信州読書会 書評と備忘録

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カテゴリー:日本文学

2013年06月13日

その夏の今は・夢の中での日常 島尾敏雄 講談社文芸文庫


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★『夢の中での日常』あらすじ


一年間かけて120枚の処女作を書いた主人公の私は、文芸誌の発行日を待っている。
しかし、もはや書くことがなくなり、次作のためスラム街の慈善事業団へ取材に行く。


そこでハンセン氏病に罹った小学校時代の友人に逢い、
粗悪なコンドームを大量に売りつけられる。

彼に触ってしまったので、手を消毒していると彼が戻ってきて
病気をうつすといって追いかけてくる。


逃げ出した私は、南の町へ母親を探しに行く。
母親の住居を見つけて入ると、父親も一緒に入ってくる。
母は白人との間にもうけた不義の子を背負っている。
父は「……」と国全体を崩壊させる言葉をはく。
母は情人の白人への信頼の言葉で応酬する。
怒りだした父を鎮めるため、私は父に鞭打たせ、棍棒で殴らせる。


外に出て私は歯がぼろぼろに欠けた状態である女の家にゆく。
そこで、自分の第一作の掲載された文芸誌を見つけて読む。
急に頭が痒くなり、瘡だらけになる。腹痛がして胃の中に手を入れる。
すると自分がいつしか小川の中に沈んでいて、
傍らに生える古木におびただしい数の鴉がとまっている。


★感想
夢をそのまま小説にしたような作品。漱石の『夢十夜』に近いか。
「最後の日」「終末」「壊滅」という黙示録的な終末の雰囲気がある。
戦後の焼跡に展開する、時間概念さえ失った索漠たる光景を描いた短編。



島尾敏雄の文章というのは、熟語を強引に捩じ込んでとりすましていることがある。
例えば、主人公の私の頭に、天啓のように突然閃いた言葉。

(かっとまばゆい嘗ての日の真夏の昼の、海浜での部厚い重量感を呉れえ)


気持ちが悪いが、こういう表現に切実な実感がこもっているので読み手に伝わる。


夢といえば、私も「追いかけられる夢」と「歯のぼろぼろ抜ける夢」たまに見る。
この前も黒人に追いかけられて巨大な「とびばこ」の上に逃げる夢を見た。
筋肉番付に出てくるような巨大なとびばこだったけれど。



ネットの夢判断で調べると、
「追いかけられる夢」は周りの誰かが助けてくれる暗示。
「歯のぼろぼろ抜ける夢」は仕事運の上昇の暗示。
だそうである。


この作品の表現を夢としてすべて分析すれば、
小説家としての一歩を踏み出した島尾敏雄の心のゆれが
夢にかなり暗示されていることがわかる。


しかし、夢判断で作品を分析するのはどうでもいいことである。いいかげんなものだし。


重要なのは、この人には夢を対象としてひとつの実在を描くまでの実力がある。
こういう作品を発表してしまう島尾敏雄の屈託のない孤独の強さにたじろがされる。



その夏の今は・夢の中での日常 (講談社文芸文庫)


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posted by 信州読書会 宮澤 at 11:55| Comment(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月11日

プールサイド小景・静物 庄野潤三 新潮文庫


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★『プールサイド小景』 あらすじ
会社の金を使い込んでクビになった青木は、毎日家にいる。
夕方学校のプールで泳ぐふたりの息子の様子を見に行く。
そんな夫を見て、結婚して初めて、夫の存在がなんだったのか自問自答する妻。


夫婦の間にいつしか空白の長い時間が過ぎ去っていたことに愕然とする。
近所の目もあるので、夫はやがて背広を着て、
朝、とりあえず外出するようになる。あてどもなく。


★感想
昭和29年の作品。芥川賞受賞作。
ちょっぴり怪奇小説に近いテイストがある。



最後の場面は意味深。
凡作家なら、青木の水死体をプールに浮かばせてしまうところだ。



サラリーマンのエンドレスな日常に垣間見える闇の深さや
戦後の平和が隠蔽する人間の本来性を崩壊を予兆として露呈させている。


人間存在そのものに対する問いが投げかけられているのが、実存主義のテーマに近い。
だが、アンガージュマンに結びつかず、詩的な喚起を促すだけで、踏みとどまっている。


思想と文芸は別個という日本の伝統を守った芥川賞の手本。腹八分目で品がよい。


純文学の規定路線を教えてくれる「ものさし」のような作品。

プールサイド小景・静物 (新潮文庫)



