信州読書会 書評と備忘録

世界文学・純文学・ノンフィクションの書評と映画の感想です。長野市では毎週土曜日に読書会を行っています。 スカイプで読書会を行っています。詳しくはこちら → 『信州読書会』 
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カテゴリー:イギリス文学

2013年07月25日

闇の奥 コンラッド 岩波文庫


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★あらすじ
アフリカの最奥地の貿易会社出張所に勤める
クルツは、象牙を蒐集することに天才的な手腕を発揮した。
ある日、音信が途絶えると
いつしか彼は、未開の部族の王として君臨していた。
冒険に魅せられたマーロウは、伝説の男クルツに逢いにゆく。
長い旅路のはてに出逢ったクルツは病に倒れており
密林での孤独と恐怖と全能感によって、ひとつの恍惚状態にあった。



コッポラの『地獄の黙示録 』の原作と呼ばれる作品。


クルツはマルローの『王道 』のグラボに影響を与えている。
(グラボは、密林で部族の王になり損ねて奴隷にされていた。)
クルツが、音楽家であったということから、
同じく音楽家であったポール・ボウルズの
『シェルタリング・スカイ 』を連想させる。


密林のなかでニーチェ的な覚醒を遂げた
クルツの「地獄だ! 地獄だ!」という叫びは印象深い。


ジャングルの中を流れる河を遡っていく叙述は息を飲む。
そしてお約束の現地人による毒矢での襲撃。
(出張所に住み込んだロシア人青年はその後どうなったのだろうか?)
マーロウによる独白からなるという形式なので読みやすい。


反近代に目覚めるヨーロッパ人の雛型を示した作品。冒険好きの人はぜひ。



ちなみに私はかつてマルローの『王道』に感化されて
カンボジアのアンコールワットを目指し、初めての海外旅行に独りで出かけたが、
バンコク空港内でさっそく上着を盗まれ、両替所で紙幣を一枚ごまかされ
初日にして怖気づき、タイ国内を3週間ほどうろうろしただけで帰ってきたことがある。


闇の奥 (岩波文庫 赤 248-1)


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posted by 信州読書会 宮澤 at 08:59| Comment(0) | TrackBack(0) | イギリス文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

鎖を解かれたプロメテウス シェリー 岩波文庫


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★あらすじ
人類に火を与えたためにジュピター(ゼウス)の怒りを買い、
岩に鎖でつながれたプロメテウス。
彼を支持する太陽神オケアノスの娘たちパンテアとイオネーと
対話を交わし、女神アシアと愛を語らい愛に目覚める。
寛大な愛によって、王座を追われたジュピターと和解し
(というかアシアとの愛にかまけてどうでもよくなったのか?)
ヘラクレスに鎖を解かれる。
様々な神による愛の讃歌によって終わる。


★感想
イギリスのイケメンロマン派詩人シェリーによる
アイスキュロスの『縛られたプロメーテウス』の続編。



新約聖書にならい、プロメテウスの受苦が
イエスの受難と重ねあわされてる。
ダンテの『神曲』の影響も濃い。


戯曲ではなく詩。なので、ほとんどストーリーの展開はなし。
登場する神々が多すぎて何の話かもよくわからなかった。



コロスの合唱が中心の詩篇といっていいかも。
プロメテウスもほとんど出番なし。
とりあえずプロメテウスが女神らにもてもてだった印象はある。
キリスト教徒になったプロメテウスが
デルゴルモンというもうひとりの悪役の出現によって
王座を奪われたジュピターの苦悩を理解して
愛によって許すみたいな話だったと思う(たぶん)
アイスキュロスにあったプロメテウスの力強さユーモアは一切ない。


ロマン派的な錯綜としたイメージの森の中で
暗く湿った、寒々とした世界観が表現されている。
作品自体に日照不足という印象が強い。

ロマン派の詩想に育まれた、もやもやっとした愛が
ひたすら歌いあげられているところが、
読んでいて心地よいといえば心地よい。のか?わからん。


鎖を解かれたプロメテウス (岩波文庫)



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posted by 信州読書会 宮澤 at 08:53| Comment(0) | TrackBack(0) | イギリス文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月15日

