信州読書会 書評と備忘録

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2013年06月15日

ペシミストの勇気について 石原吉郎詩文集所収 講談社文芸文庫

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G・ドゥルーズは哲学の無力を嘆いた。


最近河出から文庫化された『記号と事件』の冒頭でこう述べている。




哲学は力をもたない。力をもつのは、宗教や国家、資本主義や科学や法、
そして世論やテレビであって、哲学はけっして力をもたない
哲学にできるのは折衝をおこなうことだけである。


哲学以外の諸力は私たちの外にあるだけでは満足せず、
私たちの内部にまで侵入してくる。
だからこそ、私たちひとりひとりが自分自身を相手に不断の折衝をつづけ、
自分自身を敵にまわしてゲリラ戦をくりひろげることになるわけだ。
それもまた哲学の効用なのである。





ともすると無力感でいっぱいのような誤解を与える宣言である。


『自分自身を敵にまわすゲリラ戦』


この言葉を考える時に思い浮かぶのが、石原吉郎の『ペシミストの勇気について』である。
シベリア抑留の収容所でであった二十五年囚、鹿野武一の肖像を描いたエッセーである。


人間が徹底的に個性を剥ぎ取られ人権を踏みにじられ
脱人間化させられる苛酷なシベリア収容所生活のなかで、
鹿野が、突然、失語状態に陥ったように沈黙し、絶食を決行する。


理由は、ペシミストとして生きることを己に課したはずの鹿野が、
街の公園での作業の最中に、ある令嬢からパンの施しに与かったためである。


明確なペシミストとして、生きていた鹿野には
人間的なすこやかさと温かさが、
生きる意志を奪う、致命的な衝撃であったのだ。



なぜなら、彼は収容所の殺伐とした集団生活の中で
自らを加害者と被害者という集団的発想を超えた位置に疎外して、
精神的自立を辛うじて獲得していた。


明確なペシミストとしてあることが、唯一の生きる勇気であったのだ。


しかし、ふいに訪れた令嬢のやさしさが、
彼の精神的自立の「位置」を奪うような恐怖であり、
彼の精神崩壊をまねくまでの脅威と映った。


その脅威がひいては、絶食の原因となった。


石原吉郎は、そのペシミスト鹿野の決行したたったひとりの絶食を『勇気』と称える。


私が無限に関心をもつのは、加害と被害の流動の中で、
確固たる加害者を自己に発見して衝撃を受け、
ただ一人集団を立ち去ってゆくその<うしろ姿>である。


問題はつねに、一人の人間の孤独な姿にかかっている。
ここでは、疎外ということは、もはや悲惨ではありえない。
たどりついた勇気の証しである。

そしてこの勇気が不特定多数の何を救うか。
私は何も救わないと考える。


彼の勇気が救うのは、ただ彼一人の<位置>の明確さであり、
この明確さだけが一切の自立への保証であり、
およそペシミズムの一切の内容なのである。


単独者が、単独者としての自己の位置を救う以上の祝福を、
私は考えることが出来ない





自分自身の位置を救うこと、これは自分自身を敵にまわして
ゲリラ戦をくりひろげることにほかならない。
内部に侵入してくる諸力の脅威にあらがって
精神的自立を守るためのゲリラ戦とは、
鹿野のように明確なペシミストになることを要求する。

石原吉郎詩文集 (講談社文芸文庫)



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ラベル:石原吉郎
posted by 信州読書会 宮澤 at 14:06| Comment(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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