信州読書会 書評と備忘録

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2013年06月15日

詩学 アリストテレス 岩波文庫 その三

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★アリストテレスの『詩学』第十五章『性格の描写について』について。





悲劇において『性格』より『筋』を重視するアリストテレスも、


『性格』の描写について次の4つを目標にせよと述べている。





第一、性格はすぐれたものでなければならない。


第二、性格をふさわしいものにする。


第三、性格を(わたしたちに)似たものにする。


第四、性格を首尾一貫して再現する。





この順に、しっかり描写せよと述べている。


簡単に言っているが、これはずいぶん難しいことである。


とりわけ現代においては、『性格』の基準がものすごく難しい。





性格のふさわしさについて、アリストテレスは例をあげているが、





『女性が勇敢な性格をもつことはありうるが、しかし女性があまり勇敢であるとか

利口であるとかいうのは、ふさわしいことではない。』




というのだ。


今こんなこといったら、各方面から総スカンを喰らう可能性がある。


『性格をわたしたちに似たものにする。』といわれても、どんな性格なのか。


アリストテレスに似た性格の人など現代にいるだろうか?





現代文学で、普遍的な『性格』が前提とするのは難しいのである。


しかし、アリストテレスに範をとる古典主義は普遍的な『性格』と


それを裏付ける『理性』が存在し、共有されているということを前提にしている。


この辺の、のんきというか、無邪気とういか、性善説ともいえる人間観がうらやましい。





そして、アリストテレスは、





『劇の出来事になかにはいかなる不合理もあってはならない。それが避けられない場合には、


ソポークレスの「オイディープス王」におけるように悲劇の外に置くべきである。』




と述べる。





『不合理があってはならない』というのは、あんまり異常な出来事、


たとえば『殺戮』とか『陵辱』とかを指していると思われる。


そういうことは、悲劇の舞台で再現しないで、


劇の外で起こったことにしてくれと、アリストテレスは言いたいらしい。





『詩学』の論考が連綿と受け継がれ、伝統にまで高められたからこそ、


フランス演劇の古典主義では、『不合理』は、『理性』に名において厳しく問い詰められる。


言い換えれば、古典主義というのは、表現の首には鈴がついている。自由が利かないのである。





だからこそ、父殺しの犯人であるロドリーグと結婚してしまうシメーヌの性格上の『不道徳』は、
まさに『不合理』として糾弾されるのである。





『ル・シッド論争』についてのアカデミー・フランセーズの裁定について


書こうと思ったのだが、以上のことをやはり前置きとして述べておきたかった。

詩学 (岩波文庫)




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posted by 信州読書会 宮澤 at 13:30| Comment(0) | 戯曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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