ブライヅヘッドふたたび イーヴリン・ウォー 吉田健一訳 ブッキング その2


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★第一部『會てアルカディアに』続き


セバスチャンに感化されたチャールス・ライダーは、従兄のジャスパーの忠告も虚しく
セバスチャンら悪友と付き合い、午後から酒を煽るような、浪費と放埓の生活に溺れてゆく。
チャールスは、夏学期の終りに彼を見かねたジャスパーから最後の訪問と抗議を受ける。


彼は、全くの責任感からだけでその午後、私のところへ来たので、
それは彼にとって非常に迷惑だったと同時に、私にとっても迷惑だった。




ジャスパーは、チャールスの部屋が、風狂に満ちていることを叱る。(以下引用、改行は適当)




「又その点に就いてもだ、叔父さんが君にいくらやっておられるか知らないが、
君はその倍を使っているんじゃないかな。こんな、」と彼は
私の部屋のどこにも明らかな浪費の形跡を手の一振りで示した。


それは、本当であって、私の部屋はそれまでのような寒々とした様子をしたものではなくなり、
それも決して少しずつではなしに、目に豊かに訴えるものになっていた。


「これは支払ずみなのかね、」というのは、
食器棚に載っているパルタガスの葉巻が百本入っている箱だった。


「或は、これは。」それは卓子上の、十何冊かの当時流行の新刊書だった。



「或は、これは、」というのはラリク製の洋酒瓶とグラスで、
「或はこの、何とも言えないものは、」というのは、
私が大学の医科から買ったばかりの髑髏で、
それが薔薇を盛った鉢の中央に置かれているのが、
その時は、卓子の上で最も目を惹くもので、髑髏の額の所には、
「會てアルカディアに私も」という文句がラテン語で彫ってあった。






どくろの額にラテン語の詩句を彫って、バラの鉢に飾るという露悪的なセンスが
通用するような友人とばかり付き合って、チャールスは麻痺していくのである。
こういうことをやって腑に落ちる日本人は、まあ、澁澤龍彦くらいのものだろう。
ジャスパーの叱責を思い出し、チャールスはのちに、こう回想する。








あれから、二十年たった今、私はあのときしたことで、しないで置くか、
或は別な具合にしたほうがよかったと思うものは、先ずない。

私はジャスパーの闘鶏擬いの成熟にもっと逞しい鶏を立ち向かわせることができる。


私は彼に、あの時代に私たちが悪に耽っていたのは、
ポルトガルを流れるドゥーロ河沿岸の純粋な葡萄の液に混ぜる酒精のようなもので、
この色々な暗黒の成分を含む強い酒精がポート酒の発酵を抑え、
酒が何年も酒倉に置かれてついに食卓に出すのに適した状態となるまで、
それを飲めなくしているのと同様に、
私達がしたことは私たちの青春の作用を遅らせるとともに、
それを豊かにしたものだと彼に言うことが出来る。


私は又彼に、一人の人間を愛してその人間に就いてを知るのが
一切の知恵の根幹なのだとも言える。



アルカディアとしての青春時代を過ごした人間のさみしい告白である。


読んでてさみしい。


ブライヅヘッドふたたび


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posted by 信州読書会 宮澤 at 14:20| Comment(0) | イギリス文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ブライヅヘッドふたたび イーヴリン・ウォー 吉田健一訳 ブッキング その1


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★第一部『會てアルカディアに』
まず、ライダーのオックスフォード大学1年目の寄宿舎生活が回顧される。
ライダーは、入学そうそう従兄のジャスパーから学生生活のあり方全般について、
訓戒を与えられるのだが、その訓戒に、結構、自分の大学時代の生活を思い出してしまい、笑った。



「成績は一級か四級にならなくちゃだめで、その間じゃ意味がない」


「教授を先生のように扱わないこと、それよりも家にいるときの近所の牧師さんだと思えばいい。」


「二年目の半分は、一年目に出来た好ましくない友人を振り切ることに費やされる」



こんな、プラグマティックな訓戒を与えられる。
そして、寄宿舎生活である。(なぜか、吉田健一は寄宿舎とか寮という訳語を避けている。)


ジャスパーは、部屋の一階に住むと、人が気安く入ってきて、晩に着るガウンを置いていっては、
毎晩、それをとりにきて、シェリーを出しているうちに、無料の酒場を開くことになると忠告する。


そして、そのあとにつづくの記述が面白かった。以下引用、改行は適当。



私は、その日、そうして与えられた注意の一つも実行した覚えはない。
兎に角、部屋を変えなかったことは確かで、その窓の下には
夏にあらせいとうの花が咲いて部屋中をその匂いで満たした



