信州読書会 書評と備忘録

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2013年06月15日

ブライヅヘッドふたたび イーヴリン・ウォー 吉田健一訳 ブッキング その2


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★第一部『會てアルカディアに』続き


セバスチャンに感化されたチャールス・ライダーは、従兄のジャスパーの忠告も虚しく
セバスチャンら悪友と付き合い、午後から酒を煽るような、浪費と放埓の生活に溺れてゆく。
チャールスは、夏学期の終りに彼を見かねたジャスパーから最後の訪問と抗議を受ける。


彼は、全くの責任感からだけでその午後、私のところへ来たので、
それは彼にとって非常に迷惑だったと同時に、私にとっても迷惑だった。




ジャスパーは、チャールスの部屋が、風狂に満ちていることを叱る。(以下引用、改行は適当)




「又その点に就いてもだ、叔父さんが君にいくらやっておられるか知らないが、
君はその倍を使っているんじゃないかな。こんな、」と彼は
私の部屋のどこにも明らかな浪費の形跡を手の一振りで示した。


それは、本当であって、私の部屋はそれまでのような寒々とした様子をしたものではなくなり、
それも決して少しずつではなしに、目に豊かに訴えるものになっていた。


「これは支払ずみなのかね、」というのは、
食器棚に載っているパルタガスの葉巻が百本入っている箱だった。


「或は、これは。」それは卓子上の、十何冊かの当時流行の新刊書だった。



「或は、これは、」というのはラリク製の洋酒瓶とグラスで、
「或はこの、何とも言えないものは、」というのは、
私が大学の医科から買ったばかりの髑髏で、
それが薔薇を盛った鉢の中央に置かれているのが、
その時は、卓子の上で最も目を惹くもので、髑髏の額の所には、
「會てアルカディアに私も」という文句がラテン語で彫ってあった。






どくろの額にラテン語の詩句を彫って、バラの鉢に飾るという露悪的なセンスが
通用するような友人とばかり付き合って、チャールスは麻痺していくのである。
こういうことをやって腑に落ちる日本人は、まあ、澁澤龍彦くらいのものだろう。
ジャスパーの叱責を思い出し、チャールスはのちに、こう回想する。








あれから、二十年たった今、私はあのときしたことで、しないで置くか、
或は別な具合にしたほうがよかったと思うものは、先ずない。

私はジャスパーの闘鶏擬いの成熟にもっと逞しい鶏を立ち向かわせることができる。


私は彼に、あの時代に私たちが悪に耽っていたのは、
ポルトガルを流れるドゥーロ河沿岸の純粋な葡萄の液に混ぜる酒精のようなもので、
この色々な暗黒の成分を含む強い酒精がポート酒の発酵を抑え、
酒が何年も酒倉に置かれてついに食卓に出すのに適した状態となるまで、
それを飲めなくしているのと同様に、
私達がしたことは私たちの青春の作用を遅らせるとともに、
それを豊かにしたものだと彼に言うことが出来る。


私は又彼に、一人の人間を愛してその人間に就いてを知るのが
一切の知恵の根幹なのだとも言える。



アルカディアとしての青春時代を過ごした人間のさみしい告白である。


読んでてさみしい。


ブライヅヘッドふたたび


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posted by 信州読書会 宮澤 at 14:20| Comment(0) | イギリス文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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