信州読書会 書評と備忘録

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2013年07月25日

蝿 サルトル 新潮世界文学 47 所収

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新潮世界文学 47 サルトル



サルトル, 白井 浩司訳 新潮世界文学 47 サルトル (47) 所収

アイスキュロスの『供養する女たち(コエーポロイ)』に依拠しながらも
実存主義で読み直し、再構築したサルトルの処女戯曲(1942年初演)


「蝿」とは復讐の女神たち、エリニュエスのことである。
もちろん、エリニュエスはコロスとして「ぶんぶんぶんぶんぶんぶん」と合唱。
(『オレステスと蝿』とかわかりやすいタイトルにすべき!! 不親切な気がする。
アリストファネスの『蛙』に対抗した題名なのかな。)


★あらすじ
あらすじは『供養する女たち』と概ね同じであり、
トロイ戦争から帰還した父アガメムノンを暗殺した
アイギストスと実母クリュタイメストラへの
オレステスによる仇討ち劇として物語は展開する。


しかし、人物設定やシーンにかなりの異同がある。
まず、オレステスは友人ピュラデスではなく、
彼の家庭教師で奴隷の師傳を伴い、コリント人と偽ってアルゴスに帰郷。


オレステスは村上春樹の小説の主人公みたいな、
親友がいない、自分に立てこもった、性格の暗いブルジョワ青年である。
彼はアルゴスの正当な後継者という自覚のない弱気な青年として登場。


エレクトラは憎しみのために怒れる洗濯女として登場。
オレステスの仇討ちを夢に見ているが、実際に再会してみてやや彼に失望する。
なぜなら、オレステスにはまったく憎しみの感情がないのである。


ユピテル(ゼウス)も人間の姿をして初っ端から登場し
帰郷したオレステスに影法師のようにつきまとう。



15年前のアガメムノーン暗殺に際して神々はアルゴスに蝿を遣わす。
街は「後悔」の象徴である蝿におおわれており、
アイギストスもクリュタイメストラも民衆も、
暗殺への後悔のために顔色が悪く、やつれている。


彼らは、その罪を引き受け、15年間に喪に服しており、
後悔することは、すでにこの国の秩序にまでなってしまっている。


暗殺を望まないオレステスはエレクトラと再会し、
仇討ちは止めて一緒に他国へ逃げようと説得するが拒絶される。


そして、オレステスは仇討ちの目的を
「後悔」の蝿におおわれて、それが秩序にまで至ったアルゴスを解放し、
オレステス自身がすべての人々の「後悔」を引き受けることで
秩序を転覆させ、すべてに対して「自由」を開くためと結論する。



忽如として、誇り高い人物にオレステスは生まれ変わる。
そして、とうとう暗殺の決行を決意する。
(「自由」を手に入れるための暗殺=アンガージュマン(参加)というのが
サルトルによるアイスキュロスを読み替えの眼目である。)


オレステスとエレクトラはふたりで城に乗り込みアイギストスを暗殺する。
クリュタイメストラの暗殺は、オレステスひとりによって舞台の外で実行される。
(クリュタイメストラが乳房を見せてオレステスに許しを乞う場面はない。)



殺害後、ふたりはアポロンの神殿に立てこもるが、
復讐の女神エリニュエスが彼らをとりまき罵る。



恐怖におびえるエレクトラは後悔の喪に服していたときの方が、
生きているが楽だったことに気がつき、洗濯女でいるほうがよかったと
ヒステリーを起こしはじめて、オレステスに八つ当たりしはじめる。
後悔から解き放たれ絶望と実存に向かい合うのが耐えられないと告白。
彼女も自由ではなく、結局は奴隷として旧秩序を愛していたことを暴露し逃亡。



ここに至って、ユピテル(ゼウス)はオレステスにむかって、
ねちねちと実母殺しの罪を責めはじめ、彼が狂気に陥るようしむける。
(このへんはアイスキュロスの原作ならって進行)
神殿を出ても、荒れ狂う民衆がオレステスを殺すと脅迫する。



