
体の重心が安定して血流がよくなるとか、胡散臭い実演を交えて説明され
挙句の果て、プチシルマの原料であるゲルマニウムの宝飾品を買わされて
さらに、お友達にも売るとお金が一杯入ってくるよという
ネットワークビジネスの勧誘で終わる。
これでは私は、去年1千万稼ぎましたよ! とギラギラした顔でおっさんが説得してきた。
彼がラスベガスで豪遊している写真まで見せられたので、走って逃げました。泣きながら・°・(ノД`)・°・


この体験会で最初に観せられたのが、「ズバリいうわよ!」で放映された


細木数子と渡哲也のトークである。
渡が最近ゲルマニウムブレスレットをつけたら体調がいいと、
細木に勧め、「私も欲しい〜どこで売ってンの」と細木が応えるシーンのビデオ。
番組進行に何の関係もなく、広告的ヤラセとしか思われない一連のやり取りだが、
これが志村のCMとともに、体験会でゲルマニウムの効用の権威付けに使用されていた。


さて、昨今の細木ブームとその後を追う週刊誌の細木バッシング
その先鞭をつけたのが御大、佐野眞一の「あぶく銭師たちよ!」である。


実際、初期の細木バッシングが週刊文春で掲載されたときに引用されたのは
本書所収の「大殺界の怪女・細木数子の乱調」というレポートだ。
これは初出が1987年8月号の文藝春秋なので、かなり早い時期の取材だ。



細木の生い立ち、その家系の複雑さ、闇社会との関係、島倉千代子事件、安岡正篤事件、
墓石屋、仏壇屋との霊感商法まがいの癒着などを暴き立てていて、その筆誅は今なお新鮮。



個人的には細木が三十歳くらいの頃、詐欺紳士に騙されて
十億の借金を背負った話が面白かった。
結局、修羅場をくぐった人間の人生相談であって、彼女のは占いじゃないよ。


ゲルマニウム商法の広告塔も買って出るのだから、彼女の闇の深さは測りがたい。
現在のTVの持ち上げようは罪深い。たぶんサッチーのときより罪深い。
その裏で若者に被害者を出していることを知るべきだと思う。


「プチシルマ」の製造元である株式会社レダと細木のつながりを
暴露する記事があったら読みたいです。


いずれにせよ、私をマルチ商法から守ってくれた一冊なのでお薦め。



あぶく銭師たちよ!―昭和虚人伝 (ちくま文庫)




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posted by 信州読書会 宮澤 at 10:08| Comment(0) | TrackBack(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

海辺のカフカ 村上春樹 新潮文庫

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カフカという少年が、「父を殺し、母と姉を交わる」という父の予言から抗うために旅に出る話と
少年時代に戦争中疎開先で一切の記憶を失ない、文盲となり、
星野青年と旅に出る中田さんという老人の話がパラレルに語られ最後に集束する作品。


村上春樹の作品は、私は半分くらいしか読んでない。
重要な作品である「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」「ねじまき鳥クロニクル」は
途中で挫折した経験がある。
しかし、「国境の南 太陽の西」は一気に読んだ。
これだけ、毀誉褒貶の喧しい作家もいないが、私にとって一番の問題は


登場人物の関係がフラットで、セックスや恋愛を通して描いた人間関係はともかく、
それ以外の人間関係を描いた部分に厚みがなかったり、
魅力がなかったりするところだろう。そこがいつもネックになる。



その点で「海辺のカフカ」はソフォクレスのオイディプス王を下敷きにしているとはいえ
なんとか家族関係を描こうとしているので、新鮮だった。
それ以上に新鮮だったのは星野青年と中田老人の関係を見事に描いたことだ。



それにしても、様々な作品が引用される。
マクベス、坑夫、流刑地にて、大人は判ってくれない、源氏物語、菊花の約、ヘーゲルetc.
その他、登場人物の聴くロックやクラシックのナンバー。


これら以外で、私が参考、引用しているなと思った作品名を挙げたい。



まず構成だが、「世界の終り」と同じパラレルストーリーは、
フォークナーの「野生の棕櫚」を思い出させた。


少年が森に行って背の高い兵隊と低い兵隊に出会うのも
「野生の棕櫚」の脱獄囚の話を思い出させる。



少年が森に入って、持ち物を捨てて、森に溶け込むのは、
フォークナーの「熊」に同じ場面がある。


四国の森は大江健三郎の「万延元年のフットボール」以降の諸作品。



中田さんが会話する「入り口石」 その沈黙する石は、
パウル・ツェランの「ことばの柵」所収の「ストレッタ」のテーマ。


ユダヤ人強制収容所アウシュビッツの入り口の白い石。
佐伯さんが落雷にあった人のインタビューをまとめた本を出版したのは
「アンダーグラウンド」を書いた作者自身の体験を織り込んだもの。



勝手な推量だが、創作において以上の点は参考引用にされているのではないかと思う。



そもそもオイディプス王のテーマが中心テーマにして、これだけの作品を引用し作品世界を創造し、
なおかつ、少年犯罪や猫殺し、集団ヒステリーなどキッチュな話題も交え、
神話の予言を変則的な形で成就させて小説を終わらせた手腕は巧みだと思う。



私が、特にこの作品で楽しかったのは、星野青年が出ている章だった。
カフカ少年の話は教養小説(主人公の成長の物語)として読めないが、
星野青年だけは確実に小説内で成長してゆくので、
ここだけは教養小説的な読み応えがあった。
この脇役に読了したこれまでの村上作品で感じたことのない親近感と興奮をおぼえた。



オイディプス王のテーマが入っているので、
最初から都合のいいファンタジーが物語の展開上入ってくるのは止むを得ないが、
必然性のないセックスが適当に織り交ぜられるのは、
いつもの村上作品にも感じるが下世話な感じがした。
疎開先の女教師のヒステリーの原因とか、書く必要ないんじゃないかと思う。


それでも、星野青年以外の登場人物は全くもって好きではないが、
構成的には読ませるし、先を読みたいと思わせてくれるだけで
幸せな読書体験が得られるお薦めの作品だ。

野生の棕櫚 (新潮文庫)

万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)

熊 他三篇 (岩波文庫)

パウル・ツェラン詩集



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posted by 信州読書会 宮澤 at 10:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

予告された殺人の記録 G・ガルシア=マルケス 新潮文庫

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バヤルド・サン・ロマンとアンヘラ・ビカリオの結婚が前日でキャンセルになる。
理由はアンヘラが処女ではなかったからだ。
彼女の双子の兄は、妹と家名を辱められたとして、
サンティアゴ・ナサールを殺す決意をする。
その殺人は、街のすべての人に予告されていたが、白昼堂々とナサールは殺される。


街中の人々の証言で、この不思議な事件の真相が明らかになる。
実際にナサールが、アンヘラの処女を奪ったかどうかもわからないのだ。
真実が迷宮入りする中で、この街の土着的な風習や文化も明らかになる。


その後のバヤルドの失意の人生が綴られ、アンヘラは彼に手紙を送りつづける。
はたして、彼は再びアンヘラを迎えに来る。


彼女から受け取ったが、封の切っていない2千通の手紙を持って。
(この部分のエピソードが唯一面白かった。)


五部構成となり、モザイクの如く入り組んだ複雑な小説で、
実際の事件を元にしたルポタージュ的な作品である。


マルケスの作品では、短くて読みやすいのでお薦め。

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posted by 信州読書会 宮澤 at 10:04| Comment(0) | TrackBack(0) | ラテンアメリカ文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

サド公爵夫人・わが友ヒットラー 三島由紀夫 新潮文庫

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「サド公爵夫人」について
澁澤龍彦の「サド公爵の生涯」中公文庫に刺激されて書き上げられた戯曲。
サドが出てこないというミステリー仕立てで読ませる。




