信州読書会 書評と備忘録

世界文学・純文学・ノンフィクションの書評と映画の感想です。長野市では毎週土曜日に読書会を行っています。 スカイプで読書会を行っています。詳しくはこちら → 『信州読書会』 
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カテゴリー:連合赤軍関係

2013年07月25日

プロジェクトX 挑戦者たち あさま山荘 ― 衝撃の鉄球作戦

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プロジェクトX 挑戦者たち 第4期 Vol.9 特集 あさま山荘 ― 衝撃の鉄球作戦(第1部&第2部収録)


好奇心で借りてしまった・・・。
NHKのドキュメンタリーなのでさしたる期待はしていなかったのだが、
意外な面白さに満ちていた。この回は番組至上最高の視聴率をとったらしい。


あさま山荘事件でモンケーンという鉄球をクレーンで操作した
地元のクレーン職人さんの兄弟が出ていた。鉄球兄弟と呼ばれているらしい。



その方たちは義兄弟のお二人で、お兄さんが県警から
クレーン車を一台出してくれと電話で要請を受け
突入日に、防弾処置を施したクレーン車を使って
あさま山荘の三階部分を破壊したのである。


この鉄球兄弟のお兄さんは当時24歳のクレーン職人で、
立てこもった連合赤軍のメンバーとほぼ同じ年である。
この時点ですでに連合赤軍が労働者の代表でもなんでもない構図が鮮明になっている。




しかしながら、この人の現在の風貌に、かなり痺れた。
当時の写真にも痺れたが。工員帽子を斜にかぶってキマっている。
なんせ、小田実にそっくりで、(毒蝮三太夫も少し入っている)
連合赤軍メンバー以上に革命家の雰囲気漂う風貌なのである。


あまり口数も多くなく、赤軍派に対して
人に迷惑かけてふざけたやつらだと思っていました、と訥々と語るのだが、
その風貌も語り口もおよそNHKの番組にそぐわない過剰さを発散していた。



ご本人は、たぶん「ギターを持った渡り鳥」ならぬ、
「クレーンを操る渡り鳥」といったお気持ちなのだろう。
小林旭みたいな人なのである。弟さんを宍戸錠に見立てたのだろうか。
その風貌、自意識ともに、まったくNHK的でなく、
観ているこっちがハラハラするのである。NHKの間尺に合わないのである。


事件が終わって、家に帰ると奥さんに「腹が減った、メシにしてくれ」と
まるで事件なんか起こらなかったようにさらりといってしまう方なのである。
翌日も普通に仕事に出たそうだ。前日は狙撃されて目の前の防護ガラスにひびが入ったのに。


彼のヒロイックな自意識に違和感がないのは、この方がまさに小林旭を演じているからだ。


日活無国籍アクションの世界を生きている方なのである。役者である。
ご兄弟で再現シーンを演じる姿に、マイトガイを感じたのは私だけではあるまい。
その方が、最後のほうで、人質の方の手紙を読んで、
目に涙を浮かべているのを観て、ジーンときてしまった。
その意外とつぶらな眼は、小林旭の眼にそっくりであった。



クレーン車というのは、「機械仕掛けの神」である。
ギリシア悲劇の「機械仕掛けの神」もクレーンでできていた。



大江健三郎も『「浅間山荘」のトリックスター』なんて短編を書かずに
『「浅間山荘」のデウス・エクス・マキーナ』を書けばいいのに。マジで思う。


いずれにしても、大江健三郎の想像力からは絶対に出てこない、
すごいクレーン職人さんだった。まあ、お兄さんはクレーンを運転しただけだが。
たぶん、小林旭に憧れるクレーン職人が、赤軍派を撃破したのだと思う。
マルクス・レーニン主義がマイトガイのヒロイズムの前に解体したのである。ちがうか?