しかし、オレステスは神ゼウスからも神託からも自由になれると確信し、
アルゴスの正当な後継者として戴冠はするが、王座にはつかず、
民衆の苦悩を引き受け生きていくことを宣言する。
秩序の崩壊に怒り狂う民衆の中に、オレステスが身を投じるところで劇は終わる。



★感想
長くなってしまったが、『蝿』に感じた特異性は2点。
『蝿』がアイスキュロスの『供養する女たち』と最も違うのは、


@ゼウスが人間の姿で登場し、神はすでに絶対的な存在ではないこと。


A怒れる民衆を劇に入れることで、大衆社会の到来を描いていること。


この2点は、私が感じたサルトルのオリジナリティーである。


オレステスを実存主義者として描いたサルトルの手腕は
かなり強引といえるが圧巻である。すさまじい執念を感じる。


白井浩司の解説によると
アイギストスには対独協力者、アルゴスの民衆には占領下のフランス国民
オレステスにはレジスタンスの面影が読みとることができるという。



いわれてみれば、確かにそうだが、
アポロンの神殿から民衆のもとにくだってゆくオレステスの一歩は
ファシストの一歩とかぎりなく足どりが似ているように思えるのは気のせいか。


「狂気」ではなく「自由」を手に入れたオレステスに
その後どんな運命が待ち構えていたのだろうか?


ちなみに『蝿』の初演は興行的に失敗だったそうである。



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ラベル:サルトル
posted by 信州読書会 宮澤 at 08:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

冷めない紅茶 小川洋子 福武文庫


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冷めない紅茶 (福武文庫)


★あらすじ
事故死した中学の同級生の葬式でわたしとK君と10年ぶりに再会する。


後日、彼のアパートに招かれ、彼と彼の奥さんとの交流が始まる。
その奥さんは、中学校時代の図書館司書であった。
しかし、わたしは司書時代の彼女のことが、すぐには思い出せない。


ある日私は、家で返却していない中学の図書館の本をみつける。

中学卒業間際に、返却の催促を彼女から電話で受け取っていたことを思い出す。
それを母校に返却しに行って、図書館が何年か前に消失して死者が出たことを知る。
グラウンドにKと奥さんが亡霊のように歩いているのをみかける。


その後、再び、Kの家に遊びに行くが、奥さんは出かけている。
彼女が帰ってこないので、わたしは帰ることにする。


帰り道で迷い、自分が葬式帰り道、Kと会話した坂道にいることに気がつく。
喪服を着ているのではないかと確かめようとするが、暗くて見えない。


★感想
すばらしい作品だと思う。文学作品でなくて文芸作品として。
庄野潤三の『静物』の世界観に近い。自覚的な作為に安定感がある。
喪失感を感傷的に弄ばずに、あくまでも即物的な描写に留めている。
一語一語の選択に、強い意志が漲った俳句的な作品である。



冒頭に熱帯魚の死についての描写があるが、
この作品自体に、水槽の熱帯魚を眺めるような幻惑的な雰囲気が満ちている。


たぶん、筆者は、終日横になっていても退屈しない人だと思う。


以前、小川洋子さんが「通販生活」にでていた。
通販という離人的な営みがこれほど似合う人も珍しい。




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posted by 信州読書会 宮澤 at 08:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

沈黙 遠藤周作 新潮文庫

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★あらすじ
島原の乱以後、ポルトガル船の渡航が禁止された日本で、
潜伏司祭のフェレイラが、宗教奉行の井上筑後守の命による
穴吊りの刑によって棄教した。(井上も一度洗礼を受けている)



イエズス会の司祭ロドリゴとガルペは、
マカオから棄教した「転んだ」日本人、キチジローの案内で
消息を絶ったフェレイラを捜すべく、トモギの貧しい漁村に潜入し、
村民たちに匿われながら、洗礼や告悔など司祭の職務に従事する。



