信州読書会 書評と備忘録

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カテゴリー:ノンフィクション

2013年07月25日

大本営参謀の情報戦記 −情報なき国家の悲劇 堀栄三 文春文庫


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大本営参謀として情報部において米英担当し、
マッカーサーの参謀とまで謳われるほど高度な情報分析を行った堀栄三参謀の回顧録。
日本の敗戦の原因を、情報の不在から具体的に説き起こした名著である。



ミッドウェー海戦での敗北を機に守勢に回る日本軍において、
アメリカ軍が制空権を完全に掌握し、「飛び石作戦のローテーション」と呼ばれる戦法で
次々に日本軍を玉砕させていく中、
その戦法をいち早く見抜き、アメリカ軍の上陸地点の予測や戦力の分析によって、
フィリピンでの第一師団の持久作戦を可能にした事実が明らかにされている。


しかしながら、情報部米英課ができたのが、太平洋戦争開始から6ヶ月後であることや、
大陸戦しか経験してこなかった司令部が、制空権を軽視していたこと、
作戦部が情報部の電報を故意に握りつぶし、悪名高い大本営発表によって戦況をますます悪化させたことなど、
情報戦においてすべて米軍の後手にまわるしかなかった日本軍のお粗末な状況が赤裸々に描かれている。


『政治も教育も企業活動も、一握りの指導者の戦略の失敗を、
戦術や戦闘で取り戻すことは不可能である。』




という著者の指摘は、現代日本の構造的欠陥への鋭い批判とも読める。



戦史研究の書としては必読の書であり、
先の戦争を民衆の視点から描いた戦争文学(たとえば原民喜の「夏の花」)と
軍務に関わったものの記録としての本書を交互に読むことで敗戦からの教訓は導き出されなければならない。
本書を読んで大岡昇平の「レイテ戦記」の作品の意味もわかってきた気がした。



敗戦後、軍人であった父に、「負け戦を得意になって書いて銭を貰うな!」と諌められ
長い沈黙を守ってきた堀栄三を一年かけて説得し、この書を書かせた保坂正康の情熱もみごとだ。



大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫)

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posted by 信州読書会 宮澤 at 10:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

瀬島龍三 参謀の昭和史 保坂正康 文春文庫

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瀬島 龍三(せじま りゅうぞう、1911年12月9日 - 2007年9月4日)は、
大日本帝国陸軍の軍人、日本の実業家。陸軍士官学校第44期次席、
陸軍大学校第51期首席。大本営作戦参謀などを歴任し、最終階級は陸軍中佐。
戦後は伊藤忠商事会長。


ウィキペディアより。


大本営参謀→シベリア捕虜→伊藤忠商事会長→第二臨調副会長 と
昭和史節目節目にその姿をあらわした
謎多き男の真実をあばくノンフィクションである。
瀬島龍三は山崎豊子の『不毛地帯』の壹岐正のモデルともいわれるが、
『不毛地帯』は未読。長いのでしばらく読まないだろう。
ともかく、陸軍のエリートがどんなものだったかわかるので興奮する。


『沈黙のファイル』は資料が豊富だが、保坂氏の描く「瀬島龍三」のほうが、
瀬島の履歴改ざん(ロシア捕虜時代の話や参謀としてのソ連との敗戦協定の話)を
弾劾しつつも著者の瀬島に対する愛が伝わってエロティックだと思う。



保坂氏の著作の、ことのほか小説的な記述に鼻白む向きもあるが、
保坂氏が取材過程で発掘した元情報参謀、堀栄三氏の著作など
ノンフィクションならでは新事実発見ドラマがあるのが見所。

瀬島龍三は中曽根政権(1982年〜1987年)のブレーンとして、
第二次臨時行政調査会(土光臨調)委員などを務め、政治の世界でも活躍。


ソ連、アメリカのどちらの情報機関にも人脈があったとされるが、
詳細はいまだ不明です。

瀬島龍三―参謀の昭和史 (文春文庫)