「大江健三郎は偉大の一歩手前なんですよ、その一歩が果てしなく遠い」
という意味のことを福田和也氏がしゃべっていた気がするが、
実際その通りだと『プロジェクトX』をみながら考え込んでしまった。


一応、あさま山荘事件の銃撃戦だけを扱った大江健三郎の
『洪水はわが魂に及び』の最終章を確認のため読んでみたが、
『同時代ゲーム』や『懐かしい年への手紙』の「黒い水が出た!」みたいに
「機械仕掛けの神」がでてきましたよ!』とかって、
大江特有の太字ゴチックが現われるかと思ったが、
そういう記述は、やっぱりなかった。


この回の『プロジェクトX』のエンディングは小林旭の『熱き心に』で〆てほしかった。
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posted by 信州読書会 宮澤 at 08:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 連合赤軍関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月15日

光の雨 映画版

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光の雨 
ハピネット・ピクチャーズ 光の雨 特別版
★あらすじ

全共闘世代のCF監督、樽見(大杉漣)が『光の雨』を映画化することになった。


その映画のメイキングを阿南満也(萩原聖人)が担当することになる。


オーデションが行われ、若い役者たちが、『革命パルチザン』について


つたないながらも勉強し、議論しながら『光の雨』の映画撮影を進めていく。


山岳ベース内での総括シーンで、交番襲撃の場面を再現しながら、


玉井と浜田が殴りあうシーンがまで撮影が進むのだが、そこで中止になる


(劇中劇の劇中劇という二重のメタフィクション。観ていて途方に暮れる)





そして、「消えます。映画のために。」という書置きを残して樽見監督が蒸発。


原因は、監督の樽見が、受け取った一通の葉書だった。


そこには、学生時代に彼が密告したために、内ゲバで殺された友人からの短歌が記されていたのだ。


(その劇中短歌は、立松和平の盟友、絶叫短歌の歌人、福島泰樹のものである。)


結局監督は、いろいろ昔のこと思い出して、監督は映画が撮れなくなったらしい。


だらしないのだが、そのだらしなさが、全共闘世代への批判として演出されている。





『光の雨』の映画化は頓挫して、若者たちは残念会を居酒屋で開きながら、


冗談で、お互いの演技の総括を求めあっているうちに本気になり険悪なムードに発展する。


山岳ベースでの人間関係の破綻が、撮影現場の破綻になぞらえられている。





映画内で恋人関係だった役者たちが、実際に付き合い始めるというおまけつきである。
みんなでインターナショナルを肩を組んで歌うという牧歌的なシーンもある。

(この場面だけ観ると、大島渚監督の『日本春歌考 』の良さが再確認できる。)



メイキングを撮影していた阿南満也が監督を引き継ぎ、なんとかクランクアップさせる。






★感想


原作に出てきた阿南満也と高取美奈は予備校生カップルではなく、


それぞれ、メイキング監督と崖っぷちアイドルという設定になっている。





『光の雨』に、撮影現場というメタフィクションを導入することで、


現在の若い役者が、当時の革命戦士の若者に感情移入しようとする姿を描いている





総括の残酷なシーンも、あくまでも劇中劇なので、監督のカットが入って、


殺しあったもの同士が、次のシーンではタバコを吸って和やかに休憩するという


なんとも、微温的な、よくいえば、観客への配慮が行き届いた演出となっている。


また、『連合赤軍』という固有名詞もメンバーの実名も徹底的に排除されていた。


総括で犠牲になった若者たちへの追悼シーンが、律儀に織り交ぜられている。





監督は、『太陽にほえろ』のシンコの旦那、高橋伴明。





裕木奈江が、上杉和枝=永田洋子役である。なかなか憎らしくてよかった。低い声がいい。


(『硫黄島からの手紙』で二宮和也の女房役で出ていて、久々に存在を確認した。)


