信州読書会 書評と備忘録

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カテゴリー:アメリカ文学

2013年07月25日

南回帰線 ヘンリー・ミラー 講談社文芸文庫

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郵便局に勤める主人公が…とはじめようと思ったが、
あらすじはまとめることが無理なのでやめようとおもう。



どこから読んでもいいと思うし、もしかすると読まなくてもいいと思う。
セリーヌはどんな膨大な長編小説でも全部三回書き直したらしいが、
ミラーも書き直しくらいしてると思う。
何回書き直したかは知らないが、もし仮に書き直していないにしても、
読者が途中で飽きないように10分の1くらいに削ってくれたとは思う。
そういうサービス精神にあふれた作品ではなかろうか。


小説であり、日記であり、妄想であり、思想書であり、読書感想文でもある。
唯一戦争体験の話が出てこないだけであった。
ミラーは古今東西のあらゆる名作を読んでいて、
「悪霊」のイヴォルギン将軍に触れたりするところが、私の琴線を刺激する。



あとがきに人間讃歌の書とあったが、そうなのだと思う。
どんな人間に対しても同じ目線で向き合っている気はする。
日本でいえば金子光晴に近い。パリつながりで。



話は変わるが、最近題名にひかれて本谷有希子の「生きているだけで、愛」を読んだ。
この題名は、ミラーの作品にふさわしいと思う。
残念ながらこの作品は、無意識の人間讃歌ではなく
なにやら、なげやりな自己肯定に終わっているが。


煮詰まった無職の作家志望の人にお薦めの作品。


なるべく喧騒の中で読んだ方がいい。


子供が騒いでいる昼間の郊外のマクドナルドがふさわしい。
そんな環境で集中して、一日二時間くらい読めば、一週間で読了する。


読後は、うるさいガキをいとおしい眼差しで眺めることができるし、
将来への不安も一瞬まぎれる。



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posted by 信州読書会 宮澤 at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

遠い声 遠い部屋 カポーティ 新潮文庫

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★あらすじ
母が亡くなり、母と離婚して離れて暮らしていた父親を探して
南部の小さな町ヌーンシティにやって来たジョエル。
だが、父親は全身麻痺で寝たきりになっており、
その原因は、父の面倒を見ている同性愛者ランドルフが
銃で背中を撃ったからだった。
13歳の少年ジョエルは、寝たきりになった父を実の父親として実感できない。


同性愛者でアル中のランドルフの住むランディングは、現実感覚が崩壊してゆく世界で、
そこに関わる人々も、おとぎ話の登場人物のように非現実的だった。
恐怖や性的な体験、狂気が渦巻く世界でジョエルは少しずつ大人になり、
やがて、迎えにきた叔母さんとともにその街を去る。



ゴシックホラーやファンタジーという要素が強く、
イメージに頼って成立している脆弱な小説だったが、
ヘンリー・ミラーの作品にあるような投げっぱなしのイメージではない。


カポーティが2年かけて実際の小説の舞台を綿密に取材して書いたので、
慎重に選ばれたイメージだけが使われている印象だった。
プロットもいい加減のようでいて読み通すと結構しっかりしている。



ゴシックのイメージ、性的なイメージ、牧歌的なイメージ
そういったジャンルごとのイメージが
主人公のジョエルの感覚を刺激して物語が展開していくという、
かなりアクロバティックな構成で、気持ち悪いが、新鮮だった。



とりわけ、黒人女性への暴行、小人の性、同性愛者、ロリコン、女装趣味、
こういったクイアーで不健康な性の世界を
純粋無垢な少年の視点を通して描くことで、
リリカルなファンタジーへと昇華させようとした
着想は比類ないものだと思う。


大江健三郎の初期作品「芽むしり 仔撃ち」や「飼育」に似て
性への目覚めと、自然への感受性が一緒くたになっている。


カポーティの作品ははじめて読んだが、しばらくは読みたくない。
目くるめく詩的言語とイメージの倒錯が、翻訳では読みづらい。疲れた。

ホラー小説として読むにはお薦めできるかもしれない作品。



遠い声遠い部屋 (新潮文庫)






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ラベル:カポーティ
posted by 信州読書会 宮澤 at 09:40| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

タイタンの妖女 カート・ヴォネガット・ジュニア ハヤカワ文庫

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★あらすじ
ラムファードは、地球から15万光年離れた
トラルファーマルドル星から送られてくる
「よろしく」というメッセージを載せた宇宙船の部品を
乗組員のサロに渡す使命があった。


