ツービートの漫才ブームやひょうきん族をリアルタイムで知らない。
よくおぼえているのは、なるほど・ザ・ワールドの特番スペシャルで番組対抗で出演したたけしが、黒柳徹子を「この、ババア」と、おちょくったことだ。スタジオは凍りついていたが、テレビで見ていた小学生の私は笑った記憶がある。黒柳徹子を目の前でババア呼ばわりして笑いをとろうとした芸人はその後見たことがない。あのころのビートたけしはギラついていてアナーキーだった。
「浅草キッド」は、たけしの師匠、深見千三郎に捧げられた小説だ。
深見千三郎はたけしの芸人としての出発点となった、ストリップ劇場フランス座の座長で、最初で最後の師匠である。江戸っ子で口が悪く、そのくせ繊細で、サービス精神旺盛、さみしがりやで、なおかつ孤独の影が常にさしている師匠。
その師匠に感化され、たけしが芸人として独り立ちしてゆく姿が描かれている。
深見の芸でたけしがもっともお気に入りなのが、師匠の持ちネタ「川の氾濫のコント」。
役場の職員が権力をたてにして「役場の人間をナメているのか」と言いながら脅しで女の子のパンツをのぞこうとするセコサが笑いどころのコントだ。
田舎者や権力者の愚昧を徹底的に笑っていくというたけしの芸風は、師匠から引き継ついだことがよくわかる。
芸人としての矜持を忘れないことを教え、本物の芸の迫力を伝えようとする師匠の指導は、浅草の演芸場が時代とともに斜陽になってゆく中で、生身の人間としての生き様を滑稽な悲哀ともに見せることに他ならなかった。
かわいがられたたけしも、浅草に飽きたらずにコンビを結成して漫才するためにフランス座をでてゆく。
師匠はもはやとめるすべがない。修行途中で出て行くたけしと決別する
師匠は漫才を芸だと思っていなかったし、漫才なんか芸じゃないと、本気でそう思っているところもあった。漫才は世の中に出るための足がかりで、芸人の目標ではなじゃない、とたけしは語る。本書は、浅草を飛び出したにもかかわらず、なかなか芸人として売れないところで終わる。そしてその後のたけしの作家や映画監督としての幅広い活躍を見ることもなく、深見千三郎は孤独な焼死を遂げる。師匠と弟子の関係が鮮やかに描かれている。
たけしが深見千三郎と飲んだ夜に、火事があって参ったとTVで話していました。
深見千三郎はウィキペディアによると美ち奴の弟だそうです。驚きました。
浅草キッド (新潮文庫)
続編は「漫才病棟 」文春文庫 こちらもお薦め。
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