彼女は「男に媚びている」と女性週刊誌などでバッシングされていた時期があったが、


その頃の経験が皮肉にも、この映画で活かされているのを感じた。





小嶺麗奈もかなり久しぶりに観た。まだ芸能活動していんだという発見と感慨。


最近結婚した板谷由夏も出ていた。鳥羽潤も出てた。微妙に懐かしい人達だ。


みんな総括で穴に埋められていた。TVで観ないなと思ったら、穴に埋められていたのだ。





ビデオはGPミュージアムから出ている。Vシネマ専門のメーカーである。


メロリンQこと山本太郎(倉重鉄太郎=森恒夫)はVシネマのチンピラそのままである。


彼が「お前の総括を要求する!!」とか「敗北主義やないか!!」と関西弁でまくし立てるほど、


新左翼の用語の途方もない空虚さがあらわになるのが印象的だった。





小説で読むとこれらの用語も意味ありげだが、セリフになると恐ろしく醜悪である。


ヤクザの恐喝や因縁とかわらない、その空疎な響きに、やるせない思いを掻き立てられる。


そういう意味では、意図したかどうかは別として、新左翼言語に対しての批判となっている。





しかし、若者たちの下手な演技は、なんというか、観ていて困った。泡沫感に溢れていた。


学生サークルの演劇を、そのまま映画にしたような気恥ずかしさをおぼえさせられる。


立松和平の訛った声で、最後に小説の一節がとつとつと朗読される。やや、うんざりする演出。





青島武の脚本は、現在の若者の視点が描かれていて、とてもいいものだと思ったが、


山岳ベースでのリンチは、どうやっても密室劇で、映画的なスペクタクルに乏しい。


やっぱり小劇場で、演劇にするべき題材なんじゃないか、というのが正直な感想である。



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posted by 信州読書会 宮澤 at 13:26| Comment(0) | 連合赤軍関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月13日

突入せよ! 「あさま山荘」事件


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本ブログでも紹介した佐々淳行著『連合赤軍「あさま山荘」事件―実戦「危機管理」 』の映画。
『プロジェクトX』のあさま山荘事件の回にずいぶん影響を受けている印象がある。



まず、長野県民の私としては、浅間山が映るだけで、愛郷精神で泣きそうになる。
長野県警の融通の利かなさが、カリカチュアされて描かれているが、長野県の人って
実際あんな感じです。みんな決して悪い人ではないけどすごい頑固。自分もそうだが・・・。



★各キャストに就いて

役所広司→ 当時の佐々淳行氏の髪型に似ている。しかし、本人よりもかっこよすぎる。
      ヘルメットが頭に入らないなど、原作のユーモアを精一杯再現していた。



藤田まこと→ 後藤田長官役。けっこう雰囲気が出ていた。
       それでも、半分は、はぐれ刑事純情派のまま。



伊武雅刀→ 長野県警本部長役。本人に似ていた。  


松尾スズキ→人質の旦那さん。本人に似ていた。  



池内万作→ 『光の雨』で玉井潔=坂口弘を演じていたのに、今回は警視庁の通信技官。
       おいおい、この役は断るべきだろうと思った。節操がない。伊丹十三の息子。



椎名桔平→ 鉄球兄弟の兄。出番が少なく残念。



もたいまさこ → この人はいつでも犯人の母親役を演じている。



佐々淳行 → 『フレンチコネクション』上映の映画館で老人役にてカメオ出演。
        全国の佐々ファンには嬉しいのだろうが、私は鼻白んだ。




当時の映像なども入れて、突入シーンは見ごたえがあった。
ただ、さつき山荘周辺での銃撃戦はコントみたいでいただけない。
連合赤軍の描き方にややリアリティーが薄いが、
警視庁と県警の対立や、指揮系統の混乱などは
実際の事件を取材しただけあって、よく描けていると思った。


ハリウッドでリメイクしても通用する映画。
「ディパーテッド」より面白かった気がする。



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posted by 信州読書会 宮澤 at 12:56| Comment(0) | 連合赤軍関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

光の雨 立松和平 新潮文庫

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★あらすじ



2030年に、60年前の事件で死刑判決を受けた80歳の老人、元赤軍兵士の玉井潔が、恩赦で出獄。
総括という名において行われた14名の同志殺人を、予備校生のカップル阿南満也と高取美奈に語り継ぐ。


★感想


連合赤軍による山岳ベースリンチ事件に取材した小説。
雑誌掲載当時に、『あさま山荘1972 』からの盗作を
著者である坂口弘から指摘され、社会問題となった。
連合赤軍メンバーの手記や裁判記録をまとめてノベライズしている。



予備校生のカップルだけが唯一、作者の純粋な創造である。
後世に語り継ぐという説教じみた設定で、かなり違和感をおぼえる。
玉井潔の母親が120歳にして、今だ存命で、母と息子の再会という設定のほうがいいと思った。