そのために彼には時間等曲率漏斗という中に飛び込み
太陽系のあまねく場所に出没できる能力がある。

その部品を手に入れるため大富豪コンスタントは
ラムファードによって、火星に送られ、ラムファード夫人を犯し、
彼女との間に子供をもうけ、記憶を奪われて、
火星の兵士となり、親友を殺し、地球を襲い、地球人に惨敗し、
その後、新興宗教の贖罪の山羊になり、タイタンという惑星に送られる。
その人生の遍歴はラムファードがサロに宇宙船の部品を届けるための過程だった。



私の、いつもながらにまずいあらすじだと何の話か全くわからないが、
これは、アメリカの帝国主義批判のSFだと断言できる恐るべき作品だと思った。



ラムファードは、人間を火星に拉致して、記憶を奪い、洗脳して兵士にして
地球を襲わせる。襲わせた火星人は武力的に弱くて
地球の一般市民に簡単に殺されるが、地球の人間は、弱い火星人を殺した反省で、
みんながハンディキャップを負って平等になるという新興宗教を信仰する


ブッシュがビンラディンに武器と資金を与え、イスラム原理主義者に仕立て
貿易センタービルを襲わせて、米軍は無力なイラク人を報復によって殺し、
フセイン政権を倒し、イスラムシーア派の親米的政権を立ち上げ、
アメリカはアラブの石油利権を牛耳って、金融経済を謳歌する。

仮に9・11をアメリカの陰謀説ととれば、
ラムファードは、ブッシュ大統領じゃないかというぐらい似ていて
読んでいて途中で気味が悪くなった。(勝手に興奮しているみたいで恐縮です。)


とくに作中、『火星小史』という、ラムファードの書いた書物の中にある一節がそうだ。




『世界に重大な変化をもたらそうとするものは、ショウマンシップと、
他人の血を流すことに対するにこやかな熱心さと、
その流血のあとにくる短い悔悟と戦慄の時期を持ち込むべき、
もっともらしい新興宗教とを持たなければならない』




これは、アメリカの政治に対する痛烈な皮肉としか言い様がない。



『タイタンの妖女』では、全能の神ラムファードも結局
遠い惑星の操り人形でしかないのだが、
それ以上にラムファードに翻弄され、非業の運命をたどる
大富豪のコンスタントはアメリカ人のカリカチュアとである。



私はSFをほとんど読まないし、読んでも、
フィリップ・K・ディックの映画化された何作かだけだったので
こんなすごい作品があるのかと正直驚いた。



実際読んでみて、100ページ目くらいまでは意味がわからず投げ出そうとさえした。
雑な人物描写や滑稽な小説設定に慣れなかったからだ。
しかし、一度SFの設定に慣れると、ようやく面白くなり、一気に引き込まれた。



村上春樹が影響を受けたとか、爆笑問題の太田がこの作品に影響を受けて
事務所の名前を「タイタン」にしたとか、どうでもいいことだけ知っていて
『タイタンの妖女』を読まずして、かなりナメていましたが、反省しました。


いまさらで、とても恥ずかしいです。すみませんでした。
誰かに謝りたいです。まず、ヴォネガットに謝りたい。SFをナメてすみません。
そして、もうすでに読んでいる方にも謝りたいです。そんな一冊です。超お薦め。


ロックフェラー財閥と金融ユダヤ資本批判の書です。
アメリカのSFやスパイ小説は、情報機関出身の作家が書いているので
単なるファンタジーではないそうです。


シュガーマンなどのコピーライターも情報機関出身です。



タイタンの妖女 (ハヤカワ文庫 SF 262)

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posted by 信州読書会 宮澤 at 09:39| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

愛のゆくえ リチャード・ブローティガン ハヤカワepi文庫


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★あらすじ

自費出版の本を受け取り、保管する図書館に勤める主人公のもとに
絶世の美女、ヴァイダがやってきて、恋に落ち、同棲をはじめる。
ヴァイダはあまりに美しいので、周囲の過剰な視線を浴びるので
自分の美しさを嫌悪している。


ヴァイダは主人公の子を身ごもるが、育てられないといい、
二人でメキシコの堕胎専門の産婦人科にゆき、堕胎する。


小説の原題は「The Abortion」で堕胎という意味である。
とはいっても、堕胎に関する倫理的な懊悩をめぐっての小説ではない。
堕胎をした後もふたりは仲良く、新しい生活をはじめる。