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posted by 信州読書会 宮澤 at 11:53| Comment(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

百 色川武大 新潮文庫

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退役軍人で95歳のやや耄碌した父と50過ぎの作家の親子関係を描いた作品。
敗戦後、孤独にたてこもり生きてきた父と
長男として家を継がなかった私の共通点は、
お互いが諦念と僅かのわがままによって
なんとか自分自身と折り合いをつけて生き延びていることである。



この短編を読んで思い出すのは安岡章太郎の『走れトマホーク』なのだが、
劣等感を持って育った息子と戦後退役して老耄する父親という構図が似ている。



直接の葛藤を経なかった長男と父の関係というのは、
どうしても父の遠慮に比重がかかる。
よって両者の決定的な衝突を回避されている。


まあ、常に父親は長男を対等の存在として観るし
ある種の共犯者意識を持っているのだろう。
(私は次男なのでそういう感じとは無縁であるが…)
そういう親子の心理の綾を描いた点で貴重な短編である。


『熊がな。庭に入ってきている。皆で探せ』という父の命令は、
長男への屈折した遠慮が自己韜晦として現われたものに思えてならない。



老人は耄碌したふりをして、真実を掴んでいることがある。


百 (新潮文庫)



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ラベル:色川武大
posted by 信州読書会 宮澤 at 11:49| Comment(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

花影 大岡昇平 講談社文芸文庫


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★あらすじ


戦前から銀座で働くホステス葉子は38歳になる。
戦前は、さまざまな実業家や文士と浮名を流すが、
容色も衰え、そろそろ水商売も難しくなってきた。


一流の人物にちやほやされ享楽が身についてしまった彼女は、
平凡な結婚することにも、身請けされて妾として囲われることも、
自分の店を持つことも情熱が持てず、出口を求めてさまよう。
情事のかけひきが隘路に行き当たり、老いとともに姿を現した
深い虚無感に絡めとられ自殺する。



★感想
大岡昇平の心理小説。発表当時モデル問題で紛糾した。
講談社文芸文庫の小野谷敦氏による解説によると
主人公の葉子は、銀座のクラブで人気のあった坂本睦子であり、
小林秀雄、坂口安吾、河上徹太郎など様々な人物と関係のあった女性だそうだ。
作品に出てくる高島は青山二郎、松崎は作者の大岡昇平がモデルとなっているという。
坂本睦子は作品と同じく自殺している。


モデル問題を云々するとかなり刺激的な作品であり、
高島の零落っぷりは、青山二郎のものかと思うと愕然とさせられる。
(これに関しては『花影』を読んだ白洲正子が大岡に抗議しているらしい。)



モデル問題に興味がなくても「女の一生」として充分興味深い小説である。
夜の女を描いた点で、個人的には吉行淳之介の『技巧的生活』を思い出した。




葉子の同僚であった潤子は店を持ち、金しか信じられない。
また、同じく同僚の亜矢子も自分の店を持つことに情熱を見出す。
その一方で、金に情熱を持てない葉子は、馴染みの客で、
妻に死に別れた税理士の畑に結婚を迫られ、彼の千葉の実家へ誘われる。
そこで見たものは、みすぼらしい家と不安に目の泳ぐ畑の連れ子だけであった.