手記をきちんと読んでいない私としては、山岳ベースでの総括をめぐる人間模様の
ノベライズとしては、それなりに読み応えがあったというのが正直な感想である。






「お前を救うために殴っている」



「死を日常の風景とした時に、革命戦士の精神風土が形成される」


「暴力とは死である。敵の死であり、自分の死である。
この死を乗り越えなければ、革命戦士にはなれない。」


以上のような論理で、同志への総括は正当化され、
殲滅戦を戦い抜く革命戦士としての完全なる自己変革が全員に要求される。


そして、自己変革への意欲が低いものは、権力への敗北を意識した
「敗北主義者」とレッテルされ、自己批判を求められる。



さらに、自己批判は自分では徹底できないので、同志による援助として総括が行われる。
総括が徹底されると、死ぬが、死は敗北として位置付けられる。


総括というのは、革命戦士になるための同志的援助であるはずなのだが、
されたほうは、革命戦士になるどころか、確実に死ぬのである。



これは論理矛盾でしかない。悪循環である。
実際は、私怨のこもった処刑でしかない。
論理を装っているので、人間的な罪悪感を麻痺させているだけである。



一連の総括は、倉重が統一党結成後の主導権争いを
優位に進めるための方便だったと、玉井潔は最終的に気がつく。
それは、玉井と結婚していた上杉が、倉重と結婚した事実によって証明された。


この筋の運び方は、ノベライズとしてオーソドックスだし、
手記からのまるまるの翻案であるとはいえども、プロットがあるだけ小説的といえる。
このあたりの事情を中央委員の倉重と上杉、玉井の感情的対立を軸にして展開したことは、評価したい。




問題なのは、立松和平自身の依って立つべき足場が、作品内に一つもないことだ。
玉井潔に仮託して、事件を感傷的に弄んだという印象は拭えない。



連合赤軍事件へのリアクションとして書かれた小説としては
大江健三郎の『洪水はわが魂に及び 』や円地文子の『食卓のない家 』があるが、
それらに比べると、『光の雨』の作品世界の視野狭窄ぶりは、端的にやばい。
結果的に、全共闘世代の感傷から一歩も出ていない。そこは、盗作以上に致命的だ。



個人的には、柄谷行人の1973年発表の『マクベス論』(『意味という病 』所収)が、
一連の連合赤軍事件を、シェイクスピアの悲劇『マクベス』になぞらえて論じたことで
最も手の込んだ創造性を発揮した労作だと思っている。



連合赤軍事件の意味を、自意識や感傷から切り離して読みとるために、
『マクベス』を導入した点に、柄谷行人の苦心の跡を感じられる。
立松和平には欠如した作家的な誠実さが、そこに現われているように思う。




35年前の2月28日のあさま山荘突入が決定された。
翌日の天候が憂慮され、一日延期するべきという意見が出たらしい。
しかし、その年は、うるう年で一日延期すると突入日が2月29日となり、
殉職者が出た場合、命日が四年に一度しかこないということで、
1972年2月28日が突入日となったそうだ。



光の雨 (新潮文庫)


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posted by 信州読書会 宮澤 at 12:47| Comment(0) | 連合赤軍関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月11日

河馬に噛まれる 大江健三郎 講談社文庫


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あさま山荘事件の5人のメンバーで当時16歳だった少年と
小説家との文通など「あさま山荘事件」を題材にした連作短編集。
1983年から断続的に雑誌に掲載されたものをまとめたもの。

表題作『河馬に噛まれる』は、少年の母親とかつて知りあいだった縁で、
獄中の彼と語り手の小説家が文通をはじめたところからはじまる。
この少年は連合赤軍のメンバーとしてはお味噌扱いで、
山岳ベースで便所掃除を担当させられ、糞便処理装置を作っていた。


小説家は、その少年の行動に人間らしさを感じて、
文通の中で、糞便処理装置の設計図を手に入れる。
「世界の穴ぼこに落ちた」この少年を励ます手紙を小説家は送りつづける。


出獄後少年は、動物学者を志して、ウガンダに暮しているが、
そこで、河馬に噛まれるというユーモラスな事件を起こす。


それに続く作品は『「河馬の勇士」と美しいラベオ』は
姉を総括で失った10才ちがいの妹が、成人した少年にアフリカまで会いにいく話。


3作目『「あさま山荘」のトリックスター』は、
林達夫の葬式からはじまる短編。林達夫の死に顔が東洋の仙人風であったことから、
「あさま山荘事件」を映画化したいと小説家に申し込んできた映画プロデューサーの
仙人の風貌を思い出し、映画化の準備段階における顛末が描かれている。


