信州読書会 書評と備忘録

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2013年06月15日

業苦・崖の下 嘉村磯多 講談社文芸文庫


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★あらすじ
圭一郎は、田舎に妻子を残して近所の娘、
千登世と駆け落ちして上京する。


駆け落ちの理由は、妻である咲子が、
結婚前に、圭一郎の嫌悪する同級生、山本と関係を
もっていたことが発覚し、不和に陥ったからであった。

圭一郎は、一人息子の敏雄や、迷惑をかけた
郷里の父親、妹に対して罪悪感を覚えながらも、
妻を決して許すことができない。
よって、彼は生皮をはぐような自責の念で懊悩する。

上京後、圭一郎は就職もままならず、
父親から奪った預金も使い果たし
なれない仕事によって消耗し、体調を崩す。
生活上の不如意によって千登世も、やせ細る。

★感想

上京後の同棲生活から過去の夫婦生活を回想した私小説。ほぼ実話。

真面目すぎて救いがなく、ユーモアも皆無のため
物語の構造云々など、のんきな感想は、書きようがない。

人間の煩悩の罪深さが投げっぱなしにされ、
それが、宗教によって罪が浄化されることもなく
実にいやな後味を残して終わっている。


小説内でも言及されているように、事態の打開のために圭一郎は
真宗の僧侶の説法を受けるが、反発をおぼえるだけであった。

ただ、この短編は、連作として続編があり、
そっちを読んでいないのでなんともいえない。

年譜によると、嘉村は23歳の年に
安部能成の薦めでスピノザを熟読したそうである。

そういう意味で、妻の貞操への疑念を、
人間の倫理に関する哲学的な問題として
処理しようとして、躍起になるが果たせず、
さらに、経済的な問題まで抱え込んだために
泥沼に陥っていったと感じられる。


キリスト教の倫理と哲学を統一させようとしたスピノザの著作が、
そういう人間に、生活上の救いを与えてくれるかと言うと
さらさらそんなことはないので、ただに気の毒である。


物語に対して超越的な神の視点を欠いた文学である。
無力な人間が、ひたすら懊悩し、のたうちまわる
地獄が描かれている。これでは結末のつけようもない。

しかしながら、嘉村にとっては、この短編を書くことが、
過去の清算であったとしたら、唯一の救いだったかもしれない。
そういう意味で、読者にとって今でも生命を失っていない小説である。



★『業苦』に関連して思い出した作品

小島信夫の『抱擁家族』
これも妻の不貞の疑惑からなる小説だったと思うが、
すでに主人公の倫理観がおかしな具合に崩壊しているために
SF小説としか思えない、とんでもない境地を開拓していた。


トルストイ『クロイツェル・ソナタ』
殺人によって、妻の不貞への疑惑に、結末をつけた。

太宰治の『東京八景』
やはり、恋人の浮気を取り扱っていたが、
その事件を、薬物と、放蕩と借金、心中未遂などで、
追い討ちをかけるように事態を紛糾させることで、
浮気問題を忘却のかなたに押し込めようとした。
太宰に関しては、やはりキリスト教を頼みにして、
自らを受難者として慰めていたふしがある。

よくよく考えると、イタリア文学やフランス文学なんかで
妻の不貞が、それだけで独立した主題として扱われる小説は、ほとんどない。
日本の純文学は、夏目漱石の頃からこの問題ばかりである。


妻の不貞と、夫の倫理観の脆弱さに、
折り合いがつかないというか、
落としどころがないというのは
日本人特有の「家」の問題と、
ひいては「家」を単位とする日本社会の構造的問題に
帰着するので、大問題になってしまうようだ。
逆に、それが、問題になっていないような不倫小説は、
登場人物の社会に対する開き直りの強さと
それを支える彼らの経済的なゆとりの度合いが問われる。

業苦・崖の下 (講談社文芸文庫)





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ラベル:嘉村磯多
posted by 信州読書会 宮澤 at 14:27| Comment(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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