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★あらすじ
岩手の美少年、アマネヒトは上京して「破滅派」というWEB同人誌に参加する。
「破滅派」の同人たちの奇矯な振る舞いが描かれ、
文学主義丸出しの青春群像がコミカルに展開。
アマネヒトは同人の女性を妊娠させてしまう。
★感想
広津和郎の『同時代の作家たち 』(岩波文庫)に
『奇蹟派の道場主義 ――葛西善蔵、相馬泰三――』というエッセイがある。
『奇蹟派』という私小説系の同人誌があり、
その同人の中心的作家であった葛西善蔵と相馬泰三の小説家としての屈折ぶりを、
広津和郎がうんざりしながら回顧したエッセイである。


『奇蹟』の作家、とくに葛西善蔵と相馬泰三は、
文壇に出てからお互いの交友関係を遠慮会釈もなく書きあったそうだ。
その状況を、高みの見物で面白がった宇野浩二は
『奇蹟派は面白い。めいめい道場を持っているから』
と拍手喝采したそうである。
宇野の『道場』という言葉は、葛西や相馬といった連中が、
触るものみな傷つける勢い創作活動に励んでいる点を指す。
彼らは、友情を持ってたずねてきた者が帰ってゆく後から
いきなり背中から一太刀浴びせるような辛辣さでもって創作した。
エッセイには、その辛辣ぶり実例として広津和郎が、相馬泰三によって
小説のモデルとして描かれ、怒り狂った事件の顛末が描かれていている。
以下、その事件を簡単にまとめて紹介したい。
地方新聞で連載した小説『荊棘の道』を単行本にしたい、と
相馬泰三から相談された広津は、新潮社の佐藤義亮に口添えし、
作品はめでたく出版の運びとなるが、出版されて広津が、
新聞書評のため、はじめて『荊棘の道』を読んでみると、
あろうことか、広津や、『奇蹟』の同人がモデルとされており、
相馬の手によって捏造された事実によって、モデル皆が中傷されていた。
相馬は、出版記念会で葛西を始めとする同人から吊るし上げられ、
祝賀会はモデル問題問責会となる。
しかし、やさしい広津は、自らも被害者ではあるにもかかわらず
皆のなだめ役にまわり、逆に大勢からやり込められている相馬に同情し
その晩一晩中、彼の背中をなでさすりながら、慰めてやったそうである。
そんなことがあって、出版記念会のあと、相馬は出奔してしまう。
そして、広津は
「来月の『新潮』に短編小説を書いたから是非きみに読んでもらいたい」
と書かれた相馬からの葉書を受け取る。
やがて『新潮』に掲載された相馬の短編を読み、あの温厚な広津が、激昂する。
短編には、『荊棘の道』出版の経緯が、そのまま描かれており、
さらにヒドいことに、広津をモデルとした文芸評論家に、
『その出版社顧問の第二流批評家』と注釈がつけられていた。
親切を二度仇で返された広津は、怒りで震えがとまらなかったという。
まあ、ずいぶん長くなったが、どうしてこんなこと書いたかというと、
『アウレリャーノがやってくる』という小説に出てくる『破滅派』という
WEB同人誌がどうやら実在し、どうやら登場人物の方々も実在しているのを
『破滅派』のサイトを見て、私が知ってしまったからである。
小説内で読み応えのある挿話、太宰が入水した玉川にみんなで出かけるくだりも、
どうやら実際の出来事であることが、そのサイトでよくわかる。
まあ、興味のある方は小説読んでから『破滅派』のサイトをググッてみて下さい。
(ただ、『破滅派』というサイトが、この作品のための著者単独の仕掛けだとしたら
それはそれで、壮大かつナンセンスなトリックである。まあ、そんなことないだろうが。)
つまりは、『破滅派』が『奇蹟派』みたいで凄いなと感心した。
まあ、この小説内の同人も描き方には、相馬泰三ほどの悪意はないとしても、
同人との交友をそのまま小説にするというのは、とんでもないことだと思う。
なにが、とんでもないかはうまく表現できないが、やはりとんでもない。
あと、小説自体はペダンティックな部分が結構、笑えた。
この作品への選評は、かなりの充実ぶりだったと思う。
私ふぜいが、あの選評で論じられた感想以外に書くことはない。
ただ、阿部和重の選評が、私にとって一番納得いくものだった。
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