自分が若かった頃を実際以上に早熟なものに、或は無邪気なものに作り変えて回顧し、
戸の縁の背の高さを示して刻んだ印の日付に手を入れることは易しい。



私は、私がその部屋を、ウィリアムモリスが織らせた壁掛やアランデルの版画で飾り、
本棚には、十七世紀の二つ折り版の本や、ロシア産の鞣し革、
或は波紋絹で装丁した第二帝政時代のフランス小説を並べていたと思いたくて、
又時には、本当にそう思うこともある。



併しそれは嘘で、私は炉の上にゴッホの「日向葵」の複製をかけ、
部屋の隅に、ロジャー・フライがプロヴァンスの風景を書いた屏風を立てたが、
これは、オメガ工芸が店じまいをした時に安く手に入れたものだった。



又、マクナイト・コーファーのポスターとポエトリー・ブックショップ版の詩の刷りものを飾り、
それよりも思い出すのが辛いのは、戸棚に黒い蝋燭の間に
「三文オペラ」に出てくるポリー・ピーチャムの瀬戸物の像を置いたことだった。


私の持ってきた本も少なくて平凡なものばかりで、
(中略 ※注 ただ、ここで本の題名が列挙されるがすべてマイナー)
という訳だったから、凡てがその頃、私が友達となった人達によく似合う背景を成していた。






以上のような平凡な趣味の学生だったライダーが、個性の臭いが強烈なセバスチャンに出逢い、
文化的に相当に覚醒されていく様子が、その後綿々と綴られるのだが、それは今後紹介したい。



ブレヒトの「三文オペラ」のポリー・ピーチャムのフィギュアが実在したのか、
あるいは、シュールなギャグとして創作し、嘆いてみせたのかは、微妙なところだが、
ここに描かれているような、学生時代の部屋の恥ずかしさというのは、
誰でも少なからず思い当たる節が、あるんじゃなかろうか。



まあ、『パルプフィクション』や『勝手にしやがれ』のデカイポスターを部屋に貼るとか、
北斗の拳のフィギュアやブルース・リーのフィギュアを本棚の上に飾って、
あるいは、その本棚の中には、宮台真司の自己啓発本や読みもしないハイデガーや
黄色かった頃の講談社現代新書が、こち亀やゴー宣や松本大洋の漫画といっしょにならんでるとか、
そういうことや、それに類することは、往々にしてやっちまうものである。




そして、その部屋に見合った友達ができるというのも皮肉なものである。


どういう友達かというと、松田優作の話で一晩語り合えるような友人である。
要するにおたくとサブカル好きの間にいるような成績で言うと一級でも四級でもなく
まさしく、その間じゃ意味のないというような友人である。


やがて、スタバを襲撃する小説を思いつき、処女作として深夜に書き上げて、
友達に読ませたら、村上春樹の『パン屋再襲撃』パクリだと指摘されて
こっぱずかしい思いとオリジナルの難しさを痛感させられて、大学の一年目が終わるのである。


このように、いろいろ思い出させるやっかいな小説である。
心くすぐる、固有名詞がさりげなく出されて、自分の趣味を難詰されるような錯覚をおぼえる。


村上春樹の小説でも、こういう手法がつかわれていて、
なんか、郊外のドトールで主人公と隣り合った見知らぬ女性がディケンズの『荒涼館』を読んでいて、
やがてセックスにいたるとか、いたらないとか、そんなまるで、『荒涼館』のために書かれたような
変な短編を昔読んだ記憶があるが、村上春樹はウォーに比べてテレがないぶん、


読んでるほうがテレくさい思いをさせられて、やがてその気持ちが怒りの感情に変わるときがある。



ただ、日本において固有名詞を駆使して趣味を語るというのは小説では難しいので、
そういうことに挑戦して、村上春樹はひねりがないながらも半ば成功していると私は個人的に思うし
そういう意味で、村上春樹は相当に力量があるんだと思う。と思っております。はい。すみません。


また、続きを書きたい。


ブライヅヘッドふたたび


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posted by 信州読書会 宮澤 at 14:19| Comment(0) | イギリス文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

林檎の樹 ゴールズワージー 新潮文庫

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★あらすじ
田舎の荒原地帯に、友人と遊山に来たアシャーストは、
農家の子守り娘のミーガン(他訳ではメガン)と出逢い恋に落ちる。


