信州読書会 書評と備忘録

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2013年06月13日

マトリョーナの家 ソルジェニーツィン短編集所収 岩波文庫


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★あらすじ
収容所から出所した主人公は、トルフォプロドゥクトという村にやって来る。
そこで、数学教師の職を得て、マトリョーナという善良な老婆の家に下宿を許可される。
その老婆は、頑迷と孤独の中で暮らし、誰からも存在を忘れられていた。


マトリョーナは戦争で夫を失い、6人の子供も失い、年金も貰えず、
親戚にも見放され、持病を患いながら、天涯孤独の身で極貧生活をしていた。


やがて年金が入るようになり、主人公の下宿代もあって、彼女の生活が楽になる。
そのころ、義兄が彼女を訪ねてきたのがきっかけで、主人公は彼女の半生を聴かされる。


金ができると、今まで彼女に無視を決め込んでいた親戚がよってたかって、
余命も僅かな彼女のささやかな遺産を食い物にしようと、しゃしゃりでてくる。



彼女の家の離れを、養女のキトラの結婚に当たってしぶしぶ相続することになる。
離れを解体して橇で運ぶのだが、用もないのに、心残りがあるのか
マトリョーナは解体した材木を追いかけて橇についてゆく。


しかし、夜中になってもマトリョーナは帰ってこない。


踏み切りでトラクターが立ち往生し、橇を押していると汽車がきて三人轢かれたことがわかる。
なんと、マトリョーナは汽車にはねらでしまったのだ。バラバラ死体となって彼女は自宅に戻る。



マトリョーナの葬儀で再び相続をめぐって親戚同士の悶着が起こるのを主人公は眺める。


親戚が彼女を嘲るのをきいて、主人公は、マトリョーナの人生の全体像を知るにいたり、
彼女が、この世にかけがえのない、徳の深いひとであったと気がつく。


★感想
不覚にも泣きました。傑作です。
『イワン・デニーソヴィチの一日』の後の話。
ソクーロフの『マリア』を思い出してしまった。


前半は、マトリョーナというお婆さんのマイペースっぷりと極貧が語られている。
マトリョーナは、元受刑者である主人公に関心も示さず、世間一般に何の関心もなく、
泥炭を盗掘したり、草をむしっては干草を作ったりと、傍目にはくだらないが、
サバイバルをかけた用事で一日を忙しく暮らし、周期的に持病を悪化させて寝込む。



大量のゴキブリやねずみと暮らし、ジャガイモばかり食べる下宿生活を
強制収容所から娑婆に出たばかりの主人公は従容と受けとめる。


マトリョーナは、性格がねじけているわけではない、恐ろしいほど無私無欲マイペースなのである。


しかし、後半マトリョーナに年金が入って、祭りの日に教会で薬缶を盗まれた日から、
目くるめく事件が連発して、マトリョーナが汽車で轢死するまで一直線に進む。


その中で、旦那の兄と婚約していたのに、彼が第一次世界大戦から帰ってこなかったので、
死んだのだと思って、その弟と再婚したら、やがて兄が帰ってきて確執が起こったという悲劇が、
マトリョーナの人生に、深く影を落としていた事実が発覚する。


まさに、『産む機械』でしかなかった封建社会の女性像である。
今の時代からすると、不幸のかたまりみたいなマトリョーナだが、
彼女は、嬉しいことがあると、いつもその丸みを帯びた顔に笑顔を浮かべる。



隣人に頼まれれば、なんでも手伝い、お礼も要求しない善良な人なのである。
主人公は、彼女の笑顔にであうと手も足も出なくなってしまう。
その善良さは、ロシア正教の信仰に感化されたというよりも、天然の人柄なのである。

(ロシア正教に支えられた人間像を描くと当局に弾劾される怖れがあったから
マトリョーナの信仰心を描くことを回避したのかもしれない。だとしたらヤバイ作品だ。)


「自分の良心と仲良くしている人の顔は、いつも美しいものである」


と主人公は嘆息する。ロシアの激動の最中でも、その笑顔は、不滅の宝だった。


しかし、マトリョーナはもうこの世にいない。その笑顔をみんな忘れてしまった。


「私たちだれもが、このひとのそばで暮しながら
理解できなかった。この人こそが、諺に、
ひとりの義人なくして村は立ちゆかないという
かの心義(ただ)しい人であることを。


都だとて立ちゆきはしない。


私たちの全地球だとて。」


と、最後に、主人公はつぶやく。


説教臭い作品かもしれない。善良なおばあさんがいなければ、地球も回らないというのだから。
19世紀のロシアへの追憶を社会主義リアリズムで描いてしまったという批判もある。そうだろう。


しかし、読んでいて、マトリョーナの笑顔が目の前に浮かんできて、個人的に泣けた。
『老人と海』の感動に近いものがある。


(私は江川卓訳で読みました。引用も江川訳です。新潮文庫は品切れ。)

追記

この記事を書いた7年後に、岩波文庫の『ソルジェニーツィン短篇集』で
『マトリョーナの家』(木村浩訳)で再読しました。

その感想を音声で語りましたのでよかったら聴いてください。



ソルジェニーツィン短篇集 (岩波文庫)


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posted by 信州読書会 宮澤 at 12:38| Comment(0) | ロシア文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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