しかし、奉行所の手入れがあって村からモキチとイチゾウ、キチジローが
長崎奉行所に連行され、踏絵を踏まさせられる。さらには、そこに唾するように命ぜられる。
唾を吐くことを拒否したモキチとイチゾウは水磔に処され、みじめな殉教を遂げる。


危険を感じたロドリゴはガルペと別れて、山中を放浪し、
福音書を諳んじたりやイエスの顔を思い浮かべながら、信者のいる村を捜す。
そして、モキチやイチゾウを前に無情に「沈黙」する神を疑いはじめる。


偶然、山中でキチジローに出あい、彼の密告でロドリゴは連行されてしまう。
ガルペも囚われており、棄教を迫られるが、拒否し信者とともに海で溺れ死ぬ。


井上筑後守は、なんとかロドリゴを棄教させようとする。
なぜなら、司祭の棄教は最も信者の気持ちを挫くからである。
そこで、ロドリゴを棄教して寺に住むフェレイラと再会させる。



フェレイラは穴吊りの刑で棄教したのではなく、
穴吊りの刑で同じく苦しむ信者に神が沈黙しているのが耐えられずに、棄教したのだった。
フェレイラは日本において神は実体を失っているので布教も無駄だと、ロドリゴを説得する。


ロドリゴは踏絵を踏んで棄教する。


「私が踏まれるにため、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつため
十字架を背負ったのだ。」というイエスの声が聞こえ、鶏が鳴く。


ロドリゴは、死んだ岡田三右衛門という男の名と、その妻子を引き継いで
別の人間として余生を過ごす。


★感想
分量がそれほどでもないにもかかわらず、かなり読むのに時間がかかった。
いろいろ考えさせられた。それだけ問題が凝縮された難解な小説なのだと思う。



まず、私にはイエズス会、潜伏耶蘇、聖書についての知識が少ない。
感想も、あまり調べた上でのものではないので、勝手な知識に頼るしかない。


ロドリゴの信仰の揺らぎは、聖書のイエスの言葉への疑念としてはじまる。


棄教者で裏切り者のキチジローはユダになぞらえられるが、
キチジローは棄教したにもかかわらず、信仰を放棄してはいない。
ロドリゴは彼に対して寛大になれないのだが、さりとて良心が彼を憎ませない。



イエスが裏切り者ユダにむかって「去れ、行きて汝のなすことをなせ」いった言葉に
ロドリゴはイエスの薄情を感じて、従うことが出来ない自分を発見するのだ。



棄教した者が、宗門奉行のスパイにさせられることや、
「俺を弱か者に生まれさせておきながら強か者の真似ばせよとデウスさまは仰られる。
それは無法無理というもんじゃい。」というキチジローの言葉には、信仰の現実がある。
そうした現実に、キリストが沈黙で応える不条理をロドリゴは理解できない。


福音書に描かれるイエスの姿には励まされながら、ロドリゴは棄教をこらえるが、
ロドリゴは、イエスと違って預言者でもないし救世主でもない。
彼は、死後イエスのように復活する立場にないし、奇跡も起こすことができない、一信徒である。



その上、圧制者たる井上筑後守は、福音書のヘロデやピラトがイエスに行ったように
やたらめったら圧倒的な暴力で棄教を迫るわけではない。



井上は温和な老人であり、司祭を殉教させずに、みじめに棄教させることで、
殉教者の栄光を奪い取って、求心力を低下させるという政治的な手段を採用している。


穴吊りという過酷な拷問に耐えうる信徒はたくさんいて、殉教させることは
逆に弾圧の不当性を証明してしまうことを、井上は知っているのである。


こうした情況は、福音書の記述の範囲を超える、まさしく現実的な情況である。


殉教者を前にしてのキリストの沈黙は、イエズス会の三位一体を崩壊させる。
イエスがキリストではないというということを証明してしまうのだ。
よってロドリゴは、聖職者たちが教会で教えている神と、自分の主は別なものだと知り、
司祭としては棄教し、「ただの人間、イエス」を自分だけの信仰の拠り所にして生きた。
日本のキリスト教徒の現実を前に、教条的なキリスト教徒は屈せざるを得なかった。
つまりは、神の存在と信仰は別々に問題にされなければならなくなった。