「わが友ヒットラー」について
ヒットラーのレーム事件を題材にした戯曲。
国民の支持を、幻の中道政治にとって取り付け、
そこから国家総動員体制に象徴されるファシズムを剔抉するためには、
極右分子突撃隊のレームと、党内左派シュトラッサーを粛清しなければならなかった。


死の商人クルップが、官邸バルコニーでのヒットラーの演説を聴いてこう漏らす。


『あの人の演説は、表側から聴くよりも、裏側から聴くほうが味がある。
よいプリマ・ドンナの歌は裏側へまでひびくんだよ。』

三島事件の演説を思うと皮肉な台詞である。


戯曲中の「アドルストの鼠」の挿話は創作で、三島の面目躍如といった巧みさが光る。



「サド公爵夫人」は翻訳されヨーロッパでも広く上演されているらしい、
普遍的に受容される卓抜な構成を備えている。


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ラベル:三島由紀夫
posted by 信州読書会 宮澤 at 10:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

暗室 吉行淳之介 講談社文芸文庫

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吉行淳之介というのは短編小説やエッセイが主な作家で
私小説の枠組みを外すことがないので
長編小説は、短編の連作のようなものが多い。
作品群も人間関係の機微に関する達人いう趣があって、
エッセイに延長のみたいで
その点で、作品評価を貶める結果になっているのは残念だ。


感覚に根ざした自己規範が強い作家なので、
作品の深化があっても、転換がなかったのは確かだろう。
高度経済成長の中で文学も政治も制度化していく中で
個人の感覚を楯に、果てしない撤退作戦をしていた感じがする。



私は現在28歳なのだが、改めて「暗室」を読み返して
こういう一節に目がとまる


『たとえば、十五年前私は二十八歳で、自分がすっかり年寄りになったと感じていた。二十二歳の娘とは、不釣合いで交際する資格がないという気持ちだった』

なるほど。と思う。
身につまされる気もするが、こういう言葉に反応する姿を、人に知られたくない。
作者と心の恥部を共有しているような錯覚をおこさせる。
なので、吉行ファンが近くにいると鬱陶しいだろうなと思う。


吉行の作品を最初に読んだのは20歳くらいのときで「砂の上の植物群」だった。
文章もぎこちないし、展開もないし、低レベル作家だなというのが印象だった。
25歳くらいになってエッセイや、対談に触れる機会があり、端的にいってハマッた。
こつこつ文庫を蒐集して40冊くらい持っている。
最近は、たまにエッセイを読むくらいだ。一度読んだものでも楽しめる。



さて、話を戻して「暗室」だが、別に暗室の中の女がどうだという話ではなく、
不可解な女に惹き付けられる主人公の心の揺れがこまかく描写され、
たまに詩情のある挿話が挟まれるだけ作品だ。



「暗室」モデルの女性の暴露本が出たが、その中の吉行はグロテスクで読後感が悪い。
私は未だに気づかないが、いつか、吉行作品のいびつさを感じとれるようになりたい。

暗室 (講談社文芸文庫)



追記

35歳になってこの自分の感想文を読んでみて
恥ずかしいなあというおもいでいっぱいです。


人生というのは自分で納得できるほど単純ではないなあと
30半ばになってわかり、謙虚になりました。




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posted by 信州読書会 宮澤 at 10:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

南回帰線 ヘンリー・ミラー 講談社文芸文庫

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郵便局に勤める主人公が…とはじめようと思ったが、
あらすじはまとめることが無理なのでやめようとおもう。



どこから読んでもいいと思うし、もしかすると読まなくてもいいと思う。
セリーヌはどんな膨大な長編小説でも全部三回書き直したらしいが、
ミラーも書き直しくらいしてると思う。
何回書き直したかは知らないが、もし仮に書き直していないにしても、
読者が途中で飽きないように10分の1くらいに削ってくれたとは思う。
そういうサービス精神にあふれた作品ではなかろうか。


小説であり、日記であり、妄想であり、思想書であり、読書感想文でもある。
唯一戦争体験の話が出てこないだけであった。
ミラーは古今東西のあらゆる名作を読んでいて、
「悪霊」のイヴォルギン将軍に触れたりするところが、私の琴線を刺激する。



あとがきに人間讃歌の書とあったが、そうなのだと思う。
どんな人間に対しても同じ目線で向き合っている気はする。
日本でいえば金子光晴に近い。パリつながりで。



話は変わるが、最近題名にひかれて本谷有希子の「生きているだけで、愛」を読んだ。
この題名は、ミラーの作品にふさわしいと思う。
残念ながらこの作品は、無意識の人間讃歌ではなく
なにやら、なげやりな自己肯定に終わっているが。


煮詰まった無職の作家志望の人にお薦めの作品。


なるべく喧騒の中で読んだ方がいい。


子供が騒いでいる昼間の郊外のマクドナルドがふさわしい。
そんな環境で集中して、一日二時間くらい読めば、一週間で読了する。


読後は、うるさいガキをいとおしい眼差しで眺めることができるし、
将来への不安も一瞬まぎれる。



amazonで買うならこちら『南回帰線 (講談社文芸文庫)』



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posted by 信州読書会 宮澤 at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

老妓抄 岡本かの子 新潮文庫

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人生の酸いも甘いも噛みしめてきた老妓が、
電気工の若者、柚木を家に連れてきて
彼のやりたいと望む発明の仕事を世話してやる。


しかし、柚木は口だけ達者で手がすすまず、
老妓の養女が子供の癖に色目を使ってまとわりつくので
老妓の真意を測りかね、鬱陶しくなって家を飛び出す。
老妓はそんな柚木のわがままさも無関心であしらう余裕がある。


老いの達観に抗う女の情熱が、妄執となるギリギリを描いたエロチックな作品。 



永井荷風の世界を、老妓の視点で描いた傑作。
あるいは、長回ししない溝口健二の映画みたいだ。


下世話に言えば、細木数子がタッキーに何されても許すみたいな話。
隙のない技巧的な文章で、老境の頽廃が優美に描かれている。
人間の毒気に当てられたい人にお薦め。

amazonで買うならこちら『老妓抄 (新潮文庫)』



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ラベル:岡本かの子
posted by 信州読書会 宮澤 at 09:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

奇妙な旅 ドリュ・ラ・ロシェル 筑摩世界文学大系 (72)

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筑摩世界文学大系〈72〉ドリュ・ラ・ロシェル,モンテルラン,マルロー )

筑摩世界文学大系〈72〉ドリュ・ラ・ロシェル,モンテルラン,マルロー (1975年)


国書刊行会の「ジル」を読んで以来、虜になった作家が、ドリュ・ラ・ロシェル。
ファシストで対独協力云々と問題のある作家なのだが
日本の戦前の左翼転向問題と同じく
軽薄に言及できる問題でもないのでそれについてはコメントは控えたい。
独軍の捕虜だったサルトルの釈放を求めたり、マルローと仲がよかったり
ファシストのわりには情に厚いところがある。

昨夜、気になっていた「奇妙な旅」をようやく読了した。



主人公はドリュの分身 ジル。


ニヒルでいてそんなニヒルな自分を嫌悪するという
歪んだ倫理観で常に屈託している、ジル。


自分に折り合いのつかない人間、ジル。


最高にめんどくさい男、ジル。


そのジルが、ベアトリックスというお嬢様の気を散々惹いておいてすべて投げ出すという話。
会話がとにかく秀逸で、ジルはしびれるセリフを景気よく連発してくれる。



がしかし、「ジル」のほうが政治問題、宗教問題に深くコミットしている上に
恐ろしいほどグロテスクなブルジョアの退廃が描かれているので
それに比べてしまうと「奇妙な旅」は物足りない。

