信州読書会 書評と備忘録

世界文学・純文学・ノンフィクションの書評と映画の感想です。長野市では毎週土曜日に読書会を行っています。 スカイプで読書会を行っています。詳しくはこちら → 『信州読書会』 
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2013年07月25日

赤目四十八瀧心中未遂 車谷長吉 文春文庫

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無一物となった私が、アパートの一室でモツに串を刺す私小説。
モツに串を刺す行為が、
輪廻の糸車を回すような狂気の様相を帯びる。


会話は関西弁で味わい深い。


ところどころで生き物や花の美しく詩的なイメージが、
まぼろしのように広がるテクニックがうまい。

思わず紋白蝶を追いかけてしまう主人公が愛らしい。
無気味な挿話もあって効いている。


物欲も性欲も捨てきれない主人公の私が、劣等感に打ちひしがれながら、
業に苛まされ、世を嫉み、出たとこ勝負の冒険の日々を過ごす。
電話ボックスでの金銭の授受や
彫り物師から箱を預かったおかげで因縁をつけられるシーンなど
スリルとサスペンスに満ちている。


この作品の中で好きなフレーズは、
「腐れ金玉が勝手に歌を歌いだす」
溜まっていた性欲が、最後のほうでみごとに発散される。


この小説にでてくる登場人物はみんな目つきが悪い。


還俗した坊主の世迷言を仏教説話集にまとめたような作品。
触るものみな傷つけるといわれる車谷作品では、もっとも落ち着いて無害なので読み易い。


他の作品では実名で悪罵を連ねるものもあり
心理的の食あたりを起こすので要注意。


赤目四十八瀧心中未遂
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ラベル:車谷長吉
posted by 信州読書会 宮澤 at 10:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大本営参謀の情報戦記 −情報なき国家の悲劇 堀栄三 文春文庫


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大本営参謀として情報部において米英担当し、
マッカーサーの参謀とまで謳われるほど高度な情報分析を行った堀栄三参謀の回顧録。
日本の敗戦の原因を、情報の不在から具体的に説き起こした名著である。



ミッドウェー海戦での敗北を機に守勢に回る日本軍において、
アメリカ軍が制空権を完全に掌握し、「飛び石作戦のローテーション」と呼ばれる戦法で
次々に日本軍を玉砕させていく中、
その戦法をいち早く見抜き、アメリカ軍の上陸地点の予測や戦力の分析によって、
フィリピンでの第一師団の持久作戦を可能にした事実が明らかにされている。


しかしながら、情報部米英課ができたのが、太平洋戦争開始から6ヶ月後であることや、
大陸戦しか経験してこなかった司令部が、制空権を軽視していたこと、
作戦部が情報部の電報を故意に握りつぶし、悪名高い大本営発表によって戦況をますます悪化させたことなど、
情報戦においてすべて米軍の後手にまわるしかなかった日本軍のお粗末な状況が赤裸々に描かれている。


『政治も教育も企業活動も、一握りの指導者の戦略の失敗を、
戦術や戦闘で取り戻すことは不可能である。』




という著者の指摘は、現代日本の構造的欠陥への鋭い批判とも読める。



戦史研究の書としては必読の書であり、
先の戦争を民衆の視点から描いた戦争文学(たとえば原民喜の「夏の花」)と
軍務に関わったものの記録としての本書を交互に読むことで敗戦からの教訓は導き出されなければならない。
本書を読んで大岡昇平の「レイテ戦記」の作品の意味もわかってきた気がした。



敗戦後、軍人であった父に、「負け戦を得意になって書いて銭を貰うな!」と諌められ
長い沈黙を守ってきた堀栄三を一年かけて説得し、この書を書かせた保坂正康の情熱もみごとだ。



大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇 (文春文庫)

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posted by 信州読書会 宮澤 at 10:37| Comment(0) | TrackBack(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

悲しみよ こんにちは サガン 新潮文庫

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若く美しく女蕩しの父を持つセシルが、父の恋人エルザと三人で南仏へバカンスに出かける。
そこへ、亡くなった母の古い友人であるアンヌがやってくる。
アンヌはファッションデザイナー、知的で洗練されて魅力のある女性だったが、
セシルには高慢で冷淡な女にも見え、かすかに反発をおぼえていた。
だが、セシルにとってアンヌは、軽薄な父や自分のいる世界と別の知的な世界に住んでいる
人生の達人であり憧れの人物でもある。