以上のように、『沈黙』という小説を、私はとりあえず理解せざるをえなかった。



別に、弱いものや裏切り者が本当のキリスト教徒だといっているわけではないと思う。
現実的な情況の中で、人はそれぞれのイエスを見出すということなのではないだろうか。
奇蹟も復活もありえない世界でのキリスト教のあり方を追求した作品であると思う。
神は否定できても、「痛みを分かつ人間イエス」まで否定できない。
これが日本人のキリスト教信仰の拠り所になると、遠藤周作は訴えたのではないか。



遠藤周作の聖書解釈は不勉強で実際よくわからない。
しかし、福音書の引用もかなり恣意的で、
ロドリゴの聖書に対する混乱は、遠藤周作自身の混乱とも思えた。どうなのだろうか?



福音書ごとにイエスの描かれ方が違うのだが、
復活後のイエスが弟子たちに人間的なやさしさをみせる
『ヨハネによる福音書』の影響が一番強い気がした。



ただ、作者がロドリゴに言わせた以下の言葉は心うたれた。


「罪とは人が、もう一人の人生の上を通過しながら、自分がそこに残した痕跡を忘れることだった。」



マーチン・スコセッシ監督はアカデミー作品賞受賞の『ディパーテッド』以後、
遠藤周作原作の『沈黙』を映画化するという話があったが・・・
その後どうなったのだろう。


沈黙 (新潮文庫)



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ラベル:遠藤周作
posted by 信州読書会 宮澤 at 08:45| Comment(0) | TrackBack(0) | キリスト教文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ポロポロ 田中小実昌 河出文庫

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★あらすじ
北九州の港町の教会堂で牧師をしている主人公の父は、
かつて、廃娼運動をして右翼にステッキで目を突かれたり、
震災後、リンチされる朝鮮人を庇ったりして、殺されそうになったことがある
過激なプロテスタントである。


昭和十六年、真珠湾攻撃のはじまった冬もなお、家族と一人の信徒は
憲兵隊や特高に圧迫されながら、小さな祈祷会を行っている。


そこでは信徒が「ポロポロ」という奇妙な祈りをひたすら捧げるだけである。
主人公の私は、父方の祖父の命日に、家に誰かがきたのを感じる。
しかし誰だかわからないままである。
それが祖父ではなかったかと、主人公とその父は話し合うが、
それもポロポロという言葉の前に崩れ去ってゆく。



★感想
迫害された信仰が無力感までぶち当たった時に、
唱えられる祈りを主題として、独自の宗教観を提示した短編。


父や、信徒の一木さんが唱える「ポロポロ」という言葉は、
「信仰をもちえないと(悟るのではなく)ドカーンとぶちくだかれたとき
ポロポロがはじまるのではないか」と主人公は考える。


さらに「クリスチャンと日本武士は同居しない」と、
明治以降のキリスト教のあり方を批判している。





過酷な現実を前に、祈りの言葉を失った父が
ただただ「ポロポロ」と唱える姿に
はからずも、戦時中の無気味な雰囲気が浮かび上がる。


ポロポロ (河出文庫)


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posted by 信州読書会 宮澤 at 08:44| Comment(0) | TrackBack(0) | キリスト教文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

妊娠カレンダー 小川洋子 文春文庫

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★あらすじ
妊娠した姉が子供を産むまでの過程を大学生の妹の日記を通して描いた芥川賞受賞作品。
妹は、防腐剤のたくさんついたグレープフルーツでジャムを作り、姉に喰わせる。