ハードボイルドが好きな人にはお薦め。


1945:もうひとつのフランス 1ー上 ジル 上


1945:もうひとつのフランス 1ー下 ジル 下


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posted by 信州読書会 宮澤 at 09:56| Comment(0) | TrackBack(0) | フランス文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小泉政権 −非情の歳月 佐野眞一 文春文庫

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足で稼ぐノンフィクション作家、佐野真一が小泉純一郎の周辺に迫った書。
飯島秘書官、田中真紀子、姉の小泉信子という小泉前総理を支えた人々の新事実が明らかになる。


飯島秘書官の不遇な生い立ち、
立花隆の「政治と情念 」にも触れられていない
田中真紀子の周辺情報、自民党離党後の近況、地元での評判
そして、マスコミに決して姿を現さない「奥の院」小泉信子と小泉を支える「女系一家」の実態が明らかにされている。


特に小泉の一番上の姉道子の夫、義兄竹本公輔に関する事実はスリリング。



この辺はほとんど探偵小説みたいな感じだ。
とにかく周辺人物をすべて取材にまわるというドブ板的手法が佐野作品の魅力だろう。
ただ、佐野氏自身が、取材相手に感情移入しそうになる手前で、
踏みとどまるという、一連の逡巡もいいかげんお約束になってきたと感じる。
(あと佐野氏が、異形※武田泰淳とか婦系図※泉鏡花とか、
純文学作品を連想させる惹句を仰々しく連発するのも、ちょっと飽きてきた。)


飯島秘書官以外は、本人へのインタビューがないというのも
小泉政権の救いがたい暗部を示唆していて気味が悪い。



追記
この感想書いて7年経ちました。
もっといろいろな政治的真実を知りました。


佐野眞一のノンフィクションはもう読まないけど、
書けるギリギリのラインで仕事するっていうのはつらいですね。

書店で買えるノンフィクションなんか全部つまらないですよ。
買うだけ無駄です。

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posted by 信州読書会 宮澤 at 09:54| Comment(0) | TrackBack(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

異形の者 武田泰淳 中央公論社日本の文学67

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日本の文学〈第67〉武田泰淳 (1967年)


他力本願の一宗派の僧侶となるべく、出家した主人公の加行生活の話。
主人公は左翼運動体験者であり、運動に敗れて実家の寺を継ぐため出家する。
裕福な寺で生まれただけで、加行も融通が利くという矛盾や
止みがたい女への煩悩からの愚行、衆僧を示嗾してのハンスト決行など、
出家したとしても寺もひとつの世間でしかない現実が描かれている。


主人公は、穴山という衆僧とささいなことから決闘になる。
その決闘を前にして、本堂の阿弥陀如来に心の中で語りかける。



『あなたは人間でもない。神でもない。気味のわるいその物なのだ。
そしてその物であること、その物でありうる秘密を俺たちに語りはしないのだ』



現代で出家するという意味はなんなのか、問うた作品だと思う。



武田泰淳は浄土宗の裕福な寺に生まれた。
彼自身の加行体験も投影されているのだろうが、
禅宗のような厳しい修行がないので、出家ってこんなものなのかと疑問に思った。


「食う寝る坐る永平寺修行記 」野々村馨 新潮文庫を読むと
曹洞宗の修行の基本は、蹴る殴るの指導と飢え、ひたすらな座禅と描かれている。


禅宗と比べても仕方ないが、禅宗が内省から無にいたる単純な過程だとすれば、
浄土宗は来世の地獄極楽まで因果を含んでいるの厄介だなというのが感想。


現世は地獄か極楽か悩む人にお薦め。
読んでもなにも答えは出ないが、
悩むこと自体のリアリティーを幽かに教えてくれる。







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posted by 信州読書会 宮澤 at 09:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

おまんが紅・接木の台・雪女 和田芳恵 講談社文芸文庫

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「接木の台」は、老年の主人公がかつて不倫関係を持った女と電車で出会うという小品。


作者の和田芳恵は徳田秋声に傾倒しており、
「接木の台」は、秋声の私小説のようなとりとめのない叙述が印象的だ。
中年の恋愛というのが古傷を舐めまわすような、
居心地の悪い痛みをしんみり噛み締める類のものあることがわかる。


私が最初に読んだ和田作品は「おまんが紅」で、これは名品だと思った。
新聞記者と田舎から出てきたばかりの春駒という名の娼婦との恋愛話だった。


男の穿いていたズボンを寝圧しするために、春駒がたたんで蒲団の下に敷くのだが、
折り目が前ではなく横についてしまって恥をかくという挿話が、
ふたりの関係が深まるきっかけになっていた。



「接木の台」も、ふたりが初めて一夜をともにした夜に
女がズボンを寝圧しするために、
主人公が脱いだズボンからベルトをはずし、
ポケットから財布を取り出した光景を
しみじみ思い出すところから
一挙に主人公の回想が始まる。
そのあたりに、私小説的な結構の緩さがあるにもかかわらず読ませてしまう切迫感を感じる。


ズボンの寝圧しというのが、女性のまごころであることが判る作品。



おまんが紅・接木の台・雪女 (講談社文芸文庫)

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ラベル:和田芳恵
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梶原一騎伝 斎藤貴男 文春文庫

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『巨人の星』『あしたのジョー』の原作者である梶原一騎の評伝。


私が梶原作品で読んだのは『プロレス・スーパースター列伝』
高校生の頃、復刊した『あしたのジョー』友人に薦められて読んだくらいである。


80年代の新日本プロレスはビデオで出た物しか観ていないので、
当時の熱狂はおぼろげにしか知らないが、
3歳の頃タイガーマスクが引退したのは大事件だったのでおぼえている。


『あしたのジョー』は非常に感銘を受けたが、今は読み返す気はしない。
しかし、スランプ時代の手塚治虫が
『あしたのジョー』の何が面白いのか教えてくれと悩んだそうな。


漫画原作という、作家としては評価されずらい仕事に鬱屈を抱きながらも
スポ根ものというジャンルを築き上げ、少年の心を鷲掴みにしたものの
様々なスキャンダルにまみれて不遇の人生を終えた梶原の人生が痛々しい。


感化院で過ごした幼年時代、大山倍達との確執、猪木監禁事件、家族との秘話など
波乱万丈の人生とともに、少年雑誌や格闘技、映画の同時代史も語られていて面白かった。


三島由紀夫に代表される純文学の世界に憧れながらも、
現代でいうサブカルチャーの礎となる仕事しか
残せなかった男の屈託した実像に迫れる一冊。


少なくとも『男の星座』は機会があったら読んでみようと思った。
ちなみに少年漫画雑誌の歴史という点で
「さらば、わが青春の『少年ジャンプ』 」西村繁男 幻冬舎文庫もお薦め。



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posted by 信州読書会 宮澤 at 09:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 評伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

珍品堂主人 井伏鱒二 中公文庫

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学校の先生崩れの骨董愛好家、珍品堂(57歳)の
骨董をめぐる悲喜こもごもの人間模様を描いた傑作。


骨董愛好家達のめんどうなやりとりだけの話だったらつまらない。
実際、そんなチマチマした好事家のための小説ではない。


白眉は珍品堂が、金主を見つけて「途上園」という
会員制高級料亭を経営する顛末で、そこがめっぽう面白い。


九谷という金主を掴まえた珍品堂は
蘭々女という審美眼から性癖にいたるまで一筋縄で行かない
茶の湯のお師匠さんをコンサルに迎え、開業準備する。
女中教育を按配するくだりなどは
料亭経営のいろはを指南してくれて興味深い。



蘭々女の経営指南はこんな感じ。

『…総じてお客というものは、割合に女中の後姿に風情を感じるものである。ことに、旧式の大宴会の場合にはそうである。その風情を身につけさすには彼女たちを合宿させるのに限るのだ。女ばかりが一つ屋根の下で寝起きしていると、お客のいやらしさも、むさくるしさも、つい懐かしくなって夕方が来るのを待ちかねるようになる』


