信州読書会 書評と備忘録

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2013年06月13日

余白の愛 小川洋子 中公文庫


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★あらすじ


旦那の浮気が原因で離婚して、
ヴァイオリンのような耳鳴りに病み
耳鼻咽喉科に通院する主人公のわたし。


速記者のYと知りあいになり、彼のペンを持つ指に恋する。
彼に、耳鳴りのことを語り速記してもらうと安心感をおぼえる。


しかし、Yと過ごした時間は、幻であった。


★感想
初期作品。『冷めない紅茶』の《幻想落ち》を踏襲し焼きなおした中篇。
いや、焼き直しといっては失礼かもしれない。
好意的に言えば、『冷めない紅茶』の作品世界を、さらに深化させた作品である。
いずれにしても、読み通すのは苦痛だった。



しかし、読み終えてみて、「すべて主人公の幻想でした」という設定が、
『博士の愛した数式』では、使われなかったことに
今さらながら、ホッとさせられた。(余計なお世話だが)
80分の記憶もなくなる『博士〜』の結末ほうが、まだ読者に親切だ。



一人称の小説を書きつづけるというのはしんどい。絶対に。
筋の展開がすごい遅くなるし、起伏もとぼしくなるからである。
読むほうがしんどいのだから、書くほうもしんどいと思う。


一人称だと時間の経過が単線的になるし、山場がなく、作品がどうしても弛緩する。
この作品も例にもれない。そこで小川洋子において、その弛緩を埋めるのが、挿話である。


明澄な比喩のイメージがあふれる挿話が印象的だ。巧みだと思う。
しかし、それらを生み出す苦心の跡が、ほんのり汗ばむように浮かんでいる。



侯爵のジャスミンの挿話、旦那の不倫相手からポピーを買う挿話、
Yと一緒に自動車の車種を数え上げる挿話、盲導犬の里親をする挿話etc.



こういった丹念な挿話は、それぞれそれなりに読んでいて愉しいのだが、
積み上げておきながら、結末部分に至ってすべての挿話を幻に終わらせてしまう。
この虚しさはいったい何なのだろうか? 


速記者であるYという人物が、抽象的な存在感において、カフカの『城』の測量技師Kに似ていた。
速記者に話を速記してもらうことで、精神分析の自由連想法の効果が生まれ、
主人公が包み込まれるような安心感をおぼえるあたりは、唯一面白かった。


それでも作品の停滞感はやりきれない。
この作家の「わたし」という一人称自体が病だとしか思えない。


地味に書きつづけて、それなりの質を維持している作家だと思うが、
あまりにも筋の展開や結末に無関心だと思う。なぜなのだろう。


自己愛が強いのか? 自意識過剰だという気はしないが、すごく不思議だ。
島尾敏雄の世界観にも似ている気がするのだが、



小川洋子の場合は作品背景が、きれいさっぱり捨象されている。
抽象画みたいになものである。私小説的な臭いがさっぱりない。虚実の皮膜が味気ない。
私小説的になるのを慎重に避けながら一人称を用いるなら、
なぜいっそ三人称にしないのかを知りたいところである。


余白の愛 (中公文庫)



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posted by 信州読書会 宮澤 at 12:34| Comment(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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