セシルの父、レエモンとエルザ、アンヌの三角関係の時間は短く
アンヌの自然な強力な魅力は、エルザからレイモンを奪い取る。
セシルはその模様を間近で眺めながら、アンヌから恋愛そして人生を学ぶ。


アンヌは、恋に恋する17歳のセシルにこう諭す。



『あなたは恋愛について少し単純すぎる考えをもっているわ。それは独立した感覚の連続ではないのよ。(中略)そこには絶え間ない愛情、優しさ、ある人の不在を強く感じること。あなたにはまだ理解できないいろいろなこと……』



要するに、ワンシーンごとの印象と快楽は、恋愛の入り口にすぎないという説教。
アンヌの皮肉や逆説はセシルとってボディーブローのような低い一撃となって堪えてくる。
やがて、セシルはアンナに自分の住んでいる世界を否定され、自尊心を傷つけられる。
そして、最愛の父をアンナの世界が形成されはじめると、
疎外感と孤独に堪えられなくなる。



セシルからすべてを奪い去ろうとする「美しい蛇」アンナ。
セシルは父とアンナの愛を徹底的に妨害し、アンヌを破滅させる。



17歳の少女の若さゆえの無垢な残酷さを、瑞々しい詩情とともに描いた作品。
セシルは、突発的に刃物で人を殺す現代日本の少年と同じくらいヤバイ女の子だ。
なににせよ、人を追いつめて殺しておいて「悲しみよ こんにちは」というだから。
この厚顔さは、恐るべきものだと思う。


サガン19歳のデビュー作。全世界でベストセラーとなった。


人生に対する洞察という点で、すぐれた格言がちりばめられている。
人を傷つけるほどの過剰な洞察力をもてあまして、
退屈している女子大生にはお薦めの作品。


悲しみよこんにちは (新潮文庫)
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posted by 信州読書会 宮澤 at 10:35| Comment(0) | TrackBack(0) | フランス文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

瀬島龍三 参謀の昭和史 保坂正康 文春文庫

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瀬島 龍三(せじま りゅうぞう、1911年12月9日 - 2007年9月4日)は、
大日本帝国陸軍の軍人、日本の実業家。陸軍士官学校第44期次席、
陸軍大学校第51期首席。大本営作戦参謀などを歴任し、最終階級は陸軍中佐。
戦後は伊藤忠商事会長。


ウィキペディアより。


大本営参謀→シベリア捕虜→伊藤忠商事会長→第二臨調副会長 と
昭和史節目節目にその姿をあらわした
謎多き男の真実をあばくノンフィクションである。
瀬島龍三は山崎豊子の『不毛地帯』の壹岐正のモデルともいわれるが、
『不毛地帯』は未読。長いのでしばらく読まないだろう。
ともかく、陸軍のエリートがどんなものだったかわかるので興奮する。


『沈黙のファイル』は資料が豊富だが、保坂氏の描く「瀬島龍三」のほうが、
瀬島の履歴改ざん(ロシア捕虜時代の話や参謀としてのソ連との敗戦協定の話)を
弾劾しつつも著者の瀬島に対する愛が伝わってエロティックだと思う。



保坂氏の著作の、ことのほか小説的な記述に鼻白む向きもあるが、
保坂氏が取材過程で発掘した元情報参謀、堀栄三氏の著作など
ノンフィクションならでは新事実発見ドラマがあるのが見所。

瀬島龍三は中曽根政権(1982年〜1987年)のブレーンとして、
第二次臨時行政調査会(土光臨調)委員などを務め、政治の世界でも活躍。


ソ連、アメリカのどちらの情報機関にも人脈があったとされるが、
詳細はいまだ不明です。

瀬島龍三―参謀の昭和史 (文春文庫)








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posted by 信州読書会 宮澤 at 10:33| Comment(0) | TrackBack(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

宿六 色川武大 色川孝子 文春文庫

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宿六・色川武大 (文春文庫)