とにかく、水商売の肝要を委細尽くした女史なのだ。
彼女のおかげと珍品堂の美食センスで店は大繁盛。
だが、珍品堂と蘭々女の間に確執が走り、珍品堂は「途上園」を追っ払われる。



作中、小林秀雄をモデルとした来宮という大学の先生が出てくる。
彼が、ラストで珍品堂の窮地を救い、話は終わるのだが、
珍品堂の逆上を、「鮎の友釣」の話で治めるくだりも気が利いている。


井伏はやっぱり手練だな、と私を嘆息せしめた作品。
骨董文学としても読めるが、それより料亭文学としてお薦め。


登場人物のモデルが知りたい。


珍品堂主人 (中公文庫)


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ラベル:井伏鱒二
posted by 信州読書会 宮澤 at 09:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

美しさと哀しみと 川端康成 中公文庫

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「十六七の少女」は作家の大木年雄の出世作となった小説であり、
少女時代の上野音子をモデルにしたものだった。
十七歳で、大木との間にできた子を流産し、自殺未遂を犯し、
精神病院へ入院する音子との顛末を描いた純愛私小説だった。
その後、大木と別れた音子は、心に傷を負ったまま日本画家となる。


大木が二十四年ぶりに京都に訪れ音子に再会する。
裏切られてなお大木を密かに愛している音子に嫉妬し、
音子の内弟子、坂見けい子は、師匠の仇討ちを模して
大木と大木の息子である太一郎を誘惑し、罠にかけるが…



官能と抒情のロマネスクということだが、
品のいい渡辺淳一の作品のようにも思える。
何作もの作品と並行して書かれた作品の割に、物語の綾はきめ細かい。
だが、最後のシーンはなかなか安易で、火事で終わる「雪国」と何ら変わらない


意外なことに、古典文学や絵画の作品論の挿入がかなり多い。
この辺の薀蓄は、渡辺淳一に通じるものがある。


それぞれの登場人物は、造形の輪郭がぼんやりとしているにもかかわらず、
鋭い狂気を発散させる瞬間が何度もあり、ひやっとさせられる。


日本画や古典文学が含むような幽玄な美をたたえた作品。
加山又造の挿画が雰囲気を出している。


お茶漬けみたいな作品。晩酌しながら、1章ずつ読むのがお薦め。

美しさと哀しみと (中公文庫)

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ラベル:川端康成
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秘められた物語/ローマ風幕間劇 ドリュ・ラ・ロシェル 国書刊行会

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1945:もうひとつのフランス 2 秘められた物語

1945もうひとつのフランス 2巻に収められたドリュ・ラ・ロシェル最晩年の作品。

「ローマ風幕間劇」は、主人公の私とハンガリーの公爵夫人エドヴィージュとの
交情を描いた私小説風の作品であるが、
未完成で、章ごと抜けたり、途切れている文章がある。


驚くべきは14章目で、まるでスタンダールのように作者自身の独白がはじまる。


『ここまでで筆を置くこともできるだろう。…(中略)…私が書いているのは、ひとえに、冬、火の気のない自宅のベッドに、もはや読書の阿片を吸うこともなく閉じこもっているからであり、もうほとんど生きてはいけないゆえに、生きたと思えるものに自分を託すよりほかに仕方がないからである。さらに、自分が実際には生きてこなかったことを確かめたいという自嘲的な意味もあって書いているのだ』



なにもなしえないという孤独感の中でまもなくドリュは自殺するが、
ローマでのアバンチュールは唯一の楽しみであったようだ。



『私の目にはローマは常にエドヴィージュを正当化するのだった』


連れて行った女性を正当化するローマ。
その魅惑をほんのちょっと描いた作品。







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posted by 信州読書会 宮澤 at 09:44| Comment(0) | TrackBack(0) | フランス文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

富士 武田泰淳 中公文庫

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富士山麓の精神病院を舞台とした小説。
設定はサナトリウムを舞台としたトーマスマンの魔の山に近い。


精神科医の実習生の大島、院長の甘野、黙狂少年岡村、
自らを「宮様」と称する一条青年など、いろいろの人物が出てくるが、
物語を牽引するような魅力的な人物は一人も出てこないので、平板な長編小説だ。


読みやすいが、止め処もなく長い。



富士山がいつ爆発するのか楽しみにして読んだが、
残念ながら最後まで爆発しなかった




唯一の山場は、一条青年が警官に変装して天皇に精神病院の惨状を直訴し
憲兵に拷問されて死ぬという事件が起こり
天皇からの恩師品が精神病院に届く。
それを機に病院内でカーニバルが起こり、
甘野院長の自宅が放火されるという事態が勃発。


ドストエフスキーの小説にも通ずる典型的な物語のパターンを踏襲してみせた作品。
一条青年のモデルが秩父宮であるという説もあるが、それにしても、だからなんだという感じ。



このような19世紀的な長編小説を
敢えて書いた武田泰淳の試みを、賛嘆しないでもないが
読み終えた後の、深い徒労感は払拭しがたい。



晩年ビールを飲みながらでないと創作できなかったといわれる武田泰淳であるが、
そのような状況下、中途で投げ出すことなく、粘り強く書き継いだという意志を
少なからず感じることができた。



精神病がテーマになっているにもかかわらず、
フロイトの精神分析を一切無視して書き終えたことだけが、
小説家武田泰淳の面目躍如だと思う。そうではないだろうか?

富士 (中公文庫)

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posted by 信州読書会 宮澤 at 09:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

硫黄島の星条旗 ジェイムズ・ブラッドリー 文春文庫

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硫黄島の戦いでの星条旗掲揚の写真を巡ってのドキュメント。
星条旗を掲揚した6人の若者のうち生還した3人は
帰国後、祖国の英雄として迎えられる。
全米に熱狂的に迎えられた彼らの運命は一変する。
その後、米国債を売るための広告塔として政治的に利用され、
3人は全米各地をツアーに回る。



衛生兵として数多くの兵士の手当てをしながら
国旗掲揚のシーンに偶然にも入ってしまった
著者の父親、ジョン・ブラッドリーはこう述べる。


「ずっと忘れないでもらいたいことがあるんだ。
硫黄島のヒーローは、帰ってこなかった連中だ。」




7000人が死に、2万3000人が負傷した硫黄島の海兵隊の
帰還兵たちはPTSDに悩まされ、多くが帰国後に発症した。
星条旗掲揚のメンバーのひとりであるアイラも例外ではなく
アルコールに溺れ、非業の死を遂げる。


ジョン・ブラッドリーは、マスコミから身を避け、
死ぬまで、硫黄島での出来事を語りたがらなかった。
自分の生活と家族を守ることに全力を尽くした。
一生、死者を代表して、勝利を語ることを恥じていたのだ。


著者は日本に住んでいたこともあり、本書は日本人への尊敬もあふれている。
彼は、戦争以前の1千年以上続く日本文化の伝統に
心打たれて、父親に日本も戦争の被害者ではないかと尋ねた。
父親は、ただうなずいていただけだという。



勝利したアメリカ軍の若者たちが、過ごしたその後の人生。
戦争に傷ついたアメリカは、今もなお続いている。
硫黄島の星条旗 (文春文庫)



ぜひ、本ブログでも紹介した日本側の記録
散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道  梯 久美子 新潮社



と読み比べてほしい一冊。

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posted by 信州読書会 宮澤 at 09:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

父親たちの星条旗 映画版

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クリント・イーストウッド監督『父親たちの星条旗』を観てきました。

原作の『「硫黄島の星条旗 」 ジェイムズ ブラッドリー, ロン パワーズ, 島田 三蔵訳』
を読んでから観にいったので、残念ながら原作の確認という形での鑑賞になりました。
期待していた戦闘シーンは、『プライベートライアン』ほどではないけれどかなり迫力がありました。
スピルバーグと共同制作ということで、戦闘シーンの雰囲気は、スピルバーグっぽかったです。