『アポカリプス・トゥデイ』と題された映画は、グラスをはじめとする
世界的文学者がシナリオを書き、サム・ペキンパー監督するもので
日本の代表である小説家は、「あさま山荘事件」のシナリオを担当する。


小説は主人公を、あさま山荘事件で死んだ民間人田中保彦さんに設定して、
彼が人質の身代わりを申し出て、射殺される場面を山場にしたプロットを作成する。


その際、鍔広の帽子の男が、どこからともなく現われて、仲裁役を買って出て、
連合赤軍と人質が解放軍の都市入場さながら英雄的に投降するという幻想的なシーンを創作する。
(この部分は獄中で坂口弘氏が読んで「感心した」との感想を「あさま山荘1972下」で読んだ気がする。)
映画プロデューサーが誇大妄想狂であったことが発覚し、映画化が頓挫して終わる。


★感想
連作短編はどれも事実と虚構が判別しがたい。


私小説の枠組みを使って描かれているので、半ばエッセイみたいな物で
小説としての結構は弱く、牽強付会な想像の飛躍が激しくて読みがたい。


加害者とその家族の後日談としては興味深いが、それを小説にすることに
倫理的な呵責をおぼえながら、それでも書いていますという
小説家の執拗な自己弁護がいたるところに挟まっていて鬱陶しい。
4作目まで読んで読むのを放棄した。


当事者の手記が出ている現在において、読み通すのは苦痛である。
大江健三郎の小説をずいぶん久しぶりに読んだ。


この事件にこだわる作家としての姿勢は、敬意をおぼえるが、
彼の想像力の質は、リンチ事件の印象と同等か、それ以上の生理的嫌悪を催させる。


だが、売文業の渡世の苦しさを暴露している点は、まだ誠実といえるかもしれない。


河馬に噛まれる (講談社文庫)


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posted by 信州読書会 宮澤 at 11:19| Comment(0) | 連合赤軍関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あさま山荘1972 上・下・続 坂口弘 彩流社


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私の学生時代には、学生運動もないし、大学封鎖なんてなかったし、デモもなかった。
新左翼といわれてもピンとこない。大学自治会は鬱陶しいなと思ったぐらいである
勤めた会社には労働組合もなかったし、小口の株式投資に熱中する人はいても


まわりにマルクスやレーニンを読んで資本主義を批判するような人は全くいなかった。
私は政治意識には無縁だし、シラケる以前に何にシラケるかもわかっていない世代である。
「遅れてきた青年」以前に、「どこにいるのかわからない青年」である。
それでも、読書しているうちに自分なりに「あさま山荘事件」に興味を持ったので、


今日図書館で事件の主犯であり死刑判決を受けた坂口弘が
事件を振り返って書いた手記『あさま山荘事件1972』を読んでみた。


全共闘世代の方々はこの事件に対して後ろめたい感情を抱いていて、口をつぐんでいる。
まじめに学生運動に取り組んだ人ほどそうなのだろう。この本を読んでよくわかった気がする。


借りて読もうかと思ったが、長野県立図書館では郷土資料のコーナーにあって、
貸し出し不可だった。まあ、長野県で起こった事件なのだから郷土資料なのだろう。
一応書庫から出してもらえば借りられるのだが、司書の方に探してもらうと


変に勘ぐられたらはずかしいし、こういう本にのめりこむのは精神衛生上よろしくないので、
図書館で上・下・続の三冊をとばし読みしてきた。くたびれた。かなり動揺もした。


筆者の生い立ちと、大学の中退、労働者としてのオルグ活動の遍歴、あさま山荘事件、
そして14人の同志の総括が、当事者しかしりえない生々しさで語られている。


警察に追いつめられていく過程で、連合赤軍が狂気に陥っていったのがよくわかった。
14人を処刑して埋めていくくだりは、読んでいてかなりきつかったので読み飛ばした。
自分がやらなければ殺されるという、囚人のジレンマみたいな情況であったそうだ。


マルクスもレーニンもトロツキーも毛沢東も、仲間を殺すための理論に
勝手に組み替えられてゆく。サルトルの『他者は地獄である』そのまま。
暴力は自己正当化の手段になっていく。唯物論も同志の死体への唯物論になる。