彼女は、安上がりの結婚とそこに続く退屈な生活への忍耐を生理的に受け入れらない体になっている。
さりとて、継母しか身寄りがない彼女には銀座しか居場所がないのである。
しかし、いまでも映画の恋人のようなポーズを強いられながら男と付き合うのもつらい。
奮起して、金を稼ぐために男を欺くにはやさしくて純粋すぎるのである。





彼女は追いつめられているのだが、なぜか深刻にはなれない。どこか他人事に感じている。
そして、自殺さえも安易で無責任な解決方法として選ばれているところに悲劇がある。


そういう死を選んだ彼女に、生前浅からぬ関係のあった人々は沈黙で答えただけである。
そこに義憤を感じて描かれた大岡による鎮魂歌であって、(彼自身が坂本と最後まで深い関係があった。)
それ以上の文学的価値は見出しがたいような気がする。



では、彼女を殺したのは誰なのか? 


そこまで、大岡昇平は書いていないが、彼らみんなで殺したのだろう。
誰もかもが、彼女を欲得尽くめの打算でしか見ていなかったのだから。


銀座の享楽の果てに生贄のように自死させられた夜の女の哀しい人生をえぐった作品。
現在もどこかで同じ悲劇が起こる可能性はある。そういう意味で古びてないのでお薦め。


花影 (講談社文芸文庫)


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ラベル:大岡昇平
posted by 信州読書会 宮澤 at 11:38| Comment(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月10日

山椒魚・遥拝隊長 他七篇 井伏鱒二 岩波文庫

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★『遥拝隊長』あらすじ
戦時中マレーで部下とともに河に落ち
脳障害をわずらい、故郷に復員後も敗戦を迎えても
なお戦争中と錯覚し、村人を部下と見做し
訓示を与えたり号令をかけたりする元中尉の狂人小説


岡崎元中尉の奇矯な軍事行動が平和裡の村を舞台としてユーモラスに描かれているが、
それが、将校という存在のグロテスクさを際立たせている。


だが、それだけではこの小説の深みはわからない。


私が注目したのは、シベリア抑留されていて
敗戦後、しばらくたってから復員した与十の存在である。


与十の小説内の役割は、岡崎元中尉が罹患した本当の理由を解き明かすべく
小説の展開上に必要な人物として登場した印象を与えるが、
よくよく読んでみると、彼の振る舞いも奇矯である。


彼は、シベリア抑留で赤化教育を受けて洗脳されている
もうひとりの重要な戦争被害者なのである。


最後の場面で復員した与十が、兄の棟次郎に連れられて墓参し
岡崎元中尉に出くわし、遥拝させられるが、
墓参を拒む与十の理由がさりげない一文をもって描かれているが
それは、シベリアでの赤化教育の片鱗をうかがわせる。


「与十の説によると、封建時代の残滓であると同時に宗教的に画一された姿を持つ墓を参るのは彼の主義に反するというのである。」

村人の新宅さんは与十をこう説き伏せる



「与十さんは、彼地の郷に入り、郷に従ったから自分の故郷に帰って従えんわけがなかろう。人間の生涯には素通りせんければならんもんが、なんぼでもあるよ。でも、よく帰ってきた。みんな心配して待っておったよ。さあ、お詣に行こう。」



軍国主義によって洗脳された岡崎元中尉とシベリアで赤化教育された与十を
厄介物扱いし忌避するのではなく「よく帰ってきた」の一言で
とりあえず温かく迎え入れ、抱きしめることによって、この村人たちの戦後は始まった。


それは、息子を慰め、家を守る元中尉の母親によって最も強く象徴されている。
この母のつつましい描写に、私は不覚にも涙するのである。


井伏文学はつつましい庶民の文学であると小沼丹が述べているが
戦後の文学の拠り所を、戦後民主主義といったイデオロギーでなく
庶民の温かな人情の持つ普遍的な価値に求めて展開させた点で
やはり井伏鱒二は剣呑な作家であるといえる。

山椒魚・遙拝隊長 他7編 (岩波文庫 緑 77-1)



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ラベル:井伏鱒二
posted by 信州読書会 宮澤 at 13:35| Comment(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

猫と庄造と二人のおんな 谷崎潤一郎 新潮文庫


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リリーという雌猫をめぐる男と女ふたりの感情生活を描いた中篇。