この小説を読んで、福田恒存が「私の幸福論 」(ちくま文庫)のある一説を思い出した。
彼は、アメリカの若い女性(17歳を過ぎた女性)がどうも好きになれないという
その理由を、長くなるが以下に引用する。


なるほど、ニューヨークには、確かに美人が多い私の友達がいったように、街を歩いていると『ふるいつきたくなるような美人』によく出あう。お化粧はうまいし、姿はいいし、服もしゃれている。一口に言えば、かれらは女性の典型であります。が、この典型のうちには、典型であるがゆえに、複雑な夾雑物の存在がぜんぜん許されない。あるのはセックスだけです。セックスだけが男女の別を分かつものと、はなはだ合理主義的な判断をくだし、それを追求していったためでしょう。残ったものは、女のセックスそのものではなく、バスト、ウェイスト、ヒップなどに計量化できるセックスの型見本にすぎない、そういう感じをいだかせます。





福田恒存は、「セックス」がむき出しにされていて、
その先の複雑な夾雑物たる人間性に関心のない
アメリカの若い女性に、うわべの美しさに驚嘆こそすれ、同時に興ざめを感じたという。


この発言を踏まえると、セックス対象物として見られることを拒否した
ヴァイダの落ち着いた知的な女性像は、日本でこそ印象は薄いが、
アメリカにおいては一つの自由への挑戦なのではないかと思う。


セックスを主題とした小説であれば、堕胎も倫理的な問題になるが、
「愛のゆくえ」では、堕胎は、計量化されたセックスへの極端な拒否であり、
同時に選び取った人生の自由であるために、倫理的な問題として取り扱われない。


つまり、物質文明を拒否して生活している主人公とヴァイダの
積極的な選択として堕胎があるので、その選択には倫理上の対決もあるのだろう。


セックスを快楽ではなく、主人公とヴァイダの人生の通路としてブローディカンは
描いたのからこそ、堕胎も倫理的である。
逆に避妊することのほうが、セックスを単なる快楽手段と認めてしまうことになるのだ。
その常識的な考えが、アメリカにおいては困難なのではなかろうか。


至って平明だが、アメリカ社会のセックスの息苦しさと対決している手応えのある小説だと思う。


愛のゆくえ (ハヤカワepi文庫)



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posted by 信州読書会 宮澤 at 09:11| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

二十日鼠と人間 スタインベック 新潮文庫


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★あらすじ
南カリフォルニアの農場を渡り歩くふたりの労働者ジョージとレニー。
レニーはうすのろの大男で、小動物を溺愛している。
そんなレニーの庇護者として振舞うジョージは、
レニーがいなければ自分が孤独に耐え切れず、
賭博と女で金を全部遣ってしまうことを知っている。


いつか農場を手に入れることを夢みて、金を貯めるため、ふたりはある農場に職を見つける。
しかし、農場の親方の息子カーリー夫妻のいざこざにまきこまれ、


カーリーの妻をレニーはそのバカ力で殺してしまう。
ジョージは、カーリーがレニーをリンチする前に、レニーを自らの手で射殺する。



★感想
戯曲形式で書かれた悲劇的な小説。
悲劇的なというのは、アリストテレスが『メーデイア』を評して述べた。
「自分が何をする知りそのことに気づいていながら行為する」という意味で。



ジョージは、カーリー夫妻に出会ったときにすでに、悲劇を予感している。
ジョー・ペシみたいな乱暴者カーリーと、その淫乱な妻によって
なんらかの暴力的な事件が起こることをすでに知っている。



ジョージすでに神託が下されたことを理解している。
レニーが誰かを殺すという事実を知っていながら気づかないふりをしているだけである。
レニーが、カーリーの妻の首をへし折るまでの事件を目の当たりにして
結構冷静なのは、その証拠である。
レニーをカールソンから盗んだ拳銃で射殺するまで、ジョージは自覚的である。
遁れがたい宿命に自分で始末をつけたので、悲劇である。


しかしながら、ジョージがあまりに『ブロークバック・マウンテン』な人なので
その辺に敢えて筆を進めないスタインベックに不満が残るが…。
スリムはその辺のことまでわかっていながら黙っていたということなのだろうか。
そう考えると、一番得したのはスリムでしかない。ここは、農場の政治的な問題だ。
実は、もう一章描いて、農場の人びとのその後まで書かなければ、読者に不親切な作品である。