「狂人日記 」「百 」などで知られる色川武大。
阿佐田哲也の名で「麻雀放浪記」など麻雀小説も多数手がけた。
彼の夫人による回想録である。
色川の無頼と懐の深さは有名で、井上陽水、黒鉄ヒロシ、伊集院静など有名人から、
彼の家に押しかけてくる無名の作家志望の青年、
賭博仲間のヤクザまで幅広い交友関係を躊躇みせることなく受け入れた。
色川夫人は、色川武大の20歳ほど年下のいとこにあたり、
時には娘のように奔放に、時には母のように献身的に、生活を共にした。



ナルコプレシーという奇病を患いながらも、
他人に対する過剰なサービスをやめることができない色川の自己演出を心配するくだりは、
立川談志が「阿佐田哲也を殺したのはこいつらだ」と喝破した
「阿佐田哲也の怪しい交遊録 」のあとがきと双璧をなしている。




色川の過剰なサービス精神は、純文学作家への憧れがなせる業であり、
佐藤春夫や広津和郎のような誰との分け隔てなく付き合って、
財産も残さないある種の純文学作家の系譜につらなることがこの本からわかる。
伝説につつまれた色川像を壊すことなく、意外な一面を付け足してくれたという印象の本。
ファンにとっては読む価値がある。


一部知人の間では、出版しないほうがよかったんじゃないかという声もある。



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posted by 信州読書会 宮澤 at 10:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 評伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

リリー&ナンシーの小さなスナック ナンシー関 リリー・フランキー 文春文庫

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ナンシー関の最後の対談集。クレアに連載されたもの。
お相手は「東京タワー」が現在200万部のベストセラーとなっている
リリー・フランキーだ。
1学年の歳の差ということもあって、
感覚が似ているという点で、
お互いの持ち味がよく出た対談集だ。


TVコラムのイメージが強いナンシー関だが、
本書では芸能関係の話題を柱におきながらも
ナンシー関の日常生活や思考の回路、人間洞察のポイントといった、
既出本では窺い知ることのできないナンシーに出会える。
それは、対談相手がリリーであることが大きい。


両者の身近でささいな出来事に細かくツッこんでいく
視点の持ち方に共通点があるため、
コラムニストの種本というか楽屋本ともいえる
内容に傾いていく、そこが本書の読みどころだろう。
自動車免許取得の体験談や初めてテープレコーダーを買ったときの使い方など、
小さな話題を、お互いツボを刺激しあい、
なるほどと思わせる世間知をさりげなく、
かつ惜しみなく応酬しながら、
会話をころがしてゆくというライブテイストが楽しめる。
下ネタ嫌いのナンシー話がうまくかわすところも見ものだ。


たとえば字の話で



リリー  真面目な原稿を書いている時は、やっぱり達筆に書いているし、
     ポコチンの話なんか書いている時は、なんかちょっとポコチン寄りの
     字になっていますね(笑)。


ナンシー 適材適所(笑)。




というように。

まるで、仲のよい姉と弟がこたつで会話しているような
面白さとやさしさ、あたたかさに満ちていて


いつまでも読んでいたいのだが…。
ナンシー関の最後の本になってしまった。
リリー・フランキーのあとがきが涙を誘う。



個人的にはナンシー本では本書と
「信仰の現場―すっとこどっこいにヨロシク 」 角川文庫
がフェイバリット。


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posted by 信州読書会 宮澤 at 10:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 対談・鼎談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

無関心な人びと(全二冊) モラーヴィア作 河島英昭訳 岩波文庫

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モラーヴィアといえば、イタリアの三島由紀夫というイメージが私の中にある。
20歳で本書を処女作として上梓した早熟な才能であるという点と
現代文学において物語を書くことの
孤独と不毛を象徴している作家であるという点においてである。


主人公の青年ミケーレは没落寸前のブルジョワ。
家庭の崩壊を食い止めることもできず、
恋愛にも真剣になれず、情熱を傾ける対象を見失っている。



会話と心理描写は、ガラス工芸品のように繊細で
すべてセクシャルな欲望の陰影をまとう。
道徳的規範がもはや形骸化して、欲望に呑み込まれていく
世界の光景が描かれている。
ただただ、崩壊の前に立ち尽くすミケーレは
今現在の日本の状況に出て来ても違和感のない主人公だ。


