信州読書会 書評と備忘録

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2013年06月13日

重力の都 中上健次 新潮文庫


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★『重力の都』あらすじ
山の飯場を転々とし、金がたまると山を下りて
女と過ごす流浪生活の由明は、ある女と暮らし始める。


その女は、夜な夜な伊勢の墓の御人というゾンビに犯され、
「痛ガヒドクナルカラ雨ヲ止メテクレ」というゾンビの声を幻聴をきく。
女は、木綿針で目を指してくれと頼むので、
由明は、いわれたとおりに刺し、女は盲いる。



★感想
谷崎へのオマージュとして捧げられた短編。言い訳としか思えない。


道具立ては、目を針で刺す、鶯の愛玩などは、谷崎の『春琴抄』から
また、ゾンビは折口信夫の『死者の書』からのいただき。


要するに、パスティーシュ。
作者が自前で考えたプロットはない。
よって、なにも、心に残らない。
男と女の出会いをきっちり描くという面倒な作業がよっぽど嫌いらしい。



よって、描写のリアリティーはない。全部おとぎ話のような語りの中で展開されるので、
三人称を装っていながら、結局は、一人称の告白である。独創性のない告白。文飾もマンネリ。



ジッドの『背徳者』でもドストエフスキーの『死の家の記録』でも
トルストイの『クロイツェルソナタ』でもなんでもいいが、
異常体験を告白した小説は、中身が一人称の告白であっても、
冒頭、作者が告白の当事者から伝聞したというエピソードが添えられているものだ。


つまり、遊園地の入り口で、「いらっしゃいませ」と声を掛けるような
虚構の入り口への案内みたいなものがある。


中上健次は、そういうまどろっこしい案内サービスをしないので、
結局、どの短編もいきなり夜郎自大な男が出てきて、女とまぐわいはじめる。
どれも、構成が似通っていて、読者は「ああ、いきなり本番・・・か」と
聞き飽きた落語を、枕なしで聴かされるような気にさせられる。


枕なしで、さらに中身がパスティーシュということを
恥じてないのだか、確信的にやっているのだか知らないが、
そこに、中上健次の傲慢さを感じて鼻白む。


ただ唯一、女が石をぶつけられて血を流している子どもを見たと
唐突に語りだすシーンだけは心に触れるものがあった。そこだけだが。


中上健次のエッセイや評論は好きなんだが、小説はいまいち。
全部モノローグ。都合のいい人物しか出てこないし、
短編では特に顕著だが、古典の世界を幻想として弄んでいる。



なによりうんざりするのは、魅力的なプロットがひとつとしてないこと。
人物の心理描写が深まるような、事件が起こらない。
予定調和の物語である。『路地』云々を無視すれば話は一向に盛り上がらない。



『十九歳の地図』以降、中上作品はフォークナーを導入して世界観だけみせている。
フォークナーが難解なのは、その作品世界に「いらっしゃいませ」という案内がないからだと思う。
難解というより、読み慣れるまでに時間がかかるだけだ。
そういう意味で、中上健次の作品も難解である。

重力の都 (新潮文庫)



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posted by 信州読書会 宮澤 at 12:54| Comment(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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