ハツカネズミと人間 (新潮文庫)


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posted by 信州読書会 宮澤 at 08:42| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月15日

マリー・ロジェの謎 丸谷才一訳 ポオ小説全集3 創元推理文庫


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★あらすじ


モルグ街の殺人事件の続編。


『モルグ街』のレスパネー夫人とその娘の惨殺事件を、卓越した推理で解決し、
パリの当局からも賛嘆された、陰鬱な勲爵士デュパンが、
今度は、二年後のマリー・ロジェ殺人事件の
真相に迫るべく頭脳をフル回転させる話である。

マリー・ロジェは、今でいうとデパートの一階にいるような美貌のカリスマ美容部員である。
彼女はある日失踪する。
一週間後に彼女は叔母の家に居たとして、戻ってくるが、その五ヶ月後に、再び失踪。
今度は、セーヌ河に腐乱死体となって発見される。

被害者の美貌もあいまって事件は、新聞で派手に報道される。


上流の森の中に、彼女が暴行を受けたと思わしき、
いろいろな遺品やら状況証拠が見つかり、彼女は
複数のならず者によってなぶり殺されたとされるが、
多額の懸賞金がかけられても犯人は見つからない。


パリジャンはもともと警察が嫌いなので
事件がいつまでたっても解決しないことで
警察への反感が一気に高まり、暴動まで起こり、
世論は、この事件を社会問題にしはじめる。
何人か容疑者が出るが、皆証拠不十分で次々と無罪釈放される。

威信が危殆に瀕したパリ警察はデュパンに白羽の矢を立てる。


デュパンは、警視総監から証拠物件に関する講義を一晩聴き、
それからやおら、あらゆる新聞報道を隈なく読み、検死結果や物証、
そしてマリーのアリバイに関する捜査や報道の誤謬を次々とあげつらい、
アームチェア・ディテクティブによる科学的な検証を行いながら、
新聞報道の先入観によって作り上げられた犯行状況に反証を挙げ
まったく別の状況を再構築する。


その結果、事件は、複数による犯行でなく、単独の犯行であると
デュパンは断定する。


さらに、真犯人は、事件を複数犯によるものだと印象づけようとする


大量の投書を、一般市民に擬して各新聞社に宛てて送っており、
捜査かく乱行為までしているような、知能犯であることを、
新聞の投書を読み込むだけで、デュパンは見破ってしまう。



その犯人は……たぶんあの人。

っていうか、推理だけしまくって犯人はつかまらず完。


★感想
メアリー・シシリア・ロジャース殺人事件という実際の事件を元に
作られた推理小説だと、冒頭に書かれているが、
それが、ポーの気の利いたブラフなのか、事実なのか、
そこまで調べてないので、最初はよくわからなかった。


まあ、ネットで調べてみると、アメリカで起こった実際の殺人事件らしく、
ポーは、その事件の舞台をパリに移して、創作したらしい。
ちなみに、この小説の研究書はいくつも出されている。

読みどころは、新聞報道を手がかりに推理していく際の、
デュパンの偏執狂ともいえるような数学的な思考の過程である。



ただ、個人情報保護法よって、マスコミ報道が制限され、
DNA鑑定によって、捜査の精度があがった現在では、
こんな複雑で、野暮ったい推理を駆使されたら、私は困惑するだろう。
それでもやはり、読んでいて、興奮させられる思弁的な面白さがある。



推理小説のなぞ解きの面白さとは別の評価として、この小説は、
語り手の私に、ひたすらデュパンが推理を弁ずるという構成によって
登場人物の自意識の相対化がなされている。


つまりは、語り手とデュパンが、合わせ鏡のように一対となり、
その反射の中で、二人の自意識が消失して
事件をそのまま客観的な主題にすることに成功している。



つまりは、批評を作品に組み込んだ実験的構成が創作されている。
この実験の成功は、やはり文学史に多大な影響を与えていると思う。


そして、マスメディアが無意識に捏造する先入観に対してメスを入れ、
付随的で興味深い細部から、その背後にある事実を探り当て、認識論的布置を、
ひっくり返していくという仕掛けによって、ポーは作品にその時代を反映させた。