原作のエピソードはかなり忠実に盛り込まれていて、(盛り込みすぎかもしれないが、
上陸2日目に米軍の戦艦に特攻機が体当たりして炎上するシーンがなかった。)
硫黄島の戦闘シーンと、生還した3名のその後の人生がバランスよく交互に物語られて
扇情的なシーンもなくさすが、イーストウッドという仕上がりではありましたが、
私が今まで見てきたイーストウッドの作品の中では、残念ながら評価が低いものになりました。



生還したあとの3人の人生というのはどうしても、戦闘シーンに圧倒されてしまい、印象が薄いです。
硫黄島から帰らなかった人々が本当のヒーローだとしたら、
硫黄島で戦った勇敢な兵士たちをもっと描いたほうがよったんじゃないかと思いました。
余談ですが、エンドロールの実際の写真はすばらしかったです。

そして、やっぱりクリント・イーストウッドが出てこないのが残念。
少なくとも「ミスティックリバー」のショーンペンみたいな役者が出てこないと、
イーストウッドの出演のない監督作品は、弱いなと感じてしまいます。

硫黄島のシーンと、帰還兵の人生を2時間でまとめるのは難しいし 
戦争の意義を描かなかったという点で
「バンド・オブ・ブラザーズ」と比較してしまえば、見劣りする映画でした。



追記
スピルバーグが関わってるとなると、
イーストウッドのリバタリアリズムに反するなあ

という気がしました。


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posted by 信州読書会 宮澤 at 09:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 洋画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

遠い声 遠い部屋 カポーティ 新潮文庫

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★あらすじ
母が亡くなり、母と離婚して離れて暮らしていた父親を探して
南部の小さな町ヌーンシティにやって来たジョエル。
だが、父親は全身麻痺で寝たきりになっており、
その原因は、父の面倒を見ている同性愛者ランドルフが
銃で背中を撃ったからだった。
13歳の少年ジョエルは、寝たきりになった父を実の父親として実感できない。


同性愛者でアル中のランドルフの住むランディングは、現実感覚が崩壊してゆく世界で、
そこに関わる人々も、おとぎ話の登場人物のように非現実的だった。
恐怖や性的な体験、狂気が渦巻く世界でジョエルは少しずつ大人になり、
やがて、迎えにきた叔母さんとともにその街を去る。



ゴシックホラーやファンタジーという要素が強く、
イメージに頼って成立している脆弱な小説だったが、
ヘンリー・ミラーの作品にあるような投げっぱなしのイメージではない。


カポーティが2年かけて実際の小説の舞台を綿密に取材して書いたので、
慎重に選ばれたイメージだけが使われている印象だった。
プロットもいい加減のようでいて読み通すと結構しっかりしている。



ゴシックのイメージ、性的なイメージ、牧歌的なイメージ
そういったジャンルごとのイメージが
主人公のジョエルの感覚を刺激して物語が展開していくという、
かなりアクロバティックな構成で、気持ち悪いが、新鮮だった。



とりわけ、黒人女性への暴行、小人の性、同性愛者、ロリコン、女装趣味、
こういったクイアーで不健康な性の世界を
純粋無垢な少年の視点を通して描くことで、
リリカルなファンタジーへと昇華させようとした
着想は比類ないものだと思う。


大江健三郎の初期作品「芽むしり 仔撃ち」や「飼育」に似て
性への目覚めと、自然への感受性が一緒くたになっている。


カポーティの作品ははじめて読んだが、しばらくは読みたくない。
目くるめく詩的言語とイメージの倒錯が、翻訳では読みづらい。疲れた。

ホラー小説として読むにはお薦めできるかもしれない作品。



遠い声遠い部屋 (新潮文庫)






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ラベル:カポーティ
posted by 信州読書会 宮澤 at 09:40| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

タイタンの妖女 カート・ヴォネガット・ジュニア ハヤカワ文庫

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★あらすじ
ラムファードは、地球から15万光年離れた
トラルファーマルドル星から送られてくる
「よろしく」というメッセージを載せた宇宙船の部品を
乗組員のサロに渡す使命があった。


そのために彼には時間等曲率漏斗という中に飛び込み
太陽系のあまねく場所に出没できる能力がある。

その部品を手に入れるため大富豪コンスタントは
ラムファードによって、火星に送られ、ラムファード夫人を犯し、
彼女との間に子供をもうけ、記憶を奪われて、
火星の兵士となり、親友を殺し、地球を襲い、地球人に惨敗し、
その後、新興宗教の贖罪の山羊になり、タイタンという惑星に送られる。
その人生の遍歴はラムファードがサロに宇宙船の部品を届けるための過程だった。



私の、いつもながらにまずいあらすじだと何の話か全くわからないが、
これは、アメリカの帝国主義批判のSFだと断言できる恐るべき作品だと思った。



ラムファードは、人間を火星に拉致して、記憶を奪い、洗脳して兵士にして
地球を襲わせる。襲わせた火星人は武力的に弱くて
地球の一般市民に簡単に殺されるが、地球の人間は、弱い火星人を殺した反省で、
みんながハンディキャップを負って平等になるという新興宗教を信仰する


ブッシュがビンラディンに武器と資金を与え、イスラム原理主義者に仕立て
貿易センタービルを襲わせて、米軍は無力なイラク人を報復によって殺し、
フセイン政権を倒し、イスラムシーア派の親米的政権を立ち上げ、
アメリカはアラブの石油利権を牛耳って、金融経済を謳歌する。

仮に9・11をアメリカの陰謀説ととれば、
ラムファードは、ブッシュ大統領じゃないかというぐらい似ていて
読んでいて途中で気味が悪くなった。(勝手に興奮しているみたいで恐縮です。)


とくに作中、『火星小史』という、ラムファードの書いた書物の中にある一節がそうだ。




『世界に重大な変化をもたらそうとするものは、ショウマンシップと、
他人の血を流すことに対するにこやかな熱心さと、
その流血のあとにくる短い悔悟と戦慄の時期を持ち込むべき、
もっともらしい新興宗教とを持たなければならない』




これは、アメリカの政治に対する痛烈な皮肉としか言い様がない。



『タイタンの妖女』では、全能の神ラムファードも結局
遠い惑星の操り人形でしかないのだが、
それ以上にラムファードに翻弄され、非業の運命をたどる
大富豪のコンスタントはアメリカ人のカリカチュアとである。



私はSFをほとんど読まないし、読んでも、
フィリップ・K・ディックの映画化された何作かだけだったので
こんなすごい作品があるのかと正直驚いた。



実際読んでみて、100ページ目くらいまでは意味がわからず投げ出そうとさえした。
雑な人物描写や滑稽な小説設定に慣れなかったからだ。
しかし、一度SFの設定に慣れると、ようやく面白くなり、一気に引き込まれた。



村上春樹が影響を受けたとか、爆笑問題の太田がこの作品に影響を受けて
事務所の名前を「タイタン」にしたとか、どうでもいいことだけ知っていて
『タイタンの妖女』を読まずして、かなりナメていましたが、反省しました。


いまさらで、とても恥ずかしいです。すみませんでした。
誰かに謝りたいです。まず、ヴォネガットに謝りたい。SFをナメてすみません。
そして、もうすでに読んでいる方にも謝りたいです。そんな一冊です。超お薦め。


ロックフェラー財閥と金融ユダヤ資本批判の書です。
アメリカのSFやスパイ小説は、情報機関出身の作家が書いているので
単なるファンタジーではないそうです。


シュガーマンなどのコピーライターも情報機関出身です。



タイタンの妖女 (ハヤカワ文庫 SF 262)

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posted by 信州読書会 宮澤 at 09:39| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