ブルジョワの頽廃を描いたかどで本書は
当時のファッショ政権から発禁処分を受けた。



古典的な心理小説の方法を採用しているので読みやすく、
破綻のない構成なので安心して読める。(三島の小説と同じように)
ハイティーンの学生が喜んで読んだと吹聴したくなる作品。
読書遍歴を重ねると読み返すのが苦痛になる作品でもある。



モラーヴィアの作品はかっちり作られていて
映画化の際に自由に脚色できるので重宝がられ
ベルトルッチの「暗殺の森」ゴダールの「軽蔑」などの
原作として、今なおファッションアイテムのように
二次的に消費されている。


モラーヴィアが好きな人にはパヴェーゼもお薦め。


無関心な人びと〈上〉 (岩波文庫)

無関心な人びと〈下〉 (岩波文庫)


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posted by 信州読書会 宮澤 at 10:29| Comment(0) | TrackBack(0) | イタリア文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

レディー・イン・ザ・ウォーター

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舞台はコープ・アパートというさまざまな人種の人々が住むアパート。
管理人のクリーブランドは、アパートの真ん中にあるプールで
ストーリーという女性に逢います。彼女は水の精で、邪悪な怪物のせいで
「青の世界」に戻れなくなってしまいます。
そこで、住人みんなで協力して
彼女を青の世界に戻してあげるという
御伽噺みたいな話。



以下はネタばれ


私はシャマラン作品は「シックスセンス」「サイン」しか
観てないで、前作の「ヴィレッジ」に比べてどうだとか
言えないのですが、楽しめました。
最初の30分は、水の精ストーリーを演じるブライス・ダラス・ハワードが


ミルコ・クロコップに似てて、
ポスターみたいな美人じゃなくて興ざめしてました。
しかし、どうでもいいアパートの住民が
グダグダのまま物語りに巻き込まれていく段になって
引き込まれました。



ラストは、超端役の右腕だけを鍛えている変な男が、
実は守護者で、スクリクトとかいう狼をモップで
追っ払うシーンには笑いました。



あと映画評論家が
「ホラー映画で嫌われ者の端役が最初に殺されるシーンと一緒だ」
といいながらスクラントに襲われて、そのままどうなったかわからないところとか
最後にスクラントがサルみたいなモンスター3匹
(サインにでてきた宇宙人みたいなモンスター)に
新日のプロレス乱闘みたいにポコポコ殴られて、
森の中に引っ張られていく哀愁いっぱいのシーンとかに
私は大爆笑しました。

といっても映画館は三人しか観客がいなかったので
一緒に笑う声もなく、声を立ててまでは笑えませんでしたが。



「サイン」もそうなのですが、ところどころ爆笑させるシーンがあって、
多分そこで笑えない人にはつまんない映画なんでしょう。
基本的にコメディーだと思って観るべきだと思いました。
すべての徴候がそのまま説明もなく解決もなくラストを迎えます。
カタルシスの中途半端さが一部の人をして
激怒させているようです。


レディ・イン・ザ・ウォーター 特別版 [DVD]
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posted by 信州読書会 宮澤 at 10:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 洋画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

浅草キッド ビートたけし 新潮文庫

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ツービートの漫才ブームやひょうきん族をリアルタイムで知らない。
よくおぼえているのは、なるほど・ザ・ワールドの特番スペシャルで番組対抗で出演したたけしが、黒柳徹子を「この、ババア」と、おちょくったことだ。スタジオは凍りついていたが、テレビで見ていた小学生の私は笑った記憶がある。黒柳徹子を目の前でババア呼ばわりして笑いをとろうとした芸人はその後見たことがない。あのころのビートたけしはギラついていてアナーキーだった。


「浅草キッド」は、たけしの師匠、深見千三郎に捧げられた小説だ。
深見千三郎はたけしの芸人としての出発点となった、ストリップ劇場フランス座の座長で、最初で最後の師匠である。江戸っ子で口が悪く、そのくせ繊細で、サービス精神旺盛、さみしがりやで、なおかつ孤独の影が常にさしている師匠。
その師匠に感化され、たけしが芸人として独り立ちしてゆく姿が描かれている。



