信州読書会 書評と備忘録

世界文学・純文学・ノンフィクションの書評と映画の感想です。長野市では毎週土曜日に読書会を行っています。 スカイプで読書会を行っています。詳しくはこちら → 『信州読書会』 
Facebookページ
『信州読書会』 
YouTubeチャンネル
YouTubeチャンネル「信州読書会」
*メールアドレス
名前

 

2013年06月13日

その夏の今は・夢の中での日常 島尾敏雄 講談社文芸文庫


sponsored link





★『夢の中での日常』あらすじ


一年間かけて120枚の処女作を書いた主人公の私は、文芸誌の発行日を待っている。
しかし、もはや書くことがなくなり、次作のためスラム街の慈善事業団へ取材に行く。


そこでハンセン氏病に罹った小学校時代の友人に逢い、
粗悪なコンドームを大量に売りつけられる。

彼に触ってしまったので、手を消毒していると彼が戻ってきて
病気をうつすといって追いかけてくる。


逃げ出した私は、南の町へ母親を探しに行く。
母親の住居を見つけて入ると、父親も一緒に入ってくる。
母は白人との間にもうけた不義の子を背負っている。
父は「……」と国全体を崩壊させる言葉をはく。
母は情人の白人への信頼の言葉で応酬する。
怒りだした父を鎮めるため、私は父に鞭打たせ、棍棒で殴らせる。


外に出て私は歯がぼろぼろに欠けた状態である女の家にゆく。
そこで、自分の第一作の掲載された文芸誌を見つけて読む。
急に頭が痒くなり、瘡だらけになる。腹痛がして胃の中に手を入れる。
すると自分がいつしか小川の中に沈んでいて、
傍らに生える古木におびただしい数の鴉がとまっている。


★感想
夢をそのまま小説にしたような作品。漱石の『夢十夜』に近いか。
「最後の日」「終末」「壊滅」という黙示録的な終末の雰囲気がある。
戦後の焼跡に展開する、時間概念さえ失った索漠たる光景を描いた短編。



島尾敏雄の文章というのは、熟語を強引に捩じ込んでとりすましていることがある。
例えば、主人公の私の頭に、天啓のように突然閃いた言葉。

(かっとまばゆい嘗ての日の真夏の昼の、海浜での部厚い重量感を呉れえ)


気持ちが悪いが、こういう表現に切実な実感がこもっているので読み手に伝わる。


夢といえば、私も「追いかけられる夢」と「歯のぼろぼろ抜ける夢」たまに見る。
この前も黒人に追いかけられて巨大な「とびばこ」の上に逃げる夢を見た。
筋肉番付に出てくるような巨大なとびばこだったけれど。



ネットの夢判断で調べると、
「追いかけられる夢」は周りの誰かが助けてくれる暗示。
「歯のぼろぼろ抜ける夢」は仕事運の上昇の暗示。
だそうである。


この作品の表現を夢としてすべて分析すれば、
小説家としての一歩を踏み出した島尾敏雄の心のゆれが
夢にかなり暗示されていることがわかる。


しかし、夢判断で作品を分析するのはどうでもいいことである。いいかげんなものだし。


重要なのは、この人には夢を対象としてひとつの実在を描くまでの実力がある。
こういう作品を発表してしまう島尾敏雄の屈託のない孤独の強さにたじろがされる。



その夏の今は・夢の中での日常 (講談社文芸文庫)


sponsored link




posted by 信州読書会 宮澤 at 11:55| Comment(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。