博士の愛した数式 小川洋子 新潮文庫


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★あらすじ
交通事故で80分しか記憶のもたない老数学者の「博士」の家に
家政婦として派遣された主人公たちの清らかな交流を描いた作品。
主人公は若くして離婚し、小学生の一人息子を育てていて、
博士はその子にルートというあだ名をつけてかわいがる。
博士とルートは同じ阪神ファン。


博士は、数字の持つ神秘によって2人を魅了し惹き付ける。
ルートは博士との交わりを通して成長する。
一種の擬似家族の関係はルートの誕生日会にクライマックスを迎える。
博士はやがて、80分の記憶さえも失い施設に入る。
ルートは中学校の数学教師の資格をとる。



ウェルメイドな作品。
数学と阪神をめぐる挿話はどれも魅力的で清潔。


博士は「実生活の役に立たないからこそ、数学の秩序は美しいのだ」と述べる。


数学の秩序のイノセントな美しさとは対照的に、人間の心理は混沌としており、
博士と複雑な関係にある義姉の存在はそれを象徴している。
ヒステリックな義姉は必要以上に干渉したとして主人公を家から追い出すが、
イノセントな感情で結びついた博士と少年の絆が、再び彼らを博士の元へ戻らせる。


博士と義姉の過去の恋愛関係が、少しだけ触れられているが、最後まで曖昧なまま終わる。
よって、結末のとってつけた感は否めない。
じゃあ、そこに踏み込むのがよかったのかといえば、そうでもない。
そうでもないか? 


同じく数学者を扱った「ビューティフルマインド」は、
大学時代からの親友さえも想像上の人物であったなど、
天才数学者の住む世界がすべて妄想だったという悲惨が描かれていた。


ただ、この作品はすでに時間の停止した世界に住む博士が
主人公なので、最初からそこまで踏み込まない作品になっている。


過去に傷を負った人々が、今目の前にある日常生活のきらめきを見つめて
生きてゆこうとする勇気を顕彰した作品としては出色、だと思う。




博士の愛した数式 (新潮文庫)



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posted by 信州読書会 宮澤 at 09:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

僕の昭和史 安岡章太郎 新潮文庫



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講談社から1984年〜88年までに
出版された『僕の昭和史T〜V』を1冊にまとめ文庫化したもの。


安岡章太郎の遍歴が綴られている。

戦時中、落第生であった安岡氏が、
社会の無気味な変化を肌で感じた回想が興味深い。


一切事実が報じられないノモンハン事件の無気味な印象や
ジャン・ルノワールの『大いなる幻影』が上映中止になったこと。
慶応仏文の高橋広江教授が、南仏インドシナから戻ってくると、
急に超国家主義者になっていて、バレスやモーラスの
フランスファシズム作家のテキストを授業で教えはじめたことなど
社会の変化が、忌まわしい雰囲気として伝わってくる。


安岡氏は徴兵され、中国へ渡り、第一個師団としてフィリピンに配属される前に
罹病し内地送還になるという幸運に見舞われる。(第一個師団はその後全滅)


内地を転々とし、終戦を迎えるが、脊椎カリエスにかかり
30を過ぎて横臥生活を余儀なくされる。寝床で小説を書くことしかできない。
老いた父母を養う責任の立場にあるにもかかわらず、はたせない無力感。



……一日に四百字詰原稿用紙に一枚書くのがやっとで、どうかすると一日中原稿用紙を横目で眺めながら一行も書けないことがあった……。しかし、僕はひるまなかったし、ヤケにもならなかった。落胆したり絶望したりするのは、まだ自分に幻想を持っていられるときのことだ。僕にはもはや、そんな抱負や期待は何もなかった。


一度、処女作を三田文学に持ち込み、原民喜につき返され、自信を失っていた安岡氏。
発表の場もなく、貧困と病気の絶望の中で、唯一の生きがいとして書いた作品が、
偶然ある作家の目にとまり、手紙を貰う。


それは、宇野千代の夫君、北原武夫だった。
(この人は新人発掘の目と批評の精度は抜群だったらしい)


北原武夫の推挙で『ガラスの靴』が三田文学に掲載され、芥川賞候補となり、
それを機縁に文学界から注文が来て、作家生活をスタートさせる。
なぜか、奇跡的に病気も回復する。


評論家 服部達の思い出や、池島信平が貧窮ぶりを心配してくれた思い出
十返肇に絡まれて、コップを割ってバーから飛び出す話など、
文壇がギルドとして存在したころ挿話が眩しい。


後半は、アメリカ留学やソビエト旅行の話がくる。ここへきてかなりだれる。
安岡氏自身が作家として「ワンサイクル終わった」後の話になってしまっている。


もっとも印象的だったのは結末。
一緒に学生時代に同人誌を手がけた慶応の同級生の小堀延二郎が、
ルソンで戦死したことになっていたが、敵前逃亡の引責自決で
事実上戦地で仲間に処刑されていたこと発覚し慄然とする。
ここは、涙なしには読めないところだ。


旧陸軍の蛮行が、三島事件、連合赤軍の総括とオーバーラップして
戦後も結局は戦争の延長でしかないという認識が吐露される。
戦後に生き残ってしまったことへの戸惑いと深い悲しみがあふれだす。


小島信夫が2006年9月26日逝去して、安岡氏、庄野氏のみが残る第三の新人。
生き残った人が、風化すらしていく不毛な現代において、
語り継ぐことの大切さを教えてくれる作品。

僕の昭和史 (新潮文庫)


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ラベル:安岡章太郎
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ピンフォールドの試練 イヴリン・ウォー 集英社版 世界の文学15


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★あらすじ
名高い小説家のピンフォールドは、
睡眠薬の副作用で気が重くなり、転地療養しようと
船でインドへ出かける。


船に乗り、睡眠薬を減らすと、
船室でピンフォールドは様々な幻聴に悩まされる。
途中で船をおりて飛行機に乗り換え、
妻の迎えに従って帰国すると症状は消える。


ピンフォールドの船室にいろいろな人々の声が聴こえて、
最初はピンフォールドの噂話だったのが、


やがてエンジェルという架空の家族の人々による彼への罵倒になる。
彼をアル中だ、ファシストだ、ユダヤ人だ、同性愛者だと
かなりえげつないが、気の利いた言い回しで中傷してくる。
堪忍袋の緒が切れて、彼も応酬して罵るという荒廃した内容なのだが、
ピンフォールド自身が誇り高く、頑迷で、気難しくて、怒りっぽいので、
やりとりにおもわずふきだて笑うところがいくつもあった。



ピンフォールド自身は、イギリスの余裕派みたいな小説家で
ピカソや、日光浴や、ジャズが大嫌いで、
宗教心から受けたささやかな慈愛によってそれらへの嫌悪を退屈にかえたという
鼻持ちならない男で、文学に関する考えも年季の入ったスレ方をしている


たいがいの小説家は一つか二つの本の材料を持って生まれてくるだけで、後はすべて手品を使っているに過ぎないのであり、それがディゲンズやバルザックでも、明らかにそうして手品を使って読者を瞞しているのだった。



こういう考えで、数々の作品を生み出し令名をはせている。


船長には従わなければならないと思ったり、
幻聴に出てくる陸軍少将に勝手に敬意を払ったりと、
軍隊の秩序への郷愁を、無意識に表す場面もあるので
幻聴の原因は直接には触れられていないが、
私の見解としてはしては、人付き合いが苦手なピンフォールドの
第一次世界大戦での適応しがたかった従軍体験へのストレスが
(輸送船で勤務していた経験があり、パラシュート降下では足を骨折した。)
狭い船室と、睡眠薬の中止によってPTSDとして発症したとみている。


(最近、どうも私は小説に戦争の影響を見つけ出す読み方になっているが・・・)


語り口が饒舌で精神疾患を扱ったわりには
ウィットにあふれた作品であり
訳者の吉田健一によるとウォーは文章家なので(まあ、手練という意味か)
気軽に楽しめる作品としてお薦めだ。



