信州読書会 書評と備忘録

世界文学・純文学・ノンフィクションの書評と映画の感想です。長野市では毎週土曜日に読書会を行っています。 スカイプで読書会を行っています。詳しくはこちら → 『信州読書会』 
Facebookページ
『信州読書会』 
YouTubeチャンネル
YouTubeチャンネル「信州読書会」
*メールアドレス
名前

 

2013年06月13日

女中たち バルコン ジャン・ジュネ 岩波文庫

sponsored link






★あらすじ

登場人物はたった三人。女中の姉妹と、彼女らの女主人である。
女中は、姉のソランジュと妹のクレールである。

ソランジュは女主人の旦那を、窃盗罪で警察に密告した。
旦那は、拘置所にいる。女主人は出かけている。



留守宅の女主人の部屋でソランジュとクレールは、女主人ごっこをする。
女主人のドレスや化粧品を勝手に使って、
クレールが女主人、ソランジュがクレールの役をそれぞれ演じ、主人と召使の
サディステックで優雅な芝居を、ふたりきりで繰り広げて興奮する。


女主人ごっこは、一応クレールが女主人を毒殺する筋書きになっている。
しかし、最後まで演じきらないうちに、
女主人の帰宅の時間が迫ってきたので女中姉妹は芝居を止める。


そこへ、旦那から電話がかかってきて、保釈になったことが知らされる。
ソランジュは、密告がばれるのを怖れて女主人を殺すことにする。



帰宅した女主人に、睡眠薬を入りのお茶を飲ませて殺そうとする。
しかし、女主人は旦那の釈放をきいて、お茶を飲まずにまた出かけてしまう。

女中たちは、女主人ごっこの続きを再開し、女主人役のクレールはお茶を飲んで死ぬ。



★感想
ジュネの序文がすばらしくて、かなり面白い。


ジュネは、自分の作品の詩的かつ論理的な構成も、
演出家や俳優に台無しにされるに決まっている
という意味のことを述べ、演劇は好きではないと宣言している。



まあ、ジュネ序文は、身もふたもない。駄々をこねているような印象もある。
彼の演劇は、論理的構成にまさっているが、ダイナミズムに欠ける演劇である。


だいたい、三人しか登場人物の出てこない一幕物である。どうしたって展開は乏しい。
それでも、劇中劇というメタフィクションを冒頭にいれて、
ラストの伏線にするという仕掛けは、確かにかなり斬新である。




劇中劇が、女中のコスプレ劇で、まあこういう手法は、アニメなんかでよく展開される。
アニメの『ちびまる子ちゃん』が年何回か、時代劇の設定でオンエアされるようなもんだ。




重要なのは、女中たちは綺麗であってはならない、とジュネが予め釘を刺していることである。
「ギリシア人の言うごとく、彼女らのセックスを卓上に置かないようにお願いする」とある。至言である。




コスプレに萌えるな!! というわけである。俗情に訴えて、人の心に土足で踏み込むような演出を
拒否するジュネに、偉大な芸術家の心意気を感じて、尊敬の念ひとかたならない。 消費社会へのNon!!



しかし、筋の中で、問題を解決するというアリストテレス的な戯曲の基本が、
メタフィクションの導入によってないがしろにされているので、
うまいなあとは思いこそすれ、やっぱり、演劇としての異端な印象は否めない。


現代劇の隘路を示している作品だと思う。でも、かなり面白い。
読む戯曲としては傑作だと思う。ジュネの特異な才能が確認できる。



ル・マンで起こった女中による女主人殺しの実在の事件をもとにしているそうである。

女主人の旦那が出てこないという設定は、
三島の『サド侯爵夫人』なんか影響を与えていると思う。





寺山修司が、スウィフトの『奴婢訓』を『女中たち』を下敷きにして演劇化したらしい。


寺山修司らしい発想である。サンプリング演劇。コスプレ演劇。
寺山ワールドがいまだに、サブカルチャーで支持されるのには理由はここにある。
まあ、彼は彼なりの倫理観があって、決して萌えを商売にして
演劇をやっていたとは思わないけれども・・・。


女中たち バルコン (岩波文庫)



sponsored link



posted by 信州読書会 宮澤 at 12:41| Comment(0) | 戯曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。