深見の芸でたけしがもっともお気に入りなのが、師匠の持ちネタ「川の氾濫のコント」。
役場の職員が権力をたてにして「役場の人間をナメているのか」と言いながら脅しで女の子のパンツをのぞこうとするセコサが笑いどころのコントだ。
田舎者や権力者の愚昧を徹底的に笑っていくというたけしの芸風は、師匠から引き継ついだことがよくわかる。



芸人としての矜持を忘れないことを教え、本物の芸の迫力を伝えようとする師匠の指導は、浅草の演芸場が時代とともに斜陽になってゆく中で、生身の人間としての生き様を滑稽な悲哀ともに見せることに他ならなかった。


かわいがられたたけしも、浅草に飽きたらずにコンビを結成して漫才するためにフランス座をでてゆく。
師匠はもはやとめるすべがない。修行途中で出て行くたけしと決別する



師匠は漫才を芸だと思っていなかったし、漫才なんか芸じゃないと、本気でそう思っているところもあった。漫才は世の中に出るための足がかりで、芸人の目標ではなじゃない、とたけしは語る。本書は、浅草を飛び出したにもかかわらず、なかなか芸人として売れないところで終わる。そしてその後のたけしの作家や映画監督としての幅広い活躍を見ることもなく、深見千三郎は孤独な焼死を遂げる。師匠と弟子の関係が鮮やかに描かれている。


たけしが深見千三郎と飲んだ夜に、火事があって参ったとTVで話していました。

深見千三郎はウィキペディアによると美ち奴の弟だそうです。驚きました。


浅草キッド (新潮文庫)

続編は「漫才病棟 」文春文庫 こちらもお薦め。






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posted by 信州読書会 宮澤 at 10:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アドルフ コンスタン 新潮文庫

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皮肉屋で諧謔家、冷笑家、鼻持ちならない若者アドルフは、
自尊心を満足させるほどの女性に廻りあわず、一度も恋をしたことがなかった。

完全に釣り合いのとれぬ相手との結婚は赦さないが、結婚を問題にしないかぎり
どんな女をものにし、捨てても構わないという不徳な女性観を父親に植えつけられたアドルフは、
社交界にデビューし、ある伯爵の情婦にエレノール出逢う。



彼女は教養にあふれ、自尊心も高い女性だが、破産しかけた伯爵に献身的につくし、
彼の財産を回復する手助けをするやさしいさも兼ね備えていた。



伯爵との間にできたふたりの子供を愛し、信仰心厚く、身持ちの堅い彼女に、
日々惹かれてゆくアドルフは彼女に愛を打ち明け困難の末に結ばれるが、
父から他国での仕事するようにとの命令、友人の伯爵を裏切る自らの行為、
そして先の見えないエレノールとの関係に悩む。




彼女に身を捧げても一向に自分が幸せになれないと気づいたアドルフは、
急激に恋の熱狂から冷め、エレノールが疎ましく思う。



さらに父親からエレノールとの関係を叱責され、
エレノールに別れを切り出すと、嫉妬に狂った彼女はあらゆる手段で
アドルフを取り戻そうとする、が…。



アドルフのエゴイズムを嫌というほどみせつける小説。




近代フランス心理小説史上最高傑作のひとつといわれる悲劇である。
心理描写は生々しいが人工的な作品で、その後のフローベール、
スタンダールなどに受け継がれる恋愛小説のパターンの元祖を形作っている。




たとえば、アドルフを出世主義者として造形すれば、
「赤と黒」のジュリアン・ソレルになるし、
エレノールは、そのまま「感情教育」アルヌー夫人に生まれ変わる。


「ハムレットとアドルフ」とは三島由紀夫の指摘。 
どちらも今日では全世界に一般化された病的性格であると述べ、再読三読に堪える作品と激賞した。


アドルフ (新潮文庫)








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posted by 信州読書会 宮澤 at 10:25| Comment(0) | TrackBack(0) | フランス文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