それまでは、連帯意識を高めるためにみんなで労働歌やインターナショナルを
歌っていたのだが、3人処刑したところで、歌をうたうのをやめるというくだりがあった。
そこから人間性を放棄した、身もフタもない揚げ足とりがはじまり、
相互不信と主導権争いによる総括が14人を殺すまで加速していったそうだ。


連合赤軍の人たちがマルクスやレーニンをしっかり読み込んでいたとは到底思えない。


それよりも、ベトナム戦争や米中対立などの時代的な高揚感の中で、活動していたのだろう。
場当たり的な感情が理論によって糊塗されて、14人の総括につながったことがわかる。


普通に学生生活したり、恋愛をしたりで青春時代をすごせたはずなのに、学生運動に入れ込んで
やめるタイミングを失い、いつのまにか社会に戻れなくなってしまった若者たちなのである。
連合赤軍のメンバーがお互いに学生気分を濃厚に引きずって活動しているのが描かれていた。
活動家同士の恋愛の嫉妬や、痴情のもつれなどが総括の原因になったりしてもいる。


そういう意味では、今の学生と何らかわらないメンタリティーを持った人たちだったことがわかった。
むしろ今の学生よりも濃厚な人付き合いをし、貧しいながらも青春謳歌していて、人間的である。
それが、ある一線を越えると「革命」の美名に陶酔して、強盗や総括を行うに至るのである。


全共闘世代の連合赤軍に対する後ろめたさは、同時代の青春を過ごした共感から生まれている。
こんなことはすでに言い尽くされているのだろうが、本書を読んで改めて実感した。


しかし、こういう手記を読むと、読者は一種の共犯者意識を植え付けられることは否めない。
筆者へのストックホルム症候群ともいえる感情移入に襲われる。正直読んでいて怖かった。


あさま山荘1972〈上〉


あさま山荘1972〈下〉

続 あさま山荘1972



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ラベル:坂口弘
posted by 信州読書会 宮澤 at 11:18| Comment(0) | 連合赤軍関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

連合赤軍「あさま山荘」事件 佐々淳行 文春文庫

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この事件に関して興味を持ったきっかけは、本ブログで紹介した二冊の本がきっかけだ。


佐藤優の『国家の罠 』と見沢知廉の『囚人狂時代 』である。
1972年に起こった「あさま山荘事件」の首謀者の連合赤軍メンバー5人のうち、
主犯格である坂口弘と吉野雅邦の獄中での様子が描かれていたからだ。



佐藤優氏は東京拘置所で第三十一房の確定死刑囚の隣の独房に移動させられる。
『国家の罠』では、名前が伏せられているが、その独房の死刑囚は坂口弘である。
画用紙に書いた「浅間山」の絵を独房の壁に立てかけ、
様々な書類を山積みにして今、死刑の執行を待ちつづけていたそうだ。
佐藤氏は隣人にかなりの興味とシンパシーを抱き、
保釈後真っ先に坂口弘の獄中手記を購ったそうである。
母親の面会に嬉々として赴く、死刑囚の後姿が一生忘れられないという。




『囚人狂時代』では、下獄した千葉刑務所で見沢知廉氏が、
無期懲役で下獄した吉野雅邦と所内のプレス工場で出会い
知りあいになって交流したエピソードが描かれている。「あさまさん」と呼ばれていた彼は
新人囚にとても親切で、潔癖なまでの献身癖があり、模範囚だったそうだ。


吉野雅邦が獄中内での野球大会やカラオケ大会でまじめに頑張りすぎて、
あばら骨を骨折したり、貧血でフラフラしたりする様子がユーモラスに語られている。


そして、山岳アジトでのリンチ事件での公安スパイの存在をほのめかしている。剣呑な内容…。
極右の見沢氏の極左の吉野雅邦への強い尊敬の念と愛情がうかがえる筆致になっている。
彼は、出獄したら福祉関係の仕事につきたいという夢を持っていたそうである。


