信州読書会 書評と備忘録

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2013年06月15日

東京八景 太宰治  新潮文庫『走れメロス』所収


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★あらすじ
心中未遂、薬物中毒、放蕩、恋人の浮気、
身に余るサービス精神ゆえの膨大な負債などで
数々の迷惑な事件を起こし、裕福な実家から義絶され、
仕送りを止められ、ついに一文士として貧窮のなか
生計を立てるの決心を固めた語り手の私=太宰。

20代の我が身に降りかかった事件が
走馬灯のようなせわしさで東京の風景とともに回想される。


最終部で義妹の夫T君の出征を見送るために、芝公園に出かけ、
みすぼらしい風体の太宰は、T君の親族から冷たい視線を浴びせられるが、



『人間のプライドの窮極の立脚点は、あれにも、これにも
死ぬほど苦しんだことがあります、と言い切れる自覚ではないか。』



と大胆に開き直り、T君の妹の留守中の面倒を引き受ける勇ましい宣言をして
自らは、『東京八景』という作品完成のため伊豆温泉に出かける。


★感想
花田清輝の『風景ついて』(『もう一つの修羅』所収)


というエッセイの冒頭において、
『東京八景』がかなり好意的に言及されていたので読んだ。


というかエッセイ『風景について』は花田版の『東京八景』である。
まあ、その感想は、改めて書くとして、(実は結構感動したのだが。)
久しぶりに太宰治を読んで、何ともいえない気分になった。

まあ、高校時代に『走れメロス』や『人間失格』読んだときは、
それなりに興奮もしたし、部分部分では自分のことがかかれていると
(告白するのも恥ずかしいことだが、)錯覚しないでもないのだが、
やがて太宰の自意識過剰ぶりは疎ましい、という相対化の仕方を学んで、
得意げになっていた20頃も過ぎ、いつのまにか若さの確信も揺らいで
好きでも嫌いでもなくなり、どうでもよくなり、今にいたっている。


太宰の文章というのは、粉薬が、一気に飲み込まないと、飲みこめないように
一気呵成に読まないと、読みきれないようなところがある。久々に読んでキツい。

あの甘ったれぶり、被害者を煽り立てるような弱々しさ、
弱々しさというのに語弊があれば、挑むような柔らかさに、
いちいち引っかかっていると読みきれない。
だけども、太宰が32の頃に書いたこの作品は、
30にさしかかる自分が読んで、また違った味わいがあった。


まさしく『かつてアルカディアに私も』とつぶやいてしまいたくなるような
過ぎ去った青春への、近そうでいて、二度と戻れないの距離感が表現されていた。

『苦しみの綜合代理店』みたいな太宰ほど深刻ではないにしても、
誰でもが、30代にさしかからんとすれば、
この小説のさまざまなシーンに、苦しんでいた頃の自分の姿が、
ちらちらと重なって浮かび上がるような、心もちにさせられるのではなかろうか。

高校生のように、希望に満ち溢れているゆえに
甘い感傷に惹かれてしまうのとは別の意味で、
30目前になると、もはや手遅れだ、という実感が
払拭しがたいだけに、感傷も苦みばしってくる。


『東京八景』は、そういう苦みばしった感傷の味わいを、存分に含んだ短編である。


アヴァンギャルドの芸術運動をしていて、「心臓は犬にくれてやった」と
豪語した花田清輝でさえも、これを読んでかなり感傷的になっていた。


花田清輝版の『東京八景』の、核心にある感傷の苦さについては、また改めたい。



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posted by 信州読書会 宮澤 at 14:28| Comment(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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