信州読書会 書評と備忘録

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2013年06月15日

仰臥漫録 正岡子規 岩波文庫



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結核と脊椎カリエスに病み、35歳で亡くなった俳人、正岡子規の日記。
死の1年前から、麻酔剤で昏倒するまでの日々を綴ったもの。


内容は詠んだ俳句、その日の食事と、来客の様子などが、主であるが、
たまに、子規のこらえきれない煩悶が描かれ、せつなさを誘う。


独身の子規は、母と出戻りの妹に看病されていた。
明治34年10月13日の日記の内容は要約すると以下のとおり。


この日、朝から大雨が降る。午後になって晴れると、
子規は精神がおかしくなってきて、「どーしよう、どーしよう」と連呼する。
母は、「しかたがない」と静かな言葉で応えるのみである。


子規は、母に用事をいいつけて、外出させ、家に独りきりとなる。


蒲団から一歩も出られない子規は、枕もとのすずり箱の中にある小刀で
自殺をしようと煩悶する。


小刀を手に取るか否かで迷いしゃくりあげて泣き出す。
さすがの子規も、こういう精神的惑乱を、したためる日がある。


翌春は、麻酔剤を使うようになり、
7月からは日付のあとは天気と麻酔剤を投与した時刻のみが
記されるようになる。明治35年9月19日未明に絶命。




正岡子規が、深刻さを極力排除した我慢強さに仰天する。


これ俳句の精神であるならば、それはひとつの信仰であると思う。
俳句における写生が、眼前の事物の存在を知覚するものならば、
その存在を可能にしている無限は、まさに完全である。



その「完全」を、スピノザは『エチカ』において「神」と名付けていた。


仰臥漫録 (岩波文庫)



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ラベル:正岡子規
posted by 信州読書会 宮澤 at 14:10| Comment(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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