彼女と駆け落ちしようと、準備のために街へドレスを買いに行くが、
そこで、別の友人ハリディとその妹ステラに出逢い、彼女に魅了される
都会的なステラの魅力が、ミーガンを忘れさせてしまう。


アシャーストは農場に二度と帰らず、ステラと結婚してしまう。
ミーガンは、迎えにこないアシャーストに絶望し自殺する。


25年後の銀婚祝いの旅行に妻ステラを伴って、
荒原地帯を再訪したアシャーストは、農家の近くの十字路に墓を見つける。
それは、かつて恋したミーガンの墓だった。彼女は自殺していた。


★感想


エウリピデスの『ヒッポリュトス―パイドラーの恋 』のコロスの合唱に
『黄金なる林檎の樹、美しく流るる歌姫の声』とあり、
それが、小説のエピグラフであり題名はそこから取られている。


しかし、小説は『ヒッポリュトス』のようなアンモラルなエグみは少ない。

都会ずれした愚かな学生が、純粋な田舎娘を結果的に騙したという話だが、
騙したアシャーストが、ヒッポリュトスのような一時の融通の利かない熱情のために
その後良心の呵責をおぼえるという点で、このギリシア悲劇が小説の伏線になっている。
人生の生活様式などははいかに高貴まじめであっても、
その底に流れるものは常に貪欲とそしてただ空しい落莫感だけだ


と書かれている。世のなべての男性の心理を鋭く突いた至言である。

駆け落ちしてミーガンをロンドンに連れていっても、
ふたりが生活するアパートは、アシャーストの求める詩的感興からは程遠い。
それでも、官能揺さぶる春の到来の感触は、アシャーストを恋の盲者にしてしまう。


しかし、都会に戻るとミーガンのことなど恥ずかしくなる。
アシャーストを追いかけて汽車で街に出てきてあたふたと彼を捜すミーガンを、
遠めに眺めながら逃げだす彼は、誰が見ても最低な男だ。無論、ほめ言葉である。


春の自然の官能にうわずった心理を優しく撫ぜるような描写が溢れている。
特に、深夜に林檎の木のしたで逢引しふたりが、お互いの恋を告白する場面は甘く切ない。


林檎の木の下にはジプシーのお化けが出るということで
幼いミーガンは、そのおばけを怖れているのだが、
そのおばけは、結果的にアシャーストだったというオチが上手。



キリスト教徒(イギリス国教会)は自殺すると、
教会の墓地への埋葬を拒否され、十字路の脇に墓を立てられるそうだ。
自殺したミーガンの墓と知ってアシャーストがアフロディーテの復讐を受けた。
という気がつくところに、アリストテレス的な「おぞましいことの認知」がある。



ノーベル賞作家ゴールズワージー49歳のときの作品。
1916年は発表なので、第一次世界大戦中の作品である。


熟練した筆づかいを抑制し、軽いタッチで青春の恋愛を書いたら名作が生まれた。
戦時中にも関わらず…である。まさしく『鈍感力』である。


こういう風にして生まれたベストセラーには、なぜか軽い殺意を覚える。


『林檎の樹』が代表作になったことを恥じていなければ、
ゴールズワージーは本当の悪人だと思う。極悪人。
たぶん極悪人だろう…。イギリスらしい階級意識にまみれた性根からの。


林檎の樹 (新潮文庫)



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posted by 信州読書会 宮澤 at 13:45| Comment(0) | イギリス文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月13日

雨・赤毛 モーム 新潮文庫

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★『雨』あらすじ
クリスチャンの宣教師ディヴィドソンは、
南太平洋のエイピアの原住民への布教のため夫婦で船に乗っている。
彼は下世話で高慢。未開の原住民に罪の意識を植えつけ
犯した罪に対して罰金制を課して折伏するという


ラディカルな手法を採用する狂信的な神父である。


船で疫病の乗客が出て、雨季の豪雨の中、パゴパゴの宿で二週間の足止めを食らう。
同宿の宿にミス・トムソンという売春婦がおり、


彼女は毎晩、船員を連れこんで乱痴気騒ぎをするので、
ディヴィドソンは咎めるが、彼女に侮辱される。


怒り狂った彼は、総督に告発し、ミス・トムソンを次の船でサンフランシスコに
送り返すように圧力をかける。同時に彼女が悔い改めるように祈りを捧げつづける。


彼女は、懲役刑を逃れるためにここまで来たので勘弁してくれと泣きを入れる。
弱った彼女につけこんで宣教師は悔い改めるように説教し、
彼女の部屋で教化に乗り出しミス・トムソンが帰国する当日の晩まで続く。