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posted by 信州読書会 宮澤 at 10:33| Comment(0) | TrackBack(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あぶく銭師たちよ! 昭和虚人伝 佐野眞一 ちくま文庫

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「プチプチプチプチプチシルマ〜♪」ってご存知だろうか。
ゴールデンのCMで志村けんと研ナオコが出てるやつです。


あれっておもいきりネットワークビジネス、つまりマルチ商法まがいです。
最近はちらほら店頭販売してるけど、2年前ぐらいは一切店頭販売してなくて
怪しい個人代理店を通して50粒20000円とか、そんな感じの法外な値段で取引されてた。
以前に、私はプチシルマ体験会に連れて行かれて、ひどい目にあった経験がある。



体験会とは名ばかり、ベンツやシーマが並ぶ郊外の掘っ立て小屋で
ホストみたいなチャラいギャル男がサクラでいっぱいの異様な会場内。
「今日は新規3名です」ってひきこもりの学生みたいな人が無理矢理連れてこられてて
サクラの野郎が演じるインチキな体験談や与太話をえんえん聴かされていた。



例えば、ゲルマニウムのネックレスを巻いたレモンが半年腐らないよ、とか
体の重心が安定して血流がよくなるとか、胡散臭い実演を交えて説明され
挙句の果て、プチシルマの原料であるゲルマニウムの宝飾品を買わされて
さらに、お友達にも売るとお金が一杯入ってくるよという
ネットワークビジネスの勧誘で終わる。
これでは私は、去年1千万稼ぎましたよ! とギラギラした顔でおっさんが説得してきた。
彼がラスベガスで豪遊している写真まで見せられたので、走って逃げました。泣きながら・°・(ノД`)・°・


この体験会で最初に観せられたのが、「ズバリいうわよ!」で放映された


細木数子と渡哲也のトークである。
渡が最近ゲルマニウムブレスレットをつけたら体調がいいと、
細木に勧め、「私も欲しい〜どこで売ってンの」と細木が応えるシーンのビデオ。
番組進行に何の関係もなく、広告的ヤラセとしか思われない一連のやり取りだが、
これが志村のCMとともに、体験会でゲルマニウムの効用の権威付けに使用されていた。


さて、昨今の細木ブームとその後を追う週刊誌の細木バッシング
その先鞭をつけたのが御大、佐野眞一の「あぶく銭師たちよ!」である。


実際、初期の細木バッシングが週刊文春で掲載されたときに引用されたのは
本書所収の「大殺界の怪女・細木数子の乱調」というレポートだ。
これは初出が1987年8月号の文藝春秋なので、かなり早い時期の取材だ。



細木の生い立ち、その家系の複雑さ、闇社会との関係、島倉千代子事件、安岡正篤事件、
墓石屋、仏壇屋との霊感商法まがいの癒着などを暴き立てていて、その筆誅は今なお新鮮。



個人的には細木が三十歳くらいの頃、詐欺紳士に騙されて
十億の借金を背負った話が面白かった。
結局、修羅場をくぐった人間の人生相談であって、彼女のは占いじゃないよ。


ゲルマニウム商法の広告塔も買って出るのだから、彼女の闇の深さは測りがたい。
現在のTVの持ち上げようは罪深い。たぶんサッチーのときより罪深い。
その裏で若者に被害者を出していることを知るべきだと思う。


「プチシルマ」の製造元である株式会社レダと細木のつながりを
暴露する記事があったら読みたいです。


いずれにせよ、私をマルチ商法から守ってくれた一冊なのでお薦め。



あぶく銭師たちよ!―昭和虚人伝 (ちくま文庫)




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posted by 信州読書会 宮澤 at 10:08| Comment(0) | TrackBack(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小泉政権 −非情の歳月 佐野眞一 文春文庫

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足で稼ぐノンフィクション作家、佐野真一が小泉純一郎の周辺に迫った書。
飯島秘書官、田中真紀子、姉の小泉信子という小泉前総理を支えた人々の新事実が明らかになる。