文学作品に登場する猫といえばやはり『吾輩は猫である 』が有名だが
私のお気に入りの猫は、内田百閧フ『ノラや 』の主人公ノラと
亡命三部作でセリーヌと逃避行をともにする猫のベベールである。
(リリーとかベベールという名前は猫のくせにグッとくるものがある。)



子のいない家庭で猫を飼っている中年夫婦は意外と多い。
猫を溺愛する男は異常なさみしがり屋で金銭管理が甘く
その上、酒好きが昂じて、糖尿病の気があると私は睨んでいる。(かなり偏見か?)


また、水商売の女性や婚期の遅れた女性が猫と一緒に独り暮らししているのは、
恋愛のトラウマや性格上の欠陥を連想させて、ハラハラさせる。


残念ながら私は重度の猫アレルギーで、猫と同じ屋根の下にいると
涙と鼻水と痒みに襲われて死にそうになるので猫を飼えないが、
犬か猫、どちらを飼うか迫られたらといえば猫を飼いたい。



ファシスト作家ドリュ・ラ・ロシェルが背広姿で椅子に座って
葉巻を燻らしながら、シャム猫をなでている写真があり
それがカッコよかったというどうでもいい理由だが・・・。


この独立心の強い気まぐれな生物は、人間社会強烈な支持者を持っている。
自分の周りで猫が好きな人を想像すると、みんなへんな人ばかりである。


この小説の主人公の庄造は、リリーという猫の屁の匂いまでも愛する男である。



庄造は最初の妻との不和になるが、その妻は冷え性で猫のほうが温かくて
気持よかったので妻への愛が疎かになり、妻がリリーに嫉妬して関係がこじれたのである。


そして次の妻もリリーに嫉妬しはじめたので、
庄造は譲ってくれと頼んできた前妻にリリーを預けてしまう。
それは、庄造への未練をたちきれない前妻の陽動作戦だったのだ。


小説の幕切れは大谷崎にしては中途半端であるが、リリーの魔性を堪能できる作品。お薦め。


猫と庄造と二人のおんな (新潮文庫)

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ラベル:谷崎潤一郎
posted by 信州読書会 宮澤 at 13:34| Comment(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

吉野大夫 後藤明生 中公文庫


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吉野大夫 (中公文庫)


中仙道というのは中山道とか仲山道とかいろいろな表記のされ方を
されていていったいどれが正しいのか今をもっても不明であるが、
学生時代に旧中仙道沿いに住んでいたことのある私としては、


「中仙道」という表記が一番感覚的にしっくりくる。
かつてある女子アナが「旧中山道」を「1日中 山道」と
なかなかシュールな読み間違いをしたという有名な逸話があるが、
「旧中仙道」と原稿に書かれていたらそんな読み間違いはしないにきまっているし、
その女子アナがいったい誰だったか気になるが、今をもってやはり不明なのである。


『吉野大夫』は江戸時代に中仙道の追分宿にいた遊女、吉野大夫の正体をめぐって
果てしなく脱線し、迷路のように錯綜する随筆的な小説である。
吉野大夫は勤王派であり、隠れキリシタンで、処刑されたそうな。



多くの後藤明生の著作同様、この文庫本も絶版で、
3年前くらいにたまたま中仙道沿いのブックオフで落掌したものだった。
なぜか、第三章まで読んでとまっていた。なぜかと思い出してみると、
第四章で吉野大夫が谷崎潤一郎の『吉野葛』ではないかという仮説が浮上し
それならば、読んでみるかと思い『吉野葛・盲目物語 』を購入して読み始めて、
どこがおもしろいのかわからず、途中で投げ出したままになっていた。


その後、いつの日か谷崎の『吉野葛』だけは読了したのだったが、
何のために読了したか忘れ、しかたなしに併録された『盲目物語』を
読み始めてしまい、そちらもやはり途中で飽きて投げ出し
同時に『吉野大夫』が読みかけであったことも忘れた。