自己犠牲で彼女と苦悩を分かち合い、その効果は次第に彼女に現われる。
彼女の帰国日の朝、ディヴィドソンの死体が発見される。
宣教師は彼女への劣情に負けて、昨晩ことに及んだらしい。自殺である。
着飾ったミス・トムソンが、男は豚だ!と叫んで終わる。


★感想
『だれでも、情欲をいだいて女を見るものは、心の中ですでに姦淫したのである。』
とあるマタイ福音書第5章の一節を地でいく教訓的な短編。
世界短編小説史上の傑作だそうだ。
医師マクフェイルの狂言まわしがあって成立する短編である。
宣教師の告白で書かれたなら、やりきれない背徳的な駄作である。


最近モームの『世界の十大小説 (上) 』を買って『高慢と偏見』の章だけ読んだ。
ジェーン&エリザベスと下の三人姉妹を異母姉妹にすれば
構成上スッキリするという内容のことを書いていて、
得意げに、なにいってやがるんだこの野郎!! と思ったが、
それ以外はなかなか読み応えがあった。

というわけで、モームは、なかなかシニカルで技巧的な作家で、
そういう意味ではこの短編は彼の本領が発揮されている。
キリスト教の上っ面をなぞった手だれた作品である。


雨・赤毛 (新潮文庫―モーム短篇集)


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タグ:モーム
posted by 信州読書会 宮澤 at 12:08| Comment(0) | イギリス文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月11日

クリスマス・カロル ディケンズ 新潮文庫


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★あらすじ

スクルージ・マアレイ商会の経営者スクルージ
金しか信じない強欲で冷酷で人間嫌いな老人である。
クリスマスが近づき、救貧院の院長が寄付を請いに来る。
スクルージは、税金を払っているという理由で寄付を拒み、
貧乏人がクリスマスを祝うなといって追っ払う。
そのくらい、クリスマスの幸せを嫌悪している。


商会の共同出資者マアレイは七年前に死んでいるが、
彼はある晩スクルージの枕もとに立ち、三人の幽霊の訪問予定を告げる。


第一の幽霊はスクルージに次々と彼の過去の人生の場面ををみせる。
クリスマスの晩に蝋燭ひとつで読書するスクルージ少年。
そして奉公時代に雇い主のフェズウィック老人が催したX’mas ダンスパーティー。
彼は、ダンスパーティーを思う存分愉しんでいる奉公人の自分を見つける。
若かった時分の情景に見入り、スクルージは感傷から泣き続ける。


第二の幽霊は、彼取り巻くクリスマス当日の情景を見せる。
雇っている書記のボブの家庭で繰り広げられる貧しいが幸せなクリスマス。
甥の家庭のクリスマス。抗夫や灯台守や漁師のクリスマス。
すべての人々が喜び幸せになる姿を見て感動する。


第三の幽霊は、彼の将来を見せる。
彼の葬式、遺品が質屋で処分様子、彼が死んだことを喜ぶ人々。
彼は誰から愛されず孤独に死んだ自分の遺体を目の当たりにして恐怖する。


三人の幽霊がいなくなるとクリスマス当日であり、
改心した彼は、救貧院に寄付し、使用人の給料を上げ
周囲の人々に幸せを与えながらクリスマスを初めて主体的に謳歌する、



★感想
第一の幽霊、第二の幽霊が出てくる前半は涙なしには読めません。


ディケンズはカットバックの手法を大胆に取り入れています。


映画でいえば、個人的には『ニュー・シネマ・パラダイス』の結末部分や
『ゴダール映画史』でゴダールが、生前絶交していたトリュフォーの肖像と
マルローの肖像を並べて追悼したシーンと同じくらいのインパクトでした。



フェズウィク老夫妻が踊るシーン。スクルージが店のレジの下で寝るシーン。
持参金がない婚約者とスクルージが別れ、
実は彼女が現在救貧院院長の奥さんになっているのに気づくシーン。
足の不自由な息子ティムをかかえるボブ一家の食事のシーン。どれも感動的。