飯島秘書官の不遇な生い立ち、
立花隆の「政治と情念 」にも触れられていない
田中真紀子の周辺情報、自民党離党後の近況、地元での評判
そして、マスコミに決して姿を現さない「奥の院」小泉信子と小泉を支える「女系一家」の実態が明らかにされている。


特に小泉の一番上の姉道子の夫、義兄竹本公輔に関する事実はスリリング。



この辺はほとんど探偵小説みたいな感じだ。
とにかく周辺人物をすべて取材にまわるというドブ板的手法が佐野作品の魅力だろう。
ただ、佐野氏自身が、取材相手に感情移入しそうになる手前で、
踏みとどまるという、一連の逡巡もいいかげんお約束になってきたと感じる。
(あと佐野氏が、異形※武田泰淳とか婦系図※泉鏡花とか、
純文学作品を連想させる惹句を仰々しく連発するのも、ちょっと飽きてきた。)


飯島秘書官以外は、本人へのインタビューがないというのも
小泉政権の救いがたい暗部を示唆していて気味が悪い。



追記
この感想書いて7年経ちました。
もっといろいろな政治的真実を知りました。


佐野眞一のノンフィクションはもう読まないけど、
書けるギリギリのラインで仕事するっていうのはつらいですね。

書店で買えるノンフィクションなんか全部つまらないですよ。
買うだけ無駄です。

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posted by 信州読書会 宮澤 at 09:54| Comment(0) | TrackBack(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

硫黄島の星条旗 ジェイムズ・ブラッドリー 文春文庫

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硫黄島の戦いでの星条旗掲揚の写真を巡ってのドキュメント。
星条旗を掲揚した6人の若者のうち生還した3人は
帰国後、祖国の英雄として迎えられる。
全米に熱狂的に迎えられた彼らの運命は一変する。
その後、米国債を売るための広告塔として政治的に利用され、
3人は全米各地をツアーに回る。



衛生兵として数多くの兵士の手当てをしながら
国旗掲揚のシーンに偶然にも入ってしまった
著者の父親、ジョン・ブラッドリーはこう述べる。


「ずっと忘れないでもらいたいことがあるんだ。
硫黄島のヒーローは、帰ってこなかった連中だ。」




7000人が死に、2万3000人が負傷した硫黄島の海兵隊の
帰還兵たちはPTSDに悩まされ、多くが帰国後に発症した。
星条旗掲揚のメンバーのひとりであるアイラも例外ではなく
アルコールに溺れ、非業の死を遂げる。


ジョン・ブラッドリーは、マスコミから身を避け、
死ぬまで、硫黄島での出来事を語りたがらなかった。
自分の生活と家族を守ることに全力を尽くした。
一生、死者を代表して、勝利を語ることを恥じていたのだ。


著者は日本に住んでいたこともあり、本書は日本人への尊敬もあふれている。
彼は、戦争以前の1千年以上続く日本文化の伝統に
心打たれて、父親に日本も戦争の被害者ではないかと尋ねた。
父親は、ただうなずいていただけだという。



勝利したアメリカ軍の若者たちが、過ごしたその後の人生。
戦争に傷ついたアメリカは、今もなお続いている。
硫黄島の星条旗 (文春文庫)



ぜひ、本ブログでも紹介した日本側の記録
散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道  梯 久美子 新潮社



と読み比べてほしい一冊。

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posted by 信州読書会 宮澤 at 09:42| Comment(0) | TrackBack(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

プロレス少女伝説 井田真木子 文春文庫


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男子プロレスの歴史は、わかりやすい。
外人レスラーにカラテチョップをくらわせる力道山のイメージで
基本的には、アメリカを倒すという物語によって、支えられている。


全盛期の新日本プロレスのIWGP構想も、リングスも、プライドも
外国人を日本人が倒すという物語が成立することで、幅広い支持を受けている。


誰が一番強いかというよりも、強い日本人の活躍が観たいという
ナショナリスティックな欲望に支えられないと、観客を集められない。
メインイベントが外国人同士の試合などは、コアなファンしか見ないものだ。



