信州読書会 書評と備忘録

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カテゴリー:対談・鼎談

2014年01月11日

三島由紀夫 最後の対談 (古林尚)







三島由紀夫が古林尚とした最後の対談です。
読んだことしかなかったのですが、音声でアップされていました。
感動です。


日本浪漫派の保田與重郎に影響を受けていないと言い切っていますね。

バタイユのエロティシズムを、ザッハリッヒとして
語っているところに狂気を感じます。

自民党から一銭も金を貰いたくない。





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ラベル:三島由紀夫
posted by 信州読書会 宮澤 at 21:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 対談・鼎談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月25日

リリー&ナンシーの小さなスナック ナンシー関 リリー・フランキー 文春文庫

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ナンシー関の最後の対談集。クレアに連載されたもの。
お相手は「東京タワー」が現在200万部のベストセラーとなっている
リリー・フランキーだ。
1学年の歳の差ということもあって、
感覚が似ているという点で、
お互いの持ち味がよく出た対談集だ。


TVコラムのイメージが強いナンシー関だが、
本書では芸能関係の話題を柱におきながらも
ナンシー関の日常生活や思考の回路、人間洞察のポイントといった、
既出本では窺い知ることのできないナンシーに出会える。
それは、対談相手がリリーであることが大きい。


両者の身近でささいな出来事に細かくツッこんでいく
視点の持ち方に共通点があるため、
コラムニストの種本というか楽屋本ともいえる
内容に傾いていく、そこが本書の読みどころだろう。
自動車免許取得の体験談や初めてテープレコーダーを買ったときの使い方など、
小さな話題を、お互いツボを刺激しあい、
なるほどと思わせる世間知をさりげなく、
かつ惜しみなく応酬しながら、
会話をころがしてゆくというライブテイストが楽しめる。
下ネタ嫌いのナンシー話がうまくかわすところも見ものだ。


たとえば字の話で



リリー  真面目な原稿を書いている時は、やっぱり達筆に書いているし、
     ポコチンの話なんか書いている時は、なんかちょっとポコチン寄りの
     字になっていますね(笑)。


ナンシー 適材適所(笑)。




というように。

まるで、仲のよい姉と弟がこたつで会話しているような
面白さとやさしさ、あたたかさに満ちていて


いつまでも読んでいたいのだが…。
ナンシー関の最後の本になってしまった。
リリー・フランキーのあとがきが涙を誘う。



個人的にはナンシー本では本書と
「信仰の現場―すっとこどっこいにヨロシク 」 角川文庫
がフェイバリット。


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posted by 信州読書会 宮澤 at 10:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 対談・鼎談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月10日

対談 人間と文学 中村光夫 三島由紀夫 講談社文芸文庫

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中村光夫と三島由紀夫の対談による小説談義。



志賀、川端、横光、堀、安岡、石原、大江に対する言及が面白い。
とくに安岡の作品の主人公について三島は『背が低く』
道化を演じて恥じないのは読者を馬鹿にしていて卑怯だと怒り、
大江に関してはは『少なくとも背が高くなるという可能性を信じている。
自分は絶対ならないけれども誰かがなるだろうということを信じている.』と指摘する。
三島自身の作品については、はじめから背が高すぎるので、低くするほかないと
冷静な自己分析を加える。


日本の読者が作品と作者を切り離せないメンタリティーを
持っているがゆえに小説を書きづらいと指摘は興味深い。


三島は小説を芸に喩えてこう述べる。


『芸というのは、文学における政治学というか、ヴァレリーのいう芸術の政治学というか、そういうものを経過したところからでないと出てこないと思うんです。』


『まだ、芸がおごそかな存在と思われていて、芸というものは本当は悪い人がやるもので、人が悪くなければ芸人にはなれない、芸というもの自体のなかに芸術の政治学があるのだということがわからない。芸というものは政治学がなくてやれるものだというところから、一方では非情にまじめな体験主義者が芸をやろうとするから、とてもこわばってみていられない。もう一方では、おれは芸人だといってすぐストリップや漫才をやるから浅はかで見られない。芸というものはどんな微妙な政治学の上に成り立つものであるかという政治的考察が足りない。中野重治という人はそういうところをよく知っている』




中野重治の『こだわり』まで芸の一部だと言い切るほどの
三島の深いニヒリズムには唖然とさせられる。
永井荷風や谷崎潤一郎を本当の悪人として三島は肯定している。



もともと、文学に対する立場が真逆の中村光夫と三島由紀夫だが
対談もまとまりがあるようでいてほとんどまとまっていないところがいい。
戯曲に関する対話は小説に関する対話以上に刺激的。お薦め。


対談・人間と文学 (講談社文芸文庫)


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posted by 信州読書会 宮澤 at 13:18| Comment(0) | 対談・鼎談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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