文壇 野坂昭如 文春文庫

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野坂昭如の含羞の文壇回顧録。副題は「吉行淳之介とその時代」とでも言おうか。
シーンは、色川武大の中央公論新人賞授賞式から始まる。


電通の早朝ブレインストーミングに、
外部スタッフとして参加し、
朝八時から、ビール2本を飲んでいる野坂昭如。
(それもそれで今やってる人がいたらカッコイイが)

『…高校生活一年で少し身につけたハッタリ術によって、いやさらに酒と黒眼
鏡で、どうにか民放を凌いできた。』


こんな具合で、いくら稼ぎがよくても放送業界の仕事に本気になれない。



一方に高校の先輩である丸谷才一や中山公男が、下情に疎いながらも、
フローベール、ソシュールの言語論など、知らない固有名詞を闘わせる世界があり、
そこで文学のとてつもない高みがあることを知り、震撼する。




ついに、民放での仕事から足を洗い、野坂は小説家の志を立て文壇への一歩を踏み出す。
その重要なきっかけとなった人物に関する記述が以下


『書いてみようと発心したのは、名前は聞いたに違いないが、すぐ念頭から
失せた、あの壇上の受賞者の影の如きの存在』


この物故者に対して野坂昭如が過剰なライバル意識を抱いていたことのわかるで興味深い一文。


まだ、文壇があり、文壇バーが隆盛の時代。その周辺をたむろしながら、
野坂は現代文学の双璧を三島と吉行と見極め、常にふたりの動向を追いかける。
特に吉行の人との付き合い方、言葉遣い、服装などに
小説家の典型として「筋が通った」ものを感じとり私淑する。



そして、彼らから認められるかどうかという緊張感の中で野坂は、見切り発車の創作活動を開始。
作家がお互いに、存在を見定めあう文壇の視線の厳しさが随所のエピソードに伺える。
小説家の姿勢というものについて思いをめぐらせたい人にお薦めの本。



文壇知識に疎い人にまたは興味のない人にとっては、
野坂昭如がジブリアニメ「火垂るの墓」の原作者で
「おもちゃのチャチャチャ」の作詞家であるというトリビアを証明してくれる本。



文壇 (文春文庫)




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十九歳の地図/蛇淫 他 中上健次 小学館文庫

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『ぼくは十九歳の予備校生だった。
いや、新聞配達少年だった。ぼくは希望がなかった。』


主人公の「ぼく」は、自分に折り合いのつかない少年。
寮の同室、三十過ぎの紺野は、淫売のマリアさまという
実在するかわからない娼婦の話をぼくに聴かせる。
「ぼく」は紺野をこんな心底軽蔑していて、
こんな風になるなら死んだほうがましだと思っている。
しかし紺野はぼくの心を見透かしたかのように



『三十男はきたならしいな。自分で自分を殺すなら二十五歳までだな。』


と言ってのける手ダレのダメ男。自虐的でしたたか。
だが彼は作品の重要人物だ。



「ぼく」は、みすぼらしい日常生活に堪え切れず、
配達先の気に入らない家庭を地図におとして



『松島悟太郎、この家は無印だが、発見した場所を記念して、
一家全員死刑、どのような方法で執行するかは、あとで決定することにする。』


以上のようなことをつぶやきながらの綿密にリストアップし、
イライラすると次々に脅迫電話をかける。
時には右翼と偽ったり、
東京駅に電話し、狂った兄が夜行汽車に爆弾を仕掛けたと脅す。



やがて、紺野が淫売のマリアさまから金をもらったことを自慢し、
「ぼく」は女に愛されない、紺野以下の人間だと自覚する。
いたたまれなくなってまた脅迫電話をかけ、しまいには号泣する。
別に、犯罪には手を染めない。


この小説は、 梶井基次郎の「檸檬」と同じだと思った。


現実とみすぼらしい自分とのギャップを埋めようとしたとき
檸檬の主人公は、丸善の本棚に洋書を重ねて


爆弾に見立てたレモンを置いたのだし、
「十九歳の地図」の「ぼく」は、自分を受け入れない現実への復讐のために
脅迫電話をかけまくったのだと。


ただ、「十九歳の地図」は「檸檬」に比べて、
美的なものが一切排除されているので
詩情の抑制された、陰惨な仕上がりになっている。


大江健三郎の「セブンティーン」の影響が指摘される作品だが、
案外、安岡章太郎の「悪い仲間」に近いと私は思う。
女を知っているか、知っていないかという
青春の大問題を扱っているのだ。
隣のアパートの夫婦の痴話喧嘩を「ぼく」が醜く思うのは、
そこが原因だろう。紺野はそんなこと思わない。


