信州読書会 書評と備忘録

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2013年06月15日

侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な  芥川龍之介 岩波文庫

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芥川龍之介 侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な

芥川最晩年の評論的断章。
谷崎潤一郎との「話」らしい話のない小説に関する論争の引き金となった。



現在にも通ずる論考が満ちていて、刺激的な本だが、
芥川の参照にする小説や作家ついての予備知識がなくては、
何の話かさっぱり理解できないという不親切な本でもある。


『三十八 通俗小説』という断章があり、
そこで、芥川が「通俗小説」を定義している。
ただし、この「通俗小説」というのは「探偵小説」や「大衆文芸」を含んだものではないと
芥川が自ら注記している。なので、後々「純文学」と呼ばれるようになった
小説の中での「通俗小説」のことを指していると思われる。



いわゆる通俗小説とは詩的性格を持った人々の生活を比較的俗に描いたものであり、
いわゆる芸術小説とは必ずしも詩的性格を持っていない人々の生活を比較的詩的に書いたのものである。
両者の差別はだれでも言うようにはっきりしていないのに違いない。
けれどもいわゆる通俗小説中の人々は確かに詩的生活の持ち主である。これはけっして逆説ではない




芥川らしい嫌味な逆説だが、それに対してまで
『これはけっして逆説ではない』とエクスキューズをつけていて、
用意周到というか、気の毒なほどに神経過敏である。


『通俗小説中の人々は確かに詩的生活の持ち主である』

という指摘は無視しえない。
クラシックを聴いたり、映画を観たりするような詩的性格を持った登場人物の
詩的生活を描いた小説は、芥川の定義では『通俗小説』ということになる。

現在の「純文学」と一般に呼称される小説のうちで、「通俗小説」の陥穽を遁れた小説を探すのは難しい。
同じく『詩的性格を持たない人々の生活を比較的詩的に書いた』小説を探すのも難しい。

ただ、芥川は、志賀直哉を「通俗小説」の陥穽を遁れた作家として評価しているのが本書でわかる。


侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な (岩波文庫)


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posted by 信州読書会 宮澤 at 13:57| Comment(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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