うつろいやすい現代性(モデルニテ)、それは、当時のマスメディアあり方である。
たとえば、新聞投書が、世論を誘導しているという設定には、批評的先見性がある。
これは、新聞広告を、事件の解決に用いた『モルグ街』の先見性に匹敵する。


そんなこんなで、この推理小説は、アームチェア・ディテクティブものの古典である。
ちなみに、新潮文庫の佐々木直次郎訳より、丸谷才一訳の方が読みやすいと思う。

ポオ小説全集 3 (創元推理文庫 522-3)



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posted by 信州読書会 宮澤 at 14:37| Comment(0) | アメリカ文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月13日

モルグ街の殺人事件 ポー 新潮文庫


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★あらすじ
モルグ街の四階建てアパートで老婦人とその娘が惨殺されるという事件が勃発。
老婦人は、首を剃刀で切断され、アパートの中庭に投げ落とされていた。
その娘は、暖炉の煙突の中に、逆さに入れられていた。



警察は、残忍で異常な事件を解決できない。
事件後、現場にかけつけた人々の証言に語られた
鋭い叫び声と、何語かわからない言葉、あと動物の毛が唯一の手がかり。


主人公私の友人、デュパンが、名推理で犯人を突き止める。


★感想


推理小説の古典。


私は、推理小説は、読まないのだが、
デュパンという人物には、惹かれるものがあって読んだ。
空想的憂鬱質で、教養をさりげなくほのめかす、嫌な人間である。
デュパンを、主人公の私の視点から描くという変則的な一人称小説。


デュパンというのは、過剰に教養があって、金利でつつましく暮らしている。
主人公と彼は、フランスの小さな図書館で同じ稀覯本を探していた縁で仲良くなる。
あまりにも、つつましいので、主人公と同居しているのである。



事件の推理に入る前に、主人公による
チェスと西洋の碁とホイストというゲームに関する考察が入る。
これが、デュパンの思考回路の説明になっていて、興味深い。


それから、主人公が、散歩中にある役者のことを考えていたのを、
まるで、頭の中身を覗いたかのようにデュパンが透視したエピソードが語られる。
精神分析が生まれる以前に、デュパンこそが精神分析医である。


前半部、デュパンの思考様式のエッセンスの描写が圧倒的に面白かった。
これだけ、独立していればヴァレリーの『ムッシュー・テスト』とかわらない作品だ。



「星をちらりと見ることが、星の輝きがいちばんよくわかるのだ」


というデュパンの言葉の通り、彼は、一見して瑣末な事象から
事件の情況そのものの認識的付置を引っくり返し、真実を露呈させるのである。



ただ、事件の真相、及び犯人は、
まあ、やや非現実的で、ああ、あうあうあ、である。



しかし、事件解決に当たって、重要人物を新聞広告で呼び出すという
手の込んだ仕掛けは、今もなお、色褪せないていない。スリリングである。
メディア文化の登場と、事件の解決が密接に関わった文化史的な側面もある。


いまの推理作家が書くとしたら、出会い系サイトに絡んだ殺人事件を
出会い系サイトを逆用して、犯人を誘き寄せ、突きとめるということになると思う。



重要なのは、ぺダントリーがセンスよく織り交ぜられていないと作品は本当にくだらなくなることだ。
謎解き自体には、個人的にあまり興味がもてない。


ポーは、作品内に、なかなか含蓄ある引用を展開している。そこが魅力的。
デュパンという人物自体が、書物の引用から出来ている非現実的な人物とも言える。

モルグ街の殺人事件



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posted by 信州読書会 宮澤 at 12:45| Comment(0) | アメリカ文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

悪魔に首を賭けるな ポオ小説全集V 創元推理文庫

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母親から虐待を受けて育ったトビー・ダミットは、
粗暴かつ陰険で、どうしようもない青年になる。


「悪魔にこの首を賭けてもいいが」という悪態が口癖であるが、
それは彼が、首以外に何も賭けるものがないほど貧乏だからである。



ある日、語り手たる私と散歩に出かけ、鉄棒がアーチとして並ぶ橋を渡る。
橋の中ほどには、回転木戸があり、ダミットは風狂から、
この木戸を、ジャンプしてその真上で両足をバッととじる脚芸をやるといいだす。


そして「悪魔に首を賭けてもいいが」できると断言する。



木戸の向こうには、小柄な黒ずくめの紳士がおり、ダミットの悪ふざけを
咎めるように咳払いをしている。


ダミットは、この奇妙な紳士とふたりきりになって説き伏せ、
かくして、回転木戸を飛び越える。上首尾に飛び越え、脚芸もこなすが、
そのまま木戸の手前に仰向けに倒れこんでしまう。