中上健次の習作と位置付けられる作品。
柳町光男監督で映画化された。
主演は「ゴッド・スピード・ユー!/BLACK EMPEROR 」に出ていた人。
誰だか忘れました。


十九歳の地図・蛇淫 他―中上健次選集〈11〉 (小学館文庫)







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ペスト カミュ 新潮文庫

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ノーベル賞作家あるカミュの作品。
ペストが流行し隔離された街で、医師リウーがペストに挑む作品。
いつおさまるかわからないペストと闘うリウーの勇気に共鳴してゆく仲間たち。
人びとの連帯が力強く描かれている
のだけれども。



人びとの連帯という意味では
スペインの人民戦線を描いた
マルローの「希望」(新潮世界文学 45 マルロー (45) 所収)
のほうが私には感動的だった。



ペストが意味しているものが、
不条理な暴力なのか、ドイツの占領なのか
人々の心理的不安ななのか
最後まで読んでわからず。



ただひとつ、キリスト教の代表としてあらわれた司祭パルヌーが
罪なき少年の死に立ち会って、自らの無力を認め、
「理解できないものを愛さなければならない」と思わずもらすとき、
決然として「そんあことはありません」と非難するリウーの姿は感動的だ。



宗教的確信なしに、――つまりは、人類の救済などという使命なしに
行動するリウーのような人間こそが、実存主義者だと、
カミュは「ペスト」の中で訴えたかったとみえる。


解説によると、カミュはこの作品を自身の作品の中で
最も反キリスト教的と称したそうだ。



「幸福な死 」「異邦人 」は
「自己への誠実」を実存主義に根本にすえていたが、
「ペスト」では、さらにそこへ正義への行動を通した
人びとの連帯が加えられている。
しかし、全体として散漫な印象を受ける作品だ。長い。長すぎる気がする。


戦後のフランスで熱狂的に迎えられた理由を
もはや知ることが出来ない気がする。
敢えて不遜な言い方をすれば、
時代とともに古びていく作品なのではないか。


東日本大震災の後に読むと、また違った感想がある。
日本において宗教が、人を救済しないとしたら
放射能汚染は我々にとって何を意味するのか、
『ペスト』を読みながら考えてみたい。

アマゾンで買うならこちら『ペスト (新潮文庫)』



新潮世界文学 45 マルロー (45) 王道・人間の条件・希望

希望 テルエルの山々 [VHS]




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ラベル:カミュ
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オコナー短編集 オコナー 新潮文庫

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オコナーの「川」について。


ベビーシッター、コニンさんが
あるご家庭のお坊ちゃんハリーに
洗礼を施すために川に連れて行くというお話。



聖書を引用、参考にしつつ
キリスト教の奇跡を信じる善良な人と
信仰心の失われた現代の
埋めがたい溝をグロテスクなユーモアで書いた作品。



ハリーという坊やは、コニンさんにペヴェルと
名前を偽るクレヨンしんちゃんみたいな子。



この子は聖書の一説に従って、コニンさんの家を豚にがす。
この子をいじめる、コニンさんの三人の息子が、
カフカの作品に出てくるいたずら好きな脇役に似ている。


フラナリー・オコナー全短篇〈上〉 (ちくま文庫)

フラナリー・オコナー全短篇〈下〉 (ちくま文庫)



以下余談で、最近気がついた話です。


2006年に村上春樹が受賞した、オコナー賞というのは
フランク・オコナーというアイルランドの作家の業績を
記念して作られた、国際短編賞です。




なので、フラナリー・オコナーとは別人です。


フランク・オコナーは、岩波文庫から短編集出ています。







実は、調べていて分かったのですが
フランク・オコナーは、リバータリアリズムの始祖である
アイン・ランドの旦那です。


アイン・ランドは、FRB元議長のアラン・グリーンスパンが
『思想的母』と仰いだ女性作家だそうです。



1998年のランダムハウス/モダンライブラリーの
「アメリカの一般読者が選んだ20世紀の小説ベスト100」には、
『肩をすくめるアトラス』が第一位、『水源』が第二位に選ばれています。