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posted by 信州読書会 宮澤 at 09:14| Comment(0) | TrackBack(0) | イーヴリン・ウォー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

讃歌 中上健次 小学館文庫


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★あらすじ
男も女も相手にするジゴロ“イーブ”の性の遍歴。
イーブはまれに見る美男子で、ウインクひとつで男も女も惹きつけてしまう。


いつ浜村龍造が出てくるのかと思ったが、出てこない。
もちろんオリュウノオバも、出てこない。



全編、激しくインモラルな性描写があふれているが、
閨房での具体的な行為の表現の細やかさは圧倒されこそすれ、
それ以外の描写に何の魅力もない。


まず、ジゴロであるイーブの身に纏っている
服装も装飾品も具体的な記述がない、
そして、<黒豚><白豚>と呼ばれている客の外観的なディテールも
描写がないので恐ろしくリアリティーに欠ける。
その点、風俗描写をあえて避けて作品の永遠化を望んだ三島の企みに近い。



イーブは類まれな筋肉と笑顔と股間の一角獣で
内面などない性のサイボーグと化しているので、己の行為に照れがない。
代わりに読者の私のほうが照れる。
そういう気持ちにさせた点では、三島の小説の主人公に似ている。



イーブの一挙手一投足が、周りの人間を魅惑する。
その辺の通りすがりの女性さえも。
そんな奴いったいどんな奴なんだ、こんな奴いるのかよ、
という疑問が始終離れなかった。



イーブは私の中では元カリスマホストで最近よくテレビや雑誌に出てる
城咲なんたらという人を髣髴とさせた。
NHKの衛星放送で、「日輪の翼」がモックン主演でドラマ化されていたが、
「讃歌」は城咲氏でVシネマ化してほしい。
ジュネ原作、ファスビンター監督の「ケレル」ぐらいのインパクトになると思う。


文学界に2年にわたって連載された。途中で放棄しなかったのがすごい。
三島とサドとジュネの影響下で中上健次が筆力を浪費した贅沢な作品。



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ラベル:中上健次
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プロレス少女伝説 井田真木子 文春文庫


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男子プロレスの歴史は、わかりやすい。
外人レスラーにカラテチョップをくらわせる力道山のイメージで
基本的には、アメリカを倒すという物語によって、支えられている。


全盛期の新日本プロレスのIWGP構想も、リングスも、プライドも
外国人を日本人が倒すという物語が成立することで、幅広い支持を受けている。


誰が一番強いかというよりも、強い日本人の活躍が観たいという
ナショナリスティックな欲望に支えられないと、観客を集められない。
メインイベントが外国人同士の試合などは、コアなファンしか見ないものだ。



アメリカにおいて男子プロレスの傍系として、生まれた女子プロレスは、
日本に相撲に対する、女相撲の発生にルーツを持つと筆者は主張する。
その点で、スポーツ性よりも演劇性にバイアスがかかる。
女子レスラーに熱狂的に陶酔する少女ファンと、格闘技として観戦する男性ファン
そういった支持層の不明確さが常に付きまとっている。



本書は予めそうしたナショナリズムが機能しにくい不安定な基盤にある
女子プロレス興隆期のレスラーの軌跡を扱ったノンフィクションである。


クラッシュギャルズとして女子プロレスブームを牽引した長与千種、
柔道からプロレスラーに転身した神取しのぶ、
日本人と中国人のハーフであり12歳で日本に帰化した天田麗文、


インディアン系の白人レスラーであるメデューサ・ミシェリーの半生が語られている。
それぞれにとって、女子プロレスの意味合いは違うが、かなりの熱意で
プロレスという極めて演劇性の強いスポーツに惹き付けられていたのがわかる。


しかし、女子プロレスの興行的な不安定さと、その存立基盤の脆弱さによって
彼女達を決して自己実現させてくれないという矛盾を鋭く描き出している。



女子プロレスは現在、女子柔道、アマチュア女子レスリングの
台頭とは反対に、その中へ発展解消されたかのように、ビジネスではなくなった。
全女は2005年4月17日の後楽園ホール大会 を最後に解散。


女子格闘技は、オリンピック競技という世界に吸い込まれてしまった。
天田は1986年の第一回アマチュアレスリング世界大会に日本代表として
出場し同じ階級の対戦選手がいなかったため優勝してしまうという挿話が興味深い。
女子アマレスの歴史の急激な発展が逆説的に描かれていている。


長与千種は「私が、女子プロレスにふりがなを振った」と自負しているが、
現在プロレス自体に、観客を惹きつけるようなふりがながふれなくなっている。
それどころか、あらゆるジャンルにふりがながふれないという事態が蔓延している。


女子プロレスの革新期の記録だが、
一般にポストモダンよばれる混沌時代幕開けの症例報告としても読めるので、お薦め。



プロレス少女伝説 (文春文庫)


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posted by 信州読書会 宮澤 at 09:12| Comment(0) | TrackBack(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

愛のゆくえ リチャード・ブローティガン ハヤカワepi文庫


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★あらすじ

自費出版の本を受け取り、保管する図書館に勤める主人公のもとに
絶世の美女、ヴァイダがやってきて、恋に落ち、同棲をはじめる。
ヴァイダはあまりに美しいので、周囲の過剰な視線を浴びるので
自分の美しさを嫌悪している。


ヴァイダは主人公の子を身ごもるが、育てられないといい、
二人でメキシコの堕胎専門の産婦人科にゆき、堕胎する。


小説の原題は「The Abortion」で堕胎という意味である。
とはいっても、堕胎に関する倫理的な懊悩をめぐっての小説ではない。
堕胎をした後もふたりは仲良く、新しい生活をはじめる。


この小説を読んで、福田恒存が「私の幸福論 」(ちくま文庫)のある一説を思い出した。
彼は、アメリカの若い女性(17歳を過ぎた女性)がどうも好きになれないという
その理由を、長くなるが以下に引用する。


なるほど、ニューヨークには、確かに美人が多い私の友達がいったように、街を歩いていると『ふるいつきたくなるような美人』によく出あう。お化粧はうまいし、姿はいいし、服もしゃれている。一口に言えば、かれらは女性の典型であります。が、この典型のうちには、典型であるがゆえに、複雑な夾雑物の存在がぜんぜん許されない。あるのはセックスだけです。セックスだけが男女の別を分かつものと、はなはだ合理主義的な判断をくだし、それを追求していったためでしょう。残ったものは、女のセックスそのものではなく、バスト、ウェイスト、ヒップなどに計量化できるセックスの型見本にすぎない、そういう感じをいだかせます。





福田恒存は、「セックス」がむき出しにされていて、
その先の複雑な夾雑物たる人間性に関心のない
アメリカの若い女性に、うわべの美しさに驚嘆こそすれ、同時に興ざめを感じたという。


この発言を踏まえると、セックス対象物として見られることを拒否した
ヴァイダの落ち着いた知的な女性像は、日本でこそ印象は薄いが、
アメリカにおいては一つの自由への挑戦なのではないかと思う。


セックスを主題とした小説であれば、堕胎も倫理的な問題になるが、
「愛のゆくえ」では、堕胎は、計量化されたセックスへの極端な拒否であり、
同時に選び取った人生の自由であるために、倫理的な問題として取り扱われない。


つまり、物質文明を拒否して生活している主人公とヴァイダの
積極的な選択として堕胎があるので、その選択には倫理上の対決もあるのだろう。


セックスを快楽ではなく、主人公とヴァイダの人生の通路としてブローディカンは
描いたのからこそ、堕胎も倫理的である。
逆に避妊することのほうが、セックスを単なる快楽手段と認めてしまうことになるのだ。
その常識的な考えが、アメリカにおいては困難なのではなかろうか。