アメリカにおいて男子プロレスの傍系として、生まれた女子プロレスは、
日本に相撲に対する、女相撲の発生にルーツを持つと筆者は主張する。
その点で、スポーツ性よりも演劇性にバイアスがかかる。
女子レスラーに熱狂的に陶酔する少女ファンと、格闘技として観戦する男性ファン
そういった支持層の不明確さが常に付きまとっている。



本書は予めそうしたナショナリズムが機能しにくい不安定な基盤にある
女子プロレス興隆期のレスラーの軌跡を扱ったノンフィクションである。


クラッシュギャルズとして女子プロレスブームを牽引した長与千種、
柔道からプロレスラーに転身した神取しのぶ、
日本人と中国人のハーフであり12歳で日本に帰化した天田麗文、


インディアン系の白人レスラーであるメデューサ・ミシェリーの半生が語られている。
それぞれにとって、女子プロレスの意味合いは違うが、かなりの熱意で
プロレスという極めて演劇性の強いスポーツに惹き付けられていたのがわかる。


しかし、女子プロレスの興行的な不安定さと、その存立基盤の脆弱さによって
彼女達を決して自己実現させてくれないという矛盾を鋭く描き出している。



女子プロレスは現在、女子柔道、アマチュア女子レスリングの
台頭とは反対に、その中へ発展解消されたかのように、ビジネスではなくなった。
全女は2005年4月17日の後楽園ホール大会 を最後に解散。


女子格闘技は、オリンピック競技という世界に吸い込まれてしまった。
天田は1986年の第一回アマチュアレスリング世界大会に日本代表として
出場し同じ階級の対戦選手がいなかったため優勝してしまうという挿話が興味深い。
女子アマレスの歴史の急激な発展が逆説的に描かれていている。


長与千種は「私が、女子プロレスにふりがなを振った」と自負しているが、
現在プロレス自体に、観客を惹きつけるようなふりがながふれなくなっている。
それどころか、あらゆるジャンルにふりがながふれないという事態が蔓延している。


女子プロレスの革新期の記録だが、
一般にポストモダンよばれる混沌時代幕開けの症例報告としても読めるので、お薦め。



プロレス少女伝説 (文春文庫)


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posted by 信州読書会 宮澤 at 09:12| Comment(0) | TrackBack(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月13日

国家の罠 佐藤優  新潮文庫


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小泉政権初期に外務省めぐる『鈴木宗男事件』で連座された
ノンキャリア外務官僚のハードボイルド・ノンフィクション。


佐藤氏は、国策捜査によって「背任」と「偽計業務妨害」容疑で起訴された。
佐藤優氏は、北方領土返還という『国益』を追求したが
小泉政権誕生による政治的な地殻変動により、
鈴木氏が経世会の後ろ盾を失い、パージされたと主張している。


この辺の自己分析は説得力があるので私としては事実だと思った。お気の毒である。


前半は、ロシアといういいかげんな国家を相手としての
外交官の情報取得や分析の手法というものが開陳されていて、
そのほとんどがウォッカの一気飲みやサウナでの懇談など
属人的な泥臭い業務であることが、不謹慎であるが笑えた。


後半は、拘置所の佐藤氏と西村検事との国策捜査をめぐる鬼気迫る攻防が
心理的な駆け引きを通して生々しく面白く描かれている。読み応えあり。


佐藤氏が「偽計業務妨害」で関係を持った三井物産の対露情報の手法を
満鉄調査部の伝統を継承していると指摘しているが、
佐藤氏自身が関東軍作戦課の中堅参謀みたいな人物ではないかと私は思う。


満州事変以後、大本営の課長クラスの参謀が現場で暴走し始めたのと
同じような焦燥に満ちた独善主義を佐藤氏の言動に感じた。


ノモンハンを例としてあげるまでもなく、ロシアを相手にすると何でこんなに
日本人は熱くなるのだろう。暑苦しいまでに。


彼が、暴走どころか、ほんの勇み足で国策捜査の餌食になったのは
穿った見方だが、喜ぶべきかもしれない、なんて思ったりするのである。


あるいは瀬島龍三ばりにロシアの官憲に捕まって
シベリアの強制収容所に入っていれば
帰国後商社に入って、表舞台への復権のチャンスもあったかもしれない。
まあ、ポロニウムで暗殺だけは避けたいところだろうが。