★感想
姉妹の両親はすでに病死している。虫のすぎる設定。
家族関係を予めカッコで括る操作を施すことが、
短絡的なプロットの進行に、多いに役立っている。



姉は精神科に通っていてやや情緒不安定。虫のよい設定。


妊娠が進むに連れて、姉は、自分の感覚に立てこもり、わがままになる。


妹の悪意が姉に投げかけられるたびに
姉のわがままの輪郭が鮮明になる。


そして、義兄にも悪意をなげかけることで
今度は、妹の悪意の輪郭が鮮明になる。


こういう仕掛けになっていることで、姉妹のバランスはよくなり、


作品としての安定感が確実なものになる。鉄壁のパターンである・


それなりに小川洋子の作品に興味を持って読み出した。


『博士の愛した数式』『冷めない紅茶』と読んできて、
とても安定感のある作品を書く作家だと感心した。


同時に、作品設定のカッコの括り方がずいぶん大胆だなとも思う。
彼女の創作しているのは、悪意が満ちていても、意外と居心地のよい密室である。



カッコに括って割を食う登場人物がワンパターンである。
『博士の〜』の別れたダンナ。『冷めない〜』のサトル
そして『妊娠カレンダー』の義兄。社会的な人物が作品内で最も排除されている。


この端役の人形みたいな男たちの『プロジェクトX』はいつはじまるのだろう。


いつ、物語は三人称にたどり着き、作品世界に社会性が生まれるのだろう。


いつ、小川洋子の作品の主人公たちは逃れられない宿命に泣き叫ぶのだろう。疑問だ。

妊娠カレンダー (文春文庫)




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ラベル:小川洋子
posted by 信州読書会 宮澤 at 08:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

二十日鼠と人間 スタインベック 新潮文庫


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★あらすじ
南カリフォルニアの農場を渡り歩くふたりの労働者ジョージとレニー。
レニーはうすのろの大男で、小動物を溺愛している。
そんなレニーの庇護者として振舞うジョージは、
レニーがいなければ自分が孤独に耐え切れず、
賭博と女で金を全部遣ってしまうことを知っている。


いつか農場を手に入れることを夢みて、金を貯めるため、ふたりはある農場に職を見つける。
しかし、農場の親方の息子カーリー夫妻のいざこざにまきこまれ、


カーリーの妻をレニーはそのバカ力で殺してしまう。
ジョージは、カーリーがレニーをリンチする前に、レニーを自らの手で射殺する。



★感想
戯曲形式で書かれた悲劇的な小説。
悲劇的なというのは、アリストテレスが『メーデイア』を評して述べた。
「自分が何をする知りそのことに気づいていながら行為する」という意味で。



ジョージは、カーリー夫妻に出会ったときにすでに、悲劇を予感している。
ジョー・ペシみたいな乱暴者カーリーと、その淫乱な妻によって
なんらかの暴力的な事件が起こることをすでに知っている。



ジョージすでに神託が下されたことを理解している。
レニーが誰かを殺すという事実を知っていながら気づかないふりをしているだけである。
レニーが、カーリーの妻の首をへし折るまでの事件を目の当たりにして
結構冷静なのは、その証拠である。
レニーをカールソンから盗んだ拳銃で射殺するまで、ジョージは自覚的である。
遁れがたい宿命に自分で始末をつけたので、悲劇である。


しかしながら、ジョージがあまりに『ブロークバック・マウンテン』な人なので
その辺に敢えて筆を進めないスタインベックに不満が残るが…。
スリムはその辺のことまでわかっていながら黙っていたということなのだろうか。
そう考えると、一番得したのはスリムでしかない。ここは、農場の政治的な問題だ。
実は、もう一章描いて、農場の人びとのその後まで書かなければ、読者に不親切な作品である。


ハツカネズミと人間 (新潮文庫)


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posted by 信州読書会 宮澤 at 08:42| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

プロジェクトX 挑戦者たち あさま山荘 ― 衝撃の鉄球作戦

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プロジェクトX 挑戦者たち 第4期 Vol.9 特集 あさま山荘 ― 衝撃の鉄球作戦(第1部&第2部収録)


好奇心で借りてしまった・・・。
NHKのドキュメンタリーなのでさしたる期待はしていなかったのだが、
意外な面白さに満ちていた。この回は番組至上最高の視聴率をとったらしい。


