信州読書会 書評と備忘録

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2013年06月15日

厨房日記 横光利一 『機械・春は馬車に乗って』 新潮文庫所収


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★あらすじ
ヨーロッパ旅行から帰国した梶は、日本の近代化の幼稚さを痛感。


そんな折、夜になっても帰らない我が息子を
暗闇の中で捜すが、それが日本における
自分の状況とそっくりだと気がつき心細くなる。
知識人階級の苦しみにあふれる作品。


★作品成立の経緯
偶然、パラパラと横光の短編集を開いていたら、
トリスタン・ツァラと会話している短編があり、
驚いて、読んでしまった。

横光は、ほとんど読んだことがなかった。
写真でみると、髷の結えない新弟子みたいな顔である。


昭和11年の2月から8月にかけての6ヶ月間、
横光利一は新聞社特派員としてヨーロッパを訪問している。

その年、ヨーロッパは大ストライキが起こっており、社会不安に後押しされるように
知識人階級を中心としてシュールレアリズムの運動が盛んになっていた。
滞欧中に、横光はシュールレアリストの代表格である詩人のツァラを訪問した。


ツァラに、日本のことがわからない、教えてくれと頼まれ、
横光は、日本では地震が一番の外敵だと、混乱気味に応えた。

その後、ベルリンオリンピックを観てモスクワに寄り、
シベリア鉄道で帰ってきたそうである。


前半には西欧体験が小説形式でレポートされている。
横光は西欧知識人の生活に、よほどショックを受けたらしい。反省ばかりしている。
後半は、日本の地方に残る封建制の残滓をめぐる愚痴めいた考察であり、痛ましい。

筋という筋はなく、ほとんどが西欧体験の告白書。
小説にする必要があったのか不明。


★トリスタン・ツァラについて
ルーマニア生まれの詩人。ダダイズムの創始者。
思潮社から出ている詩集を昔読んだ。


詩句の観念的な飛躍にロマンチシズムがあるぶんだけ
シュールレアリストにしては日本語に翻訳されても、
ああ、かっこいいなと思えるところがあり、読みやすい。
たぶん、相当な美的センスのある詩人だと勝手に思っている。




★横光の描いたツァラの初対面の印象を以下に引用。



ツゥラアは少し猫背に見える。脊は低いがしっかりした身体である。声も低く目立たない。
しかし、こういう表面絶えず受身形に見える人物は流れの底を知っている。

この受身の形は対象に統一を与える判断力を養っている準備期であるから、
力が満ちれば端倪すべからざる黒雲を捲き起す。

猫を冠っているという云い方があるが、
この猫は静かな礼儀の下で対象の計算を行いつづけている地下の活動なのであろう。
まことに受身こそ積極性を持つ平和な戦闘にちがいない。



『表面絶えず受身形に見える人物は流れの底を知っている。』
なかなかの洞察力である。どっかでパクって使いたい言い回しである。

『酒場でつぶやきたいセリフ集』とか『麻雀必勝法』とか、
『部下に一目置かれたいときのセリフ集』とかに収めるべき警句。

この警句からわかるように横光は対人洞察力が過敏であった。
帰朝後、その洞察力を自分自身に向けてみたら、
いままで気がつかなかった日本のなかの空虚な自分を発見して
号泣したくなるような絶望感を味わってしまう。


小説最終場面の梶の「あーあ、もとの黙阿弥か」という独り語りが
彼の妻の笑いを誘うというユーモラスな終わり方が、わざとらしい。

ザ・カルチャーショックな短編。題名の意味がよくわからない。なんの『厨房』?
ツァラの「シュールレアリズムは日本で成功していますか?」という質問に、
「日本ではシュールレアリズムは地震だけで結構ですから、繁盛しません」と
応えようとして、思いとどまった梶=横光に、アドリブの弱さを感じた。

機械・春は馬車に乗って (新潮文庫)


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posted by 信州読書会 宮澤 at 14:25| Comment(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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