最近、軽井沢の追分あたりまで仕事で出かけて、学生時代以来だなあと感慨に耽った。


そんなこんなで『吉野大夫』が読みかけであったことをやっと思い出し、ようやく読了した。
吉野大夫の過去帳を納めている泉洞寺のそばを車で通ったはずである。



追分には、学生時代に夏の合宿で訪れ、夜通し教授たちと呑んだのである。
あくる日、まだ酔っ払った状態である先輩と話す機会があった。
その先輩は隠れキリシタンの末裔だそうで、
代々実家では、人知れずキリスト教を信仰していたことを告白してくれて
2時間ぐらいふたりきりで内村鑑三やキリスト教の話をしたことがあった。


だが、宿酔の勢いで昼間からそんなディープな話をしてしまったその先輩とは
その後なんとなく学校であっても気まずくて、ただでさえ、しらふでは人見知りしてしまう私は、
その先輩と挨拶するだけで、それきり話す事もなかった。
吉野大夫が隠れキリシタンだと知って、しきりにその先輩のことを思い出した。



この小説には、横川先生=横田瑞穂教授、
大野教授=たぶんフォークナーの翻訳者で有名な大橋健三郎教授、
小山教授=故小島信夫氏、平林教授=後藤明生に追分の別荘を譲った故平岡篤頼教授
新川教授=新庄嘉章教授と追分に別荘を持つ先生方が仮名で出てくる。


しかしながら、後藤明生が冷やし中華を喰ったという小諸の島崎藤村御用達の食堂
『揚羽屋』は実名で、「一ぜんめし揚羽屋」として50年前からタレを仕込んだ
ソースカツ丼が有名であるそうで、現存する。私はまだ行ったことがないので
機会があったら来年の夏にでも冷やし中華を喰いに行ってみようと思う。



というわけで、脱線を繰り返したが、吉野大夫を巡って、谷崎の『吉野葛』と
それに触発されて書かれた花田清輝の『吉野葛注』、西鶴の『好色一代男 』や
吉行淳之介の『好色一代男 』の現代語訳、森銃三の『西鶴一家言 (1975年) 』などへの言及で
どんどんと途方もないラビリンスに飲み込まれてゆくので
『吉野大夫』は読み応えがあることは確かだ。



後藤明生っぽく脱線させながら感想を書いてみたが、
吉田健一のへたくそな文体模写みたいになってしまい長くなったのでここでやめる。


吉野大夫 (中公文庫)

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posted by 信州読書会 宮澤 at 13:18| Comment(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

テニスボーイの憂鬱 村上龍 幻冬社文庫


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住宅開発で土地成金となり、それを元手にステーキ屋をはじめ
さらに成功を収め金持ちになった青年のテニスと不倫を巡る物語。


ヘミングウェイの作品のように会話が多く、
簡潔な文章で、ところどころにユーモアがあって読みやすい。
とくにサイパンを舞台とした場面は、なにげないがしっかりしている。



主人公の不倫の相手となる吉野愛子と本井可奈子が
ふたりとも長野県出身という設定なのだが、田舎成金の不倫の相手は、
長野県に求められるべきだという皮肉なのだろうか? 複雑な気分だ。



携帯電話の普及がいかに恋愛に
不可逆的な変化をもたらしたということがこの小説からわかる。


主人公は妻子もちなので公衆電話からしか連絡が取れない。
それが遠因となって最初の不倫相手の吉野愛子と別れるのだが、
携帯電話が普及した現在からみると、この小説の設定が古びた感じは否めない。


自分が楽しくキラキラと輝いて生きられればいいと思う一方で
人から嫌われたくないので、周囲にそれなりに気を遣ってしまう
主人公のバランス感覚は、テニスに捧げる敬虔な信仰にも似た情熱に支えられており
それが、興奮と快楽に溢れるこの小説を案外、清潔なものにしているといえる。



なぜか腑に落ちる小説。金満家の主人公を憎めなかった。
憎むどころかなぜか、結構好きになるから不思議だ。

テニスボーイの憂鬱 (幻冬舎文庫)





