信州読書会 書評と備忘録

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カテゴリー:収容所文学

2013年06月13日

イワン・デニーソヴィチの一日 ソルジェニーツィン 新潮文庫 その一



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★あらすじ

第二次世界大戦でドイツ軍の捕虜となり、脱走後、国家反逆罪で捕らえられた
ショーホフのシベリア強制収容所での、起床から就寝までが
ドキュメントタッチで描かれた小説。




★感想
結末では、少し多く飯が食え(パン一個とかスープ一杯という程度)
その上、陰気なことがなかっただけで、主人公は幸運な一日だったと嘆息する。
些細な幸運が十年間の刑期を勤めるものにとって実にまれなのである。



最低な収容所生活で、自尊心を失わず、幸福を見つけ出す主人公の才能は
今の私たちには、途方もない才能のように思えてくるから不思議である。
そして、荒んだ生活を描いたわりに、ユーモアに溢れた描写が多い。


スープの具が多くて喜んだり、タバコの吸いさしをもらって喜んだり、
ソーセージ一切れを味わうことで恍惚となるなど、笑わずにはいられない。
鋸の破片ひとつ、拾って宿舎に持ち込むのにも大げさなサスペンスがある。



ドストエフスキーの『死の家の記録』と違うのは、
ショーホフという民衆の立場たって、収容所生活が描かれているところである。
革命後なので、貴族であることはもはや何の意味も持たない。


スターリニズムの中では、収容所の意味も全く変わっている。
収容所自体が、産業である。労働力の目標数字確保ためにロシア全土から
不当逮捕され、連れてこられた人々が、強制労働させられているのである。
凶悪犯など滅多にいない。ドイツ軍の捕虜になっただけでスパイ扱いである。
普通の人々が、不条理で過酷な収容所生活を長期に強いられているのである。


誰もが潔白の身なので、密告者は嫌われる。なので、密告常習犯は殺される。
『死の家の記録』の凶悪犯たちが密告常習犯に寛容なのとは大きな違いである。


ドストエフスキーほどの人間に対する洞察力はないが、
ソルジェニーツィンの人間存在を肯定する力は、かなり強烈である。
苦悩と無縁。獣にならない程度にサバイバルするだけに情熱をかけている。


「生きのびること! 何がなんでも生きのびること、
やがて神様が何もかもお終いにしてくださる!」



こうした言葉だけで零下40度の世界をたくましく生きのびる。


強制労働させれながらも、手作業は囚人みんなが好きである。
ショーホフの所属する104班の壁造りは、職人的な喜びに満ちた作業である。


しかし、作業場にベルトコンベアーやウインチが導入されると、休憩したい一心で、
効率化なんてクソくらえとばかりにわざとぶち壊す。アナーキーである。


ロシア人は、わがままで、体力過剰で、楽天的なのである。別の惑星の生物みたいだ。
そういうロシア人たちの収容所生活になぜか励ませられる小説である。

イワン・デニーソヴィチの一日 (新潮文庫)


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posted by 信州読書会 宮澤 at 12:23| Comment(0) | 収容所文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

イワン・デニーソヴィチの一日 ソルジェニーツィン 新潮文庫 その二

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★この小説で切なかったシーン。

ショーホフが、発電所の建設現場で働いているときに、
この建設現場の前の野原が、将来、都市の広場になって、
若者たちのパレードが通り過ぎることを夢想するシーン。
(再読して探したが、見つけられなかった。)
この期に及んで、まだ建設の理想をまだ、胸にしている
ショーホフの愛国者ぶりが、切ない。


元海軍中佐の営倉10日間。その彼を、囚人が送り出すシーン。


新入り囚人の元海軍中佐が、厳寒で身体検査を行う看守に不平を述べて、営倉入り。
彼は、知らないが、営倉10日間が死を意味することを囚人誰もが知っている。
昼間の労働で40過ぎてブロック運びに奮闘し、
班員に認められ始めた矢先、彼は営倉で凍死するのである。気の毒である。


★この小説で、気になった人物


★シーザー 
国籍不明だが、金持ちで差し入れが来る。もと映画監督。
エイゼンシュタインに傾倒していて『イワン雷帝』『戦艦ポチョムキン』に詳しい。
『ポチョムキン』の腐った牛肉に涌いた蛆虫が大きすぎるが、
あれはミミズをつかったのではないかという、プロの批評眼を開陳する。
この指摘が、小説内で全く無意味で笑えた。ソルジェニーツィンのサービスか?


★チューリン
104班の班長。オヤジとして慕われている。
班員をかばって、職長に歯向かうシーンは感動的。
職長の後ろに回ってシャベルを構え、万が一に備えるパブロにも痺れる。
ノルマ査定がうまくいって、悦に入り、昼休みに自分の過去を話し出す。


このチューリンの話は、小説内小説なのだが、技術的に非常にうまい。
軍を追放され汽車に無賃乗車。車内でレニングラードの女学生に匿われた。
その後、その女学生と収容所で再会して、恩を返すという男気をみせたという話。
チューリンの人物像が立体的になる部分で、惹きつけられた。



★まとめ
この小説はイワン・デニーソヴィチ・ショーホフの『24時』である。
おそらくソルジェニーツツィンが収容所での何年間かで体験した出来事を
ボンボンと圧縮して詰め込んでして、1日にまとめたものだろう。


限られた時間の中に、かなりの事件と人物を凝縮して展開するという意味では
ディケンズの『クリスマス・カロル』やモーパッサンの『脂肪の塊』の
成立過程に通じるような作業を経て、生み出された小説だと思う。


食い物への執着や、ユーモアセンスもディケンズやモーパッサンに近い気がする。
日本の作家でこういう圧縮技術を得意とするのは、志賀直哉か永井荷風だと思う。


ふとん圧縮機にかけたような中篇小説というのは、19世紀的であり
今日さっぱり廃れたジャンルであるが、たまに読むと病みつきになる。

イワン・デニーソヴィチの一日 (新潮文庫)


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posted by 信州読書会 宮澤 at 12:22| Comment(0) | 収容所文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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