あさま山荘事件の主犯格の2人は、本事件で死者3名、負傷者27名の被害を出し、
また、赤軍派の山岳アジトでの総括で、凄惨なリンチを加え14人の仲間を殺している。


これら殺戮は、トロツキイズムや毛沢東主義の思想的信条に基づいて行われたのだが、
獄中に至って、彼らは自己批判して、それらの過激な思想から転向している。



彼らから狂信的な思想の影響がなくなると、これほどまでに人間的な様相を
変化させることに愕然とさせられる。悲劇を演じきった役者の抜け殻としか思えない。
「若気の至り」と反省するような、もともとは根はまじめな人間だったのだ。



「革命」へのロマンチックな陶酔は、人間的で善良な心性を持った若者を、
大量殺人の衝動に駆り立てる危険性を孕んでいることがよくわかる。
彼らに対する佐藤氏や見沢氏の共感は思想に心酔した者や
体制と対峙したことのある者だけしかわからない、政治的立場を超えた人間としての共感だろう。



さて、前置きが長くなったが、『連合赤軍「あさま山荘」事件』は
機動隊の陣頭指揮をとった著者による回顧録である。


「人質の生還」と「犯人の生け捕り」という後藤田正晴警察庁長官からの厳命は、
警察権力への不信感と、過激派の若者にややシンパシーを見せる世論を、
味方につけるための苦肉の策であり、その結果が死者3名の犠牲をやむを得ないものにした。



無謀ともいえるミッションを遂行する警察が、
県警と警視庁の軋轢や、マスコミとの確執という内部的な事情に翻弄される姿や、
予想もしない出来事(次々訪れる人質の身代わり志願者への応対など)が、
かなり批判的かつユーモラスに描かれている。やや不謹慎な面白さである。


しかしながら、体制側にも人間的な煩悶が渦巻いていたのである。
犯人の母親たちによる拡声器を使った説得は、多くの機動隊隊員を涙させた。
泣きながら説得する母親に発砲した吉野雅邦の心情たるやもはや想像もつかない。



息子が「あさま山荘」に立て籠もっている犯人の一人ではないかと警察から知らされて、
赤軍派メンバーの寺岡恒一の両親は、説得の拡声器をとり、涙ながらに切々と息子の投降を訴えた。
しかしこのときすでに寺岡は、仲間によるリンチで処刑にされ、裸で凍土に埋められていた


リンチに関与し、彼を殺害していた坂口弘は、この運命の皮肉に深く動揺した。


このときの坂口弘の心境は、アリストテレスが『詩学』で『オイディプス王』を評して書いた
「おそろしい行為をしているのに気づかずにそれを実行し、あとになって近親関係を認知する」
の一文そのままの情況である。このときになって仲間を処刑した罪深さに気づいたのである。



このときの心情をのちに坂口弘は
「T君の死を知らぬ父上の呼掛けを籠城の吾ら俯きて聞く」
と短歌にまとめ、同志殺しを獄中で懺悔している。自らオイディプスとして盲いた人間・・・


ほとんど、ギリシア悲劇の世界である。事実だけに読んでいて悲しくなった。




(連合赤軍のリンチの凄惨な現場を映画化したものに『鬼畜大宴会 』がある。
友人に薦められて観て、一週間くらい夢でうなされた。お薦めしないけど興味のある方はどうぞ)


事件の首謀者たちは思想的信条のみに則って、行動したのに対して、
機動隊は任務遂行という形而上学的ともいえる使命感だけを支えに事件に対処した。


その事実が、事件に関わった個々の人間の顔立ちを否定し、集団の狂気を浮かび上がらせる。
様々な人間の運命が交錯する『連合赤軍「あさま山荘」事件』の特異性に、心揺さぶられた。


獄中から坂口弘が朝日歌壇に短歌を投稿し、選者の島田修二が知らずに採用したのを
きっかけに、話題となり、その後も本人と確認した上で、歌人佐佐木幸綱が何度か、
坂口弘の歌を朝日歌壇に選歌したそうだ。


(この辺の事情はこちらの『無限回廊』さんのHPに詳しいです。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/rengou.htm
彼は獄中で歌集もまとめていそうだ。『坂口弘 歌稿 』
いつの世にも必定なのだが、悲劇のあとに歌が残る。


連合赤軍「あさま山荘」事件 (文春文庫)







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posted by 信州読書会 宮澤 at 11:13| Comment(0) | 連合赤軍関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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