彼の唱える北方領土返還という「国益」が、ほとんど信仰の域に達していて、
ほとんどわけのわからない情熱まで高められていることに失礼だがやや胡散臭さを感じた。


個人的な動機が希薄である。彼の身を捨てるまでのロマンにあまり必然性を感じない。
彼の思想的な背景というものが今ひとつわからない。
反ソ反共と訴えながらも、佐藤氏のたたずまいは明らかに極左的であるのが不思議だ。


ロシアの二重スパイとまでは本人の名誉のためにも思わないが、
ミイラ取りがミイラになったというようなロシアへの過剰な感情移入を感じる。


だいたい、佐藤氏のやっていたような地道な情報活動が積み重ねれば
北方領土が還ってくるのだろうか? ここが結構疑問である。


いくらロシアの政治の内在的ロジックに通暁して、作戦を立てても
戦争とかよっぽど大きな政治的変動がなければ北方領土は還ってこない気がする。 
時を稼いで、じっとタイミングを計る忍耐も外交官の資質には求められるのだろう。


日本の政治状況の分析としては勉強になる本である。
情報をわかりやすく分析できる人である。まさに論壇を席巻する作家だと思う。


だが、その才気走った明晰さと性急さが、
読後の余韻を奪うところがあり、落胆をおぼえもする。




中村光夫が小林秀雄と福田恒存との鼎談で以下のように述べている。





『ロシア語を勉強した人は、何か日本の社会で出世しないものがある。
日本の社会に合わなくなる、何か妙なものができるらしい。(中略)
没入して、何かロシアにやられちゃうようになるんじゃないか。』





二葉亭四迷以来のロシア通への呪われた宿命である。恐らくそれと佐藤優氏も無縁でない。


ロシアおそろしや。


追記
この記事書いたのは7年前ですが、今となっては、
やはり、日本というのはアメリカのアライアンスなので
ロシアよりの人は、干されるみたいだというのがわかりました。


私はロシア文学部出身なので、
大学卒業して辛酸を嘗めた何十年がありました。


でも、これからはロシア、中国が世界の中心になると思いますよ。

アメリカの覇権は、2020年までに崩壊すると思います。

小林秀雄などの仏文の系譜が日本文化を良質的な部分を
担っていたというのは、
ある意味、消極的な反米思想だったのだと思います。

それがよかったのかどうかまだ、わからないですが・・・。

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)




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ラベル:佐藤優 
posted by 信州読書会 宮澤 at 12:04| Comment(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月11日

囚人狂時代 見沢知廉 新潮文庫


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新右翼民族派のリーダーとして
1982年の英国大使館火炎瓶ゲリラ、スパイ粛清事件に関与し
全国に指名手配され出頭し、政治思想犯として懲役12年を受けた著者の獄中体験記。
殺人犯が八割、超凶悪犯だらけの刑務所の生々しい実態が描かれている。



拘置所内での三越元社長の岡田茂氏やホテル・ニュージャパンの横井英樹氏の印象
また、刑務所でのあさま山荘事件犯人やその他凶悪犯の生の印象が描かれている。
どれも個性の強い人ばかりなので、かなりインパクトがある。


興味深かったのは、昨日紹介した日垣隆氏の
『そして殺人者は野に放たれる』でも判決が問題視されていた
新宿バス放火事件の犯人、丸山博文と
著者の共犯者が獄中で出逢い、伝聞した彼の様子が描かれている。



6人が死亡し14人が重軽傷を負った新宿バス放火事件は、
精神鑑定で丸山の心神耗弱が認定され、無期懲役の判決となった。
彼は獄中でも会話が成立せず、奇行が目立ったが、おおむね穏やかだったそうである。
ときどき夜中悪夢にうなされ悲鳴をあげたが、
どんな夢にうなされていたかは、一度も口にしなかったそうである。
(なお、彼は1997年に獄中で首吊り自殺している。)