あさま山荘事件でモンケーンという鉄球をクレーンで操作した
地元のクレーン職人さんの兄弟が出ていた。鉄球兄弟と呼ばれているらしい。



その方たちは義兄弟のお二人で、お兄さんが県警から
クレーン車を一台出してくれと電話で要請を受け
突入日に、防弾処置を施したクレーン車を使って
あさま山荘の三階部分を破壊したのである。


この鉄球兄弟のお兄さんは当時24歳のクレーン職人で、
立てこもった連合赤軍のメンバーとほぼ同じ年である。
この時点ですでに連合赤軍が労働者の代表でもなんでもない構図が鮮明になっている。




しかしながら、この人の現在の風貌に、かなり痺れた。
当時の写真にも痺れたが。工員帽子を斜にかぶってキマっている。
なんせ、小田実にそっくりで、(毒蝮三太夫も少し入っている)
連合赤軍メンバー以上に革命家の雰囲気漂う風貌なのである。


あまり口数も多くなく、赤軍派に対して
人に迷惑かけてふざけたやつらだと思っていました、と訥々と語るのだが、
その風貌も語り口もおよそNHKの番組にそぐわない過剰さを発散していた。



ご本人は、たぶん「ギターを持った渡り鳥」ならぬ、
「クレーンを操る渡り鳥」といったお気持ちなのだろう。
小林旭みたいな人なのである。弟さんを宍戸錠に見立てたのだろうか。
その風貌、自意識ともに、まったくNHK的でなく、
観ているこっちがハラハラするのである。NHKの間尺に合わないのである。


事件が終わって、家に帰ると奥さんに「腹が減った、メシにしてくれ」と
まるで事件なんか起こらなかったようにさらりといってしまう方なのである。
翌日も普通に仕事に出たそうだ。前日は狙撃されて目の前の防護ガラスにひびが入ったのに。


彼のヒロイックな自意識に違和感がないのは、この方がまさに小林旭を演じているからだ。


日活無国籍アクションの世界を生きている方なのである。役者である。
ご兄弟で再現シーンを演じる姿に、マイトガイを感じたのは私だけではあるまい。
その方が、最後のほうで、人質の方の手紙を読んで、
目に涙を浮かべているのを観て、ジーンときてしまった。
その意外とつぶらな眼は、小林旭の眼にそっくりであった。



クレーン車というのは、「機械仕掛けの神」である。
ギリシア悲劇の「機械仕掛けの神」もクレーンでできていた。



大江健三郎も『「浅間山荘」のトリックスター』なんて短編を書かずに
『「浅間山荘」のデウス・エクス・マキーナ』を書けばいいのに。マジで思う。


いずれにしても、大江健三郎の想像力からは絶対に出てこない、
すごいクレーン職人さんだった。まあ、お兄さんはクレーンを運転しただけだが。
たぶん、小林旭に憧れるクレーン職人が、赤軍派を撃破したのだと思う。
マルクス・レーニン主義がマイトガイのヒロイズムの前に解体したのである。ちがうか?





「大江健三郎は偉大の一歩手前なんですよ、その一歩が果てしなく遠い」
という意味のことを福田和也氏がしゃべっていた気がするが、
実際その通りだと『プロジェクトX』をみながら考え込んでしまった。


一応、あさま山荘事件の銃撃戦だけを扱った大江健三郎の
『洪水はわが魂に及び』の最終章を確認のため読んでみたが、
『同時代ゲーム』や『懐かしい年への手紙』の「黒い水が出た!」みたいに
「機械仕掛けの神」がでてきましたよ!』とかって、
大江特有の太字ゴチックが現われるかと思ったが、
そういう記述は、やっぱりなかった。


この回の『プロジェクトX』のエンディングは小林旭の『熱き心に』で〆てほしかった。
プロジェクトX 挑戦者たち 第4期 Vol.9 特集 あさま山荘 ― 衝撃の鉄球作戦(第1部&第2部収録) [DVD]



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posted by 信州読書会 宮澤 at 08:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 連合赤軍関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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