その瞬間、小柄な紳士は、前掛けに何かを包んで走り去る。



哀れなダミットは、首なしの死体となって倒れていた。
ジャンプしたときに橋のアーチに首をかけてしまったのだった。


ダミットの首は行方不明である。



★感想
この怪奇小説に教訓を読み取るなと、ポーは冒頭で述べている。
なんだけれども、カーライルの超絶思想を、執拗に皮肉ることで
ぺダンティックにしている以上は、なんらかの教訓を読み取りたくなる。



しかし、私はカーライルの著作についても、彼の超絶思想についても
何も知らないし、内村鑑三の著作を通じて辛うじてカーライルが
どういう人物か知るくらいなので、因果を語ることはできない。


とりあえず、フェリーニらのオムニバス映画『世にも怪奇な物語』の
第3話の『悪魔の首飾り』の原案となったのがこの短編怪奇小説である。


トビー・ダミットは、テレンス・スタンプが演じている。





ポオ小説全集 3 (創元推理文庫 522-3)




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posted by 信州読書会 宮澤 at 12:29| Comment(0) | アメリカ文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

愛と笑いの夜 ヘンリー・ミラー 角川文庫


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★『頭蓋骨が洗濯版のアル中退役軍人』あらすじ
主人公の私とその友人ラットナーは、酒場の帰り道でアル中の退役軍人にからまれ、
しぶしぶ、彼と一緒にもう一軒ハシゴすることになる。


彼から、大げさな身振りで虚栄心に満ちた自己語りをきかされる。
本心では同情を求めながらも、同情を示されると頑なに拒否し
悦に入って不幸話を繰り返す彼を、私は最後に冷たく突き放す。


ホテルに戻ってから、私は友人に、彼の語った話をあざやかに分析してみせる。
ほとんど全ての話を作り話だと断定し、彼のような救いのない落伍者に対する所見を述べる。


★感想
ヘンリー・ミラーの作品の中で最も私が好きな短編集だ。。
だらだらとした彼の長編に比べて、短編は思いのほか切れ味があるで意外な感に打たる。



この作品は、ミラーが人生の敗北者に対して投げかけたひとつの啓示である。
勤め人時代に同じような敗北者たちを大勢救おうとして果たせず、傷つき
また、自らも同じような敗北者にはからずもなってしまったことのあるミラー。
その境遇から、自力で更正した体験から導き出した、力強い論理を展開している。


「この世には、なにも問わず惜しみなく与え、許す人たちがいるし、また、なんだかんだと勝手な理屈を並べ立てて、人を助けようとしない手合いもいる。そういった手合いは、親切で寛容な人間には永久になれない。両者の隔たりは途方もなく大きい。一方は、太っ腹で、辛抱強く広い心の持ち主で、慈悲深く生まれついている。もう一方は、宗教や教育によったって、そんなふうにはなれやしない。西暦五六九二七年になっても、この二階級の人間はまだ残っているだろう。そして、この両者のあいだには、常に陰の世界、ただ虚しくのたうちまわり、世界が眠っているときに、通りを苦痛であえぎながら歩いている亡者どもの世界が存在する……」


とミラーは述べる。






ミラーは、この作品で亡者たちの敵でも味方でもなく、そこから教訓を引き出すでもなく
ただ、亡者=落伍者が夜の街にさまよっている現実にスポットライトを当てたに過ぎない。





訳者の吉行淳之介は、あるエッセイで
「人に善意を施すときは、二倍の悪意でお返しされても恨まないと
誓ってから行うこと」という内容のことを述べていた。


凡人はなかなかそんな境地まで達観できないものだ…。



他人に対して非情になるのは簡単なことですが、努めて寛容になるのはかなり大変なことである。
人は生きていく上で、この作品に登場するアル中の退役軍人のような
人生の落伍者に出会うことは避けられません。厄介に巻き込まれることもある。
そういうとき自分はどうするのか? 彼、または彼女にどんな態度で臨むのか?
いろいろなことを考えさせられる作品です。洞察力に満ちた傑作。お薦め。


愛と笑いの夜 (福武文庫)


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posted by 信州読書会 宮澤 at 12:03| Comment(0) | アメリカ文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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