著者は思想犯としての誇りがあり、事件に対しての反省の弁はないが、
10年以上の受刑者にとって獄中は精神的に相当過酷な状況であることは確かである。
その部分を、笑い飛ばして描かれていることは無気味な迫力がある。
(見沢氏は出所後も拘禁後遺症に苦しみ、2005年自殺している)


精神病囚が入獄させられる八王子医療刑務所の実体験と観察は壮絶である。
殺人犯に関する様々な観察が面白おかしく描かれている。


被害者からすれば不謹慎極まりないが、
それでも、刑務所という場所はストレスも多く、人間関係も泥沼で
狂気に追い込まれる場所であることがわかる。


囚人狂時代 (新潮文庫)


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ラベル:見沢知廉
posted by 信州読書会 宮澤 at 11:45| Comment(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

そして殺人者は野に放たれる 日垣隆 新潮文庫

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家族が殺人事件に巻き込まれ、加害者が心神喪失であったなら
被害者家族には事件後どんな屈辱が待ち受けているかを教えてくれる本。


本書は「心神喪失者の行為を罰しない」という刑法39条の
理不尽さを批判しています。


かなりの事件の具体例と判例を交えて、
刑法39条によって日本の法廷が歪められているかが
冷静な筆致と激怒による問いかけによって描かれています。


いったい心神喪失とはなんなのか。
事件時の心神喪失は科学的に証明できるのか。


徹底的に被害者の立場にたつことで、
精神鑑定と刑法39条のいいかげんさを炙り出しています。
心神喪失で量刑が減軽され、出所後再犯するという悪循環を作り出す現状。



精神鑑定人が医者である以上犯罪者=患者というある種の性善説で
加害者の保護にまわり、人権派によって心身喪失という聖域が作られ、
マスコミも取り上げられないタブーが出来上がっていること。


こうした判断が蔓延した結果、加害者が泣き寝入りする土壌が作り上げられた
歪みを綿密な考証と稀有なバランス感覚で暴き出しています。
この問題を文学に関連させて私なりに考えてみました。



日垣氏は日本の犯罪小説が常に加害者の心理分析にかたより、
被害者の視点を無視しているという意味のことを指摘しています。


確かに、加害者の動機の解明を主眼とすれば、
心神喪失を動機とした小説は成り立たなくなります。
加害者の心理的な綾に焦点を当てない限り、現代の小説は
カタルシスのない味気ない読みものになってしまいます。
被害者の視点中心の小説というものはどうしても
被害者を取り巻く社会環境に対する言及にならざるをえない。


フーコーは古典劇における最後の狂人を
本ブログでも以前紹介したモリエールの
『人間嫌い』のアルセストと指摘しています。
(フーコー・コレクション?所収『文学・狂気・社会』 ちくま学芸文庫)


そして、近代の文学では作家が書く行為によって
狂人の分身に重ならざるをえない。
ヴァレリーの『ムッシューテスト』も
作者の分身として狂気を担っています。


ここに至って、狂人を囲い込むという社会的な抑圧が
文学にも働いていることが判明します。



心神喪失者=狂人はすでに法体系とマスコミによって囲い込まれ
言説上は見えないものにされ、社会的役割を奪われ
作家の内面において仮構されることで生き延びるほかない
あるいは精神分析よって分類されて学問の中で生き延びるほかない。


刑法によっても社会的な役割を認められていない以上
そこに司直の手がくだされることはないという
社会的な矛盾を私たちが認める土壌がすでに
出来上がってしまっているのです。


その点を鋭く指摘する作業が現代の日本では
本書のようなノンフィクションでしか成し得ないと言う事に、
文学というジャンルの衰退を感じました。


あまりうまくまとめることができませんが、以上のようなことを感じました。

そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)

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ラベル:日垣隆
posted by 信州読書会 宮澤 at 11:44| Comment(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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