至って平明だが、アメリカ社会のセックスの息苦しさと対決している手応えのある小説だと思う。


愛のゆくえ (ハヤカワepi文庫)



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人間ぎらい モリエール 新潮文庫

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社交界の女王である未亡人セリメーヌに恋してしまう.
純真で、偽善を許せない、主人公の青年貴族アルセスト。
セメリーヌは、何人もの男に気を持たせるのがうまく、
アルセストは彼女のことを激しく恋するあまり、
彼女の不実を憎み、彼女を糾弾する。

やがてアルセストは、セメリーヌに代表される
世の中の偽善に我慢がならなくなり、一切縁を切るべく
人里は離れた山奥に隠遁すると公言する。


アルセストは、恋する青年の典型を成している。
セメリーヌの指摘するように、アルセストは
始終他人とは反対の意見をもっていて、
誰かと同じ考えを世間が持っていると考えたら
自分が一文の価値もない人間だと思ってしまう。
まさしく「若気の至り」を丸めて固めたみたいな五月蝿くて、青臭いお坊ちゃんだ。


はた迷惑なほど、直情径行なのだが、なぜか、周りの人間に愛されている。
漱石の描く「坊っちゃん」をもう少し内向的にしたような感じである。



この喜劇のすばらしさは、なんといっても
アルセストの友人フィラントの、コメディーリリーフぶりである。
アルセストをたしなめる言葉も優しさにあふれている。
世を捨てると言い出したアルセストに

もし何事も正直ずくめで、だれも彼も率直で公明正大で柔順だったら、美徳というものは大部分無用になってしまうよ。なぜといって、こちらが正しい場合、他人の不正を気持ちよく堪え忍ぶのが美徳の美徳たるゆえんなのだ。



と諭し、最後にちゃっかりアルセストを心配している
セメリーヌの従妹のエリアントと最後に結ばれ、彼女に
「さあ、僕たちはどんなことをしても、アルセストの計画を
ぶち壊そうじゃありませんか。」と高らかに言い放つ。


こういうバランス感覚のある情の厚い友人がいなければ、
喜劇は喜劇にならないという重要な登場人物だが、
こういう人物の造形というのは案外、最も難しいのではないかと思った。それだけ。

人間ぎらい (新潮文庫)


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ラベル:モリエール
posted by 信州読書会 宮澤 at 09:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

縛られたプロメーテウス アイスキュロス 岩波文庫

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★あらすじ
天界から火を盗み出して人間に与えた
プロメーテウスはゼウスの怒りをかい、
岩山に縛りつけられる。


ゼウスに恋情うけたために牝牛に変身させられたイーオーがたまたま通りかかって、
プロメーテウスを岩に縛りつけられているのを発見し、
彼女の末裔こそが、ゼウスの王位を奪うと予言を与えられる。


プロメーテウスはその予言のために
さらにゼウスの逆鱗に触れ、岩山とともに冥界に沈む。


知性と勇気を兼ね備えたプロメーテウスの反逆の物語。


愚かな人類を救うべく、岩山に縛りつけられる恥辱に甘んずる
プロメーテウスだが、権力に徹底的に反抗し、口達者で、皮肉屋で
マッチョな立川談志みたいなキャラクター。好感が持てる。


悲劇のヒロイン、イーオーは醜い牝牛の姿で、うだうだ悩みつづける。


ゼウスのガキの使い、ヘルメスはチンピラばりにプロメーテウスを脅迫する。


プロメーテウスの叔父にあたるオーケアノスは、彼を諭すが、
叔父に塁が及ぶのを懼れてプロメーテウスは彼を追い返す。


オーケアノスの娘、コロスはなかなかコケットリーで
プロメーテウスに同情して、話しをききたい一心で
付きまとったゆえに一緒に彼と冥界に沈む。


登場人物の性格がしっかりしていて、楽しい。
ギリシア悲劇侮るべからずと、心に刻んだ作品。短いしお薦め。


縛られたプロメーテウス (岩波文庫 赤104-3)



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posted by 信州読書会 宮澤 at 09:08| Comment(0) | TrackBack(0) | ギリシア古典 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

情人 北原武夫 講談社文芸文庫


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還暦前の小説家である主人公と、水商売上がりの女との不倫小説。
女は、建築家で妻子ある男と二股関係にあり、
主人公は女の情人であることに徹する覚悟はありながらも、
ひどく自尊心を傷つけられると、その状況に堪えられなくなる。


しかし、手に余る女を簡単に捨てはられない。
かといって、女に狂うほどの未練もない。


一刻ごとに真実と裏切りに入れ替わる感情。
男女の恋愛の優位が激しく逆転しつづける様が
これ以上ないというきめ細やかさで描かれている。


あらゆる恋愛状況を知悉している
恋愛のマイスターたる老年の主人公が、
どんなきつい修羅場を迎えようが、
感情に流されずに、心を落ち着かせようとする苦心は、
老練であり、卑怯なのだが、
その手管に簡単に絡めとられない
女の言動も凄まじく、かつ魅惑的だ。


女の嘘、仕草、官能に至るまで怜悧に分析し尽くそうとするのだが、
分析が時間に追いつかず、結局は女に翻弄されてゆく主人公。
恋愛は虚しいとつくづくわかっていても本能に抗えない
人間の弱さが、晩節を迎えた男の低温の中で語られる。


卑怯な男と女の目くるめく闘争。


だが、舞台は息苦しくなるほどに狭い。


読めば、女性不信にも男性不信にもなること請け合い。


戦争、貧困、社会と全く無縁の文学。
ただただ情人となることの困難を描いた心理小説。



情人 (講談社文芸文庫)


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ラベル:北原武夫
posted by 信州読書会 宮澤 at 09:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

巨魁 岸信介研究 岩川隆 ちくま文庫


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「安倍晋三の原点がわかる!」と帯にある。
現総理の祖父、昭和の妖怪、岸信介の評伝。


戦前、商工省官僚として満州で活躍し、商工大臣へ、
戦後は、A級戦犯容疑者として巣鴨プリズンへ入獄。
不起訴となり、戦後瞬く間に総理総裁となった。


政治資金をめぐる汚職の疑惑では、
FX商戦や賠償ビジネスが大きく取り上げられている。


人脈も金脈も極めて不透明な宰相でありながら、
安保改正によって、日米関係を双務的なものにし
戦後政治へ不可逆的な道筋をつけたのを知ることができた。
岸こそがその後の池田、佐藤内閣へ続く自民党の安定政権の礎をなしている。



安保改正を実現させるためには、安保反対のデモ隊制圧に自衛隊の出動も辞さない
強権的な政治姿勢と一方でアイゼンハワーの訪日断念という恥辱的妥協とを
演じてみせた政治家としての太い腹の座り具合に凄まじい迫力を感じた。


目的のためには手段を選ばないというリアルポリティックスは、
岸を嫌悪していた池田の支持を、次期首相ポストを担保に取り付けて
安保改正を成し遂げ、岸の築いたアメリカとの強い絆の元に
池田の「所得倍増計画」を成し遂げさせるという布石まで打つ周到さを秘めていた。


数万人の群集に包囲されながらも、官邸に立てこもり怒号に決して屈しない。
国民の不支持に斟酌なく政治的達成を得るのに必要なタフネスの在り処を記す一冊。


憲法改正や再軍備など、日本を国家として独立させようという強い理念。


岸総理大臣の悲願は、その後50年閑却されたまま
現在にいたっても、政治の根本的な問題として手つかずのままである。


追記

5年前に書いた記事です。
今は、孫の安倍晋三総理によって、憲法改正、再軍備が急ピッチにすすめられています。

岸−安倍を取り巻く、政治勢力の本当のところは、
この本にもちゃんと描かれていない。


巨魁―岸信介研究 (ちくま文庫)


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posted by 信州読書会 宮澤 at 09:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 評伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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