信州読書会 書評と備忘録

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2013年06月13日

魔の山 トーマス・マン 岩波文庫 その一

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★あらすじ
平凡無垢な青年ハンス・カストルプは、結核治療中の従兄弟
ヨーアヒムを見舞うためにスイスの高原の国際的なサナトリウムを訪れる。
三週間の予定だったが、本人も罹患していた発覚し、七年間の療養生活が始まる。
ロシア人夫人ショーシャへの熱烈な片思い。
貴族的人文主義者にしてフリーメーソン団員のセテムブリーニ、
その敵役たる反ユダヤ資本主義で、テロ容認主義者、ファシスト、イエズス会会員のナフタ、
植民地の王者的資本家にしてショーシャの愛人ペーペルコルンとの討論
などなどによって、ハンスは翻弄されてゆく。


最後は、治癒しないままに平地へ帰還して、第一次世界大戦に従軍し
激しい戦闘の最中「菩提樹の歌」口ずさむハンスの「行動」が作者によって語られて終わる。



★感想
マンの教養小説。「ドイツ最後の」と冠されるべきかの判断は、一応留保したい。
あらすじをまとめることでネタバレするのが惜しい。
他の作品ではネタバレなんぞ一向に気にしないのだが、
この作品は、皆さんに味わって読んで欲しいので、あんまり書きたくない。




まず、マンの作品は岩波文庫で読むべきだと主張したい。
北杜夫先生の恩師望月市恵&関泰祐の両氏による訳は読みやすい。
新潮文庫の訳はどうか知らないが、圓子修平氏の訳では読まないほうがいい。


こんなに翻訳者によって登場人物の躍動感が左右される小説もめずらしい。
結局、思弁小説的な部分が多いところに由来するのだろう。



読了に2ヶ月かかってしまった。
その間一週間以上『魔の山』を読めない期間が二度ほどあった。
読もうとして眩暈を覚えることが何度かあった。
マンの超人的な筆力は、よほど体調が良くないと私を拒絶する。



ナフタが出てくるまでは、読むのが苦痛だった。よって下巻が圧倒的に面白い。
息子が出来たら「那風太」と名づけたいほどである。出生届は市役所で受理されるだろうか。
『海辺のナフタ』という小説があれば、発売日に絶対買う。こういう妄想を刺激する人物である。


この小説を読んだという人は沢山いると思う。
宮部みゆきしか読まない、昔の職場の先輩も「オレは『魔の山』を読んだ」と自慢していた。
その先輩は酔っ払って小説の話になると、
(だいたいそんな話をするのは週末の午前3時すぎ、泥酔した上、話の種が尽きた頃である。)
大学時代に『魔の山』を読んだという話を何度もしていた。
10回以上「読んだ」という報告を拝聴したが、
ナフタとペーペルコルンどっちが好きだとか、
ハンスとショーシャは肉体関係があったのかとか、
ペーペルコルンが死んだところから、マンの筆遣いがやや奇をてらい始めたとか
そういう具体的な内容に関する話は一切聴かなかった。


読んでない私としては、すごいですね、としかいいようがなかったが、
読んだという事実が、神話化されるにふさわしい小説である。
読んでいない奴とは内容の話もしたくなくなる小説なのかもしれない。
その先輩とは、一度『魔の山』について話し合ってみたい。
多分先輩はもうすでに内容を忘れていて、5分と会話が持たず、
読んだばかりの私の生々しい興奮をぶつられて戸惑い、迷惑な顔をするだろう。たぶん。



マンは、登場人物をふたりも自殺させている。
その人物ふたりが、この小説で最も精彩を放っているのだから、かなしい。



教養小説であるが、ハンスの教養がどう積みかさなるか、一応私なりに整理してみた。
ハンスの内的経験は登場人物の象徴性よって分類される。



ヨーアヒム=友情、血縁   セテムブリーニ=文化  ナフタ=思想
ペーペルコルン=権力    マダム・ショーシャ=女  エレン・ブランド=心霊


こういう象徴性をもった多彩な人物との関わりや事件を通してハンスの教養は増す。。



しかし、ほんとに成長しているかは、怪しい。
ハンスは基本的には、良家の坊ちゃんで、平凡な青年である。
その場で興奮することはあっても、だれからも決定的な影響を受けていない。
終盤、ハンスを心配するあまりでしゃばって「作者のマン」がハンスの身の上を語るほどには、
私はハンスに思い入れがなかった。ナフタとペーペルコルンには心躍るが。
ハンスは雪山に遭難しているときでさえも、狂言回しの役割から一歩も出ていない。
しかし、読み終わってみるとジワジワとハンスが懐かしくなるのである。


結末が、ハンスが第一次世界大戦を期に戦場に赴くということから、
ハンス=歴史
という分類と個人的に断定した。



一時、蓄音機に熱中して、「ハンス=音楽」の時期もあったが、
ハンスは「歴史」に身を投じたのだと思う。
しかし、戦場に行くこと自体はヨーアヒムの無念を晴らしたともいえるので微妙…か。



ラストで、やっぱりマンが出てきて、「さようなら、ハンス」とのたまいはじめ、一方的にお別れを告げる。
読者は、友人のよう親しみを感じていて、内面の成長までまでつぶさに見てきたハンスが、
全く別人のような、そっけない三人称で語られることに愕然とする。彼の生死も曖昧なまま物語は終わる。
読者は、物語からぴっぺがされて、平手打ちをうけたように現実に連れ戻される。


子供の頃大好きだったアニメの最終回を観た後ようなさみしさをしみじみ味わえる。
こういうさみしさって、長編小説読了後の醍醐味である。



マンの結びの言葉は、「いつか愛は誕生するだろうか?」 というくっさいセリフである。
「しねえよ、バカ」と読者はつぶやき、すすり泣きしながら、風呂場かトイレで、
「ハンスはあの後、どうなったのかな〜」とむなしく思いをはせるのである。


後日改めて、お気に入りの名場面をランキングにしてみたい。
しかしながら、『魔の山』を満足に語り尽くせない、自分の筆力のなさが情けない。


魔の山〈上〉 (岩波文庫)

魔の山〈下〉 (岩波文庫)


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posted by 信州読書会 宮澤 at 12:18| Comment(1) | ドイツ文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
圓子修平の訳、たいへんクリアで、決して悪くない良い訳だと思いますよ。どういう点でダメとおっしゃっておられますか?
Posted by FF外から失礼します at 2017年12月08日 16:31
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