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ラベル:村上龍
posted by 信州読書会 宮澤 at 13:17| Comment(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

月山・鳥海山 森敦 文春文庫

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★「月山」あらすじ
山形県の大網という村落にやってきた主人公は、
寺の住職に世話になりそこで一冬過ごす。
雪に閉ざされた村は、密造酒で生計を立てている。


この村の性と暴力の匂いのするおどろおどろしい土着的風習が描かれ、
衝撃的だが、すべてを抱擁する月山の幽玄な存在によって浄化される。


森敦ははじめて読んだのだが、
非人間的な土着の風習と農村の貧困の日常を描いたという点で
深沢七郎の「楢山節考 」の世界に近い。
他作品も読んでみようと思った。



寺に、昔あった坊さんのミイラは木食上人が断食のはてに即身仏なりおおせた物でなく、
他所からきて行き倒れた乞食を、はらわたをぬいて、燻製にして、即身仏にしたもので、
寺の経営を支える目玉にするために偽造したというエピソードが語られている。



東北ならずとも、このようなエピソードは田舎にはあるもので、
長野でも昭和の初期まで、行き倒れの乞食を祭りの生贄にしていたなんて話を耳にしたことがある。


村の生活の貧しさやうしろめたさが語られるほどに
対照的に月山の美しさが際立つという小説。


発情して暴れだした牝牛のために
タネをとりに吹雪のさなか街へ出かけていった
源助じいさんはその後、村に帰ってこれたかどうかが不明。気になった。


第70回芥川賞受賞作。地味ながら味わいのある作品なのでお薦め。
『月山』の寺のモデルとなった注蓮寺の隣には森敦文庫があるそうです。ぜひ行ってみたい。

注蓮寺HPはこちら↓ 即身仏のちょいグロ写真もあり。

http://www.ques.co.jp/yudono/cymenu.htm


月山・鳥海山 (文春文庫 も 2-1)

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posted by 信州読書会 宮澤 at 13:16| Comment(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

年月のあしおと(上下) 広津和郎 講談社文芸文庫

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『年月のあしおと』は
ツルゲーネフが「人生の幸福とは何ぞや」と訊かれて
「悔恨なき怠惰」と答えたというエピソードに
感銘を受け、またそのように生きた広津和郎の自伝。


泉鏡花、永井荷風、宇野浩二、葛西善蔵、芥川龍之介の
生の姿が活写されている美しい本である。特に宇野浩二発狂場面は泣ける


私が一番すきなのは早稲田在学時代の広津和郎が接した島村抱月のくだりだ。
当時、松井須磨子との恋愛で浮名を流していた島村抱月が講義でもらした言葉。


「近頃はデカダンという言葉がはやる。しかし、我々の生活を顧みると、やはり何処かにディケイしたものがある。例えば、知人から手紙を貰う。返事を書かなければという思いの中に、つい書けず翌日になる。翌日には、又新しい手紙が来る。それにも返事を書かなければならないと思ううちに、又書けず過ぎてしまう。それが毎日々々と積み重ねられて行き、心の負担になりながら一年、二年と年月が経って行く。手紙一つでもその通りです。そのほかいろいろなことがその手紙が負担になって行くように、心の負担になりながら、年月を通してわれわれをがんじがらめに身動きできないようにして行く」

広津和郎はこのような弱々しい言葉を吐く島村抱月に『何か深い真実』を感じ
島村の顔を見て感じていることが、彼の教える美学よりもずっと心に入ってきたという。


義理にがんじがらめ縛られ、生き難い人に、自由な風を吹き込んでくれる本。
特に手紙やメールの返事を書けない人にお薦め。

年月のあしおと〈上〉 (講談社文芸文庫)

年月のあしおと (下) (講談社文芸文庫)

続 年月のあしおと〈上〉 (講談社文芸文庫)

続 年月のあしおと〈下〉 (講談社文芸文庫)


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ラベル:広津和郎
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