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★あらすじ
第二次世界大戦でドイツ軍の捕虜となり、脱走後、国家反逆罪で捕らえられた
ショーホフのシベリア強制収容所での、起床から就寝までが
ドキュメントタッチで描かれた小説。
★感想
結末では、少し多く飯が食え(パン一個とかスープ一杯という程度)
その上、陰気なことがなかっただけで、主人公は幸運な一日だったと嘆息する。
些細な幸運が十年間の刑期を勤めるものにとって実にまれなのである。
最低な収容所生活で、自尊心を失わず、幸福を見つけ出す主人公の才能は
今の私たちには、途方もない才能のように思えてくるから不思議である。
そして、荒んだ生活を描いたわりに、ユーモアに溢れた描写が多い。
スープの具が多くて喜んだり、タバコの吸いさしをもらって喜んだり、
ソーセージ一切れを味わうことで恍惚となるなど、笑わずにはいられない。
鋸の破片ひとつ、拾って宿舎に持ち込むのにも大げさなサスペンスがある。
ドストエフスキーの『死の家の記録』と違うのは、
ショーホフという民衆の立場たって、収容所生活が描かれているところである。
革命後なので、貴族であることはもはや何の意味も持たない。
スターリニズムの中では、収容所の意味も全く変わっている。
収容所自体が、産業である。労働力の目標数字確保ためにロシア全土から
不当逮捕され、連れてこられた人々が、強制労働させられているのである。
凶悪犯など滅多にいない。ドイツ軍の捕虜になっただけでスパイ扱いである。
普通の人々が、不条理で過酷な収容所生活を長期に強いられているのである。
誰もが潔白の身なので、密告者は嫌われる。なので、密告常習犯は殺される。
『死の家の記録』の凶悪犯たちが密告常習犯に寛容なのとは大きな違いである。
ドストエフスキーほどの人間に対する洞察力はないが、
ソルジェニーツィンの人間存在を肯定する力は、かなり強烈である。
苦悩と無縁。獣にならない程度にサバイバルするだけに情熱をかけている。
「生きのびること! 何がなんでも生きのびること、
やがて神様が何もかもお終いにしてくださる!」
こうした言葉だけで零下40度の世界をたくましく生きのびる。
強制労働させれながらも、手作業は囚人みんなが好きである。
ショーホフの所属する104班の壁造りは、職人的な喜びに満ちた作業である。
しかし、作業場にベルトコンベアーやウインチが導入されると、休憩したい一心で、
効率化なんてクソくらえとばかりにわざとぶち壊す。アナーキーである。
ロシア人は、わがままで、体力過剰で、楽天的なのである。別の惑星の生物みたいだ。
そういうロシア人たちの収容所生活になぜか励ませられる小説である。
イワン・デニーソヴィチの一日 (新潮文庫)
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ラベル:ソルジェニーツィン