過去、現在、未来が渾然一体となり襲いかかり
人生のあらゆるクリスマスを体験してしまうスクルージ。
スクルージの永劫回帰に、私たちは立ち会うことができます。


クリスマスに生まれ変わる人間のささやかな歌。クリスマス・カロル。号泣必至。


クリスマス・キャロル (新潮文庫)


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タグ:ディケンズ
posted by 信州読書会 宮澤 at 11:43| Comment(0) | イギリス文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

高慢と偏見 ジェーン・オースティン 岩波文庫


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★あらすじ

ハートフォードシアという田舎の上流階級ベネット一家。
その家庭は、家主ベネット氏を除くと、妻と五人姉妹の女の都である。
その近所に、ビングリーという独身の紳士が引っ越してくる。
そして、彼の友人で大資産家のダーシーも遊びに来る。
ベネット家では五人姉妹の長女ジェーン、次女エリザベスの結婚のため
ジェーンはビングリーと、エリザベスはダーシーとお付き合いさせる。
さまざまな迂回路を経て、彼らはめでたく結ばれる。



★感想

夏目漱石が則天去私の精神を表すと位置付けた作品。(なぜかは不明)
モームの世界の十大小説にも選ばれている。
21歳のオースティンが牧師館の台所で家事の合間に書き継いだ驚異の作品。



偉大なる家庭小説である。細かい章立ては新聞小説を思わせる。
漱石が新聞小説を書いたときオースティンの構成を念頭に置いたことは間違いない。
目くるめく展開があり、人物の性格も多様で、構成は完全で破綻がない。
橋田寿賀子の『渡る世間は鬼ばかり』にも多大な影響を与えている。たぶん。



話の中心はエリザベスとダーシーの恋愛物語である。
初対面の印象がお互い最悪である。(なんかよくありがちな設定だが…)すれ違いを重ねるが、
しかし、ダーシーとエリザベスの「高慢と偏見」の反目が徐々に、「謙遜と寛容」に融和する。


エリザベスは、つむじ曲がりで洞察力と分別に富み、そんなに器量はよくないが
やさしさや正義感があり、誰よりも感受性に溢れている。



その感受性はなによりも、人としてなにが真っ当なのかという問題に対して働く。
エリザベスの感受性は、自らの虚栄心や偏見や自己欺瞞を絶えず発見し克服する。
そんなエリザベスの感受性が、ダーシーの高慢な心に隠されていた感受性と共振する。



ふたりは反目しながら惹かれあうが、最大の障壁は彼らの階級の違いである。
ダーシーは資産家で都会の上流階級、エリザベスは資産のない田舎の上流階級。
その階級差を情熱によってダーシーが乗り越えるというところにロマンがある。
特に、ダーシーがエリザベスに与えた手紙は圧巻。すばらしい。





登場人物の愚劣ぶりをランキングにしてみた。


1位、妹のリディア。お馬鹿さんぶりとはしゃぎぶりは救いがたい。殺意を覚える。


2位、従兄弟のコリンズ。慇懃無礼、空気の読めない人。手紙が暑苦しい。


3位、ベネット家の母。おちつきがない。思ったことを全部口にする困り者。


4位、ベネット家の父。自らの吐く皮肉に悦に入り、結果的に足元をすくわれた。
  ウィカムと決闘して銃弾に倒れていたほうが彼の人生はいっそ幸福だっただろう。


           
同じく、いい仕事をした登場人物のランキング。


1位、叔母のガードナー夫人。ウィカムの胡散臭さを女の直感で最初に見抜いた。


2位、家政婦のレノルズ夫人。ダーシーを絶賛し、エリザベスに印象付けた。


3位、叔父のガードナー。何の役にもたっていないが、とりあえず、すぐにロンドンに行った。



もし今、エリザベスみたいな女性がいたら、結婚では幸せになれないと思う。
現実的には厳しい。現代の日本の男性にダーシーみたいな紳士はまず少ない。
かしこいだけに婚期を逸する気がする。独身のキャリアウーマンが似合う。



この小説の屈託のないハッピーエンドっぷりは、
生涯独身だったオースティンの夢を体現しているように思えてならない。
構成が稠密。心理の綾が職人芸で織り成されている。傑作だと思う。かなりお薦め。
高慢と偏見〈上〉 (岩波文庫)


高慢と偏見〈下〉 (岩波文庫)



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posted by 信州読書会 宮澤 at 11:37| Comment(0) | イギリス文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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