信州読書会 書評と備忘録

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2013年06月13日

汚れた手 サルトル 新潮世界文学47所収


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汚れた手 サルトル 新潮世界文学47所収
★あらすじ
プチブルインテリのユゴーは労働党に入党する。
労働党の急進派ルイが現実派の労働党書記エドレルの暗殺を企てている。
ユゴーはルイにエドレルの暗殺を志願し、エドレルの秘書となり、暗殺の機会をうかがう。
しかし、エドレルに暗殺計画を察知され、口論となり、政治の現実主義の重要性を主張される。



党の方針と乖離したエドレルの現実的な政治手腕に不純を感じて反発しながらも、
彼の人柄に魅せられたユゴーはエドレルの暗殺を断念する。
しかし、エドレルが、ユゴーの妻ジェシカを抱いているのを
偶然にも見てしまい、発作的に彼をピストルで射殺する。


刑務所から出所したユゴーは、3年後の急進派のルイが、
エドレルと同じ政治路線になってしまっている現実を目の当たりにする。



エドレルを殺したことが無意味だったことを知り、運命の皮肉を感じる。



★感想
すごい。すごい作品だと思った。『嘔吐』の10倍はすぐれた作品。



サルトルがロマン主義的な実存主義を放棄した作品。


共産党との訣別を表明し、独自の現実的な政治観を披瀝した戯曲であると思う。
労働党の現実主義者エドレルは、革命を信じていない。


政権をとるためなら現実的な路線をとるのである。
つまりは、内閣の少数派として生き延びる革命政党を目指している。
「われわれは自力で革命を遂行するほど強力ではない」と言い放ち、
暴力的な革命を、民衆からの孤立を招くとして放棄している。



かつて、自民党と連立した社会党の路線。
あるいは、現在、自民党と連立する公明党みたいな路線である。



青年ユゴーはこうした、政権に惨めに固執する現実的な政治姿勢を批判するが、
手練のエドレルは、青臭い純粋な思想を振り回すユゴーに説教する。





「しかし、なんてまあきみは、そうも純粋さに固執するんだ。
なんだってそう手を汚すことを怖れるんだ。
そんなら純粋でいるがいい。
だがそれがなんの役に立つ?
それなら、きみはなぜわれわれのところにきたんだ?
純粋さとは、行者や修道士の思想だ。
きみたちインテリ、ブルジョワのアナーキストは
純粋さを口実にしてなにもしないのだ。
なにもしない、身動きせず、からだに肘をつけ、手袋をはめている。
わしは、このわしは汚れた手をしている。
肘は汚れている。わしは両手を糞や血の中につっこんだ。
それがどうした? 
きみは精錬潔白に政治をすることができるとでも考えているのか?」


以上のセリフが、純粋な革命闘士ユゴーを動揺させる。





「きみは人間を愛していない。ユゴーきみは原則しか愛していない」


「人間を愛さなければ人間のために闘うことはできないではないか?」

こう畳み掛けられて、ユゴーはエドレルの暗殺をやめる。
そしてユゴーは、エドレルに心酔するに至る。
(でも、ユゴーの妻も心酔したのでややこしくなる。)



まあ、これらは、自民党大物代議士が言うと説得力のあるセリフではある。


政治家が汚れた手で政治をやるのは構わないが、
人の手も温められないような手で握手をするのはやめてほしいものだ。



ちなみに『汚れた手』は『ふぞろいの林檎たちW』の元ネタである。




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posted by 信州読書会 宮澤 at 12:31| Comment(0) | 戯曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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