信州読書会 書評と備忘録

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2013年06月15日

かもめ・ワーニャ伯父さん チェーホフ 新潮文庫


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★『かもめ』あらすじ


作家志望のトレープレフと女優志望のニーナは、恋人同士である。
田舎に住む伯父の家の庭に、小舞台を組み立て、ニーナ主演で自作の演劇を上演する。



有名な女優であるトレープレフの母、アルカージナと
その愛人である著名文士トリゴーリンは、その演劇を観て欠伸をもよおす。



それを見て、トレープレフは、自尊心を傷つけられて上演を中止する。
その上、その後、彼はトルゴーリンにニーナを寝取られ、自殺未遂をする。


二年後に、トレープレフは、新進作家としてそこそこ名前が売れはじめる。


そして、彼は、夢を追いかけて挫折し、トルゴーリン捨てられたニーナと再会する。
ニーナは、まだトルゴーリンのことを愛していた。
その告白を聴かされて、トレープレフは、自殺する。



★感想
喜劇と銘打たれているが、どう考えても悲劇である。


「かもめ」というのは、理想の象徴みたないもの。
かもめをトレープレフが撃ち落し、トリゴーリンが剥製にした。
そのエピソードが、作品の主題を暗喩している。



トレープレフという青年は、すごいお坊ちゃんである。
劇場否定論者でデカダンな新形式の文学を模索する文学青年である。
自意識過剰で、少し名が売れて、余計に自らの才能に不安になった。


そして人生にも、演劇にも、なにひとつ満足できる志を立てられず自殺する。
今読んでも、なお古びていない人物像が描かれている。
背景に、ロシアの社会情勢の不安が深く影を落としているのも見逃せない。貴族の没落。


★演劇について


登場人物がたくさん出てくるが、解説によると、
すべてチェーホフの短編に出てきた人物が、
再利用されて、この戯曲は構成されたということである。
そして、短編はすべて、チェーホフの実体験から取材したものだそうだ。



劇中、モーパッサンやゾラ、トルストイ、ツルゲーネフついて言及されていて、
それらにチェーホフのグロテスクとも言える自意識の肥大が垣間見える。


1896年の初演は大失敗して、その2年後の1898年、


新進気鋭のスタニフラフスキーの斬新な演出による再演で成功をおさめた。
演劇としては、劇中劇をとりいれて、20世紀演劇につながる先見性を見せている。
トレープレフとニーナの劇中劇の演劇失敗が、青春の挫折として象徴されている。



最近、スーザン・ソンタグの『反解釈 』を読んだら、
「演劇における劇中劇」と「小説における寓話」の登場を
20世紀文学の特徴として、分析していた。



ソンタグの意見を換言すると、自覚的知性が大手を振って作品内に歩き出すと、
作品内に、劇中劇を取り入れて、主人公の自意識を分離しなければならなくなるそうだ。



『女中たち』のジュネも劇中劇を取り入れている。
『三文オペラ』のブレヒトも、そしてベケット、イヨネスコも……。
この辺の作品はソンタグが例にあげていた。




演劇のなかの主人公までもが、劇中劇というメタフィクションで
自分とは違ったキャラクターを演じ、違った運命を生きようとする。



それほどまでに、20世紀の自覚的知性というのは厄介なのである。
メイドカフェやアニメの二次創作が自覚的知性かどうかはわからんが・・・。



90年代に『新世紀エヴァンゲリオン』のブームがあって最終回のメタフィクションが話題になったが、
あの程度のメタフィクションは演劇で、すでにやり尽くされているのが、最近よくわかった。


19世紀のチェーホフですら、100年前にメタフィクションを導入して青春の挫折を描いている。

メタフィクションの批判的な導入をアニメに見いだして、
アフリカの奥地で新発見された滝かなんかのように

オタク擁護の文脈で、大げさにありがたがるのは、ナンセンスだろう。


かもめ・ワーニャ伯父さん (新潮文庫)



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posted by 信州読書会 宮澤 at 13:41| Comment(0) | 戯曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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