日本では、最近知名度が上がってきました。
アインランドは、アメリカで非常によく読まれているそうです。



日本では、2000年代にようやく邦訳が出ました。
副島隆彦さんや藤森かよこさんがが熱心に紹介しています。


水源―The Fountainhead




肩をすくめるアトラス


リバータリアリズムは、アメリカで熱心な支持者のいる思想です。

ネオコンとは真逆の、民衆思想です。


クリントイーストウッドの映画作品が、
リバータリアリズムの影響の元に製作されていると
副島隆彦さんが指摘しています。



私も時間があれば読んでみたいで紹介したいと思います。



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posted by 信州読書会 宮澤 at 10:15| Comment(0) | TrackBack(0) | キリスト教文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

欲望という名の電車 T・ウイリアムズ 新潮文庫

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ある日、妹ステラ住む小さなアパートに、姉のブランチがやって来る。
この姉妹はアメリカ南部ベルリーヴの大農園に生まれた。
実家はすでに競売にかけられ、なくなっている。


品のいいお嬢様のまま、ブランチはステラのアパートに身を寄せる。
ステラの夫スタンリーは、欧州大戦では将校だったが、現在は工場に勤める労働者。
突然やって来たブランチの上品ぶったわがままぶりが気に喰わない。
そしてとうとう、ブランチの常軌を逸した言動の原因を暴く。
ブランチの嘘は、陰惨な過去から生まれたものであった。





南部没落貴族の運命の悲惨を描いた作品。
これは、フォークナーの作品世界の主題にもつながる。




ブランチが過去にうけた心の傷から逃げだすために
貴婦人を装う精一杯の演技や
出身階級の誇りと潔白を守るための様々な作り話を続ける。
これが、ブランチに思いを寄せるミッチを魅了し
そして彼をズタズタに傷つけ、辱める。



妹のステラにさえ疎まれたと感づいた彼女が
自分から街を出て行くことを告げるシーンは
涙なしにはよめない。



過去に恋愛で取り返しのつかない心の傷を受けた人は
ブランチに同情と共感の涙を流しながら読める作品。


そうでない人は、スタンリーの荒々しい男気を愉しんで読んで下さい。

amazonで買うならこちら『欲望という名の電車 (新潮文庫)』




エリア・カザン監督の映画もすばらしい。





マーロン・ブランドもビビアン・リーもハマリ役。
映画版はヘイズコードのせいで原作のエグみがなくなっているので、
まず原作を読んでみて下さい。



エリア・カザン自伝に、ブランド、ウィリアムズの
興味深い逸話が垣間見える


エリア・カザン自伝〈上〉


エリア・カザン自伝〈下〉






上記の本は『欲望という名の電車』を
政治思想映画として解読している
ソエジーこと副島隆彦先生の映画評論です。


この映画を評論しながら
アメリカ下層白人社会の分析を
行っています。


私はこの本から
アメリカ南部の歴史的な政治思想とは
まったく別個のアメリカ下層白人社会の
内部的な対立があることを
教わりました。



こちらは、フォークナーやスタインベックなどの
描いているアメリカ南部の闇とは別の問題です。

蓮實重彦の映画評論よりよっぽどためになります。


オススメです。

アメリカの秘密―ハリウッド政治映画を読む (オルタブックス)



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posted by 信州読書会 宮澤 at 10:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今年の秋 正宗白鳥 中公文庫

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今年の秋 (中公文庫 A 139)



オコナーの短編集を読みながら、正宗白鳥の文体を思い出した。
どちらも文体に力強い確信がある。
逡巡や曖昧さがなくて、彫刻のような輪郭の清明をもった文体だ。
どちらも敬虔なキリスト教徒で、死ぬまで聖書を手放さない人間である。




『私は精神的な目的を信じない者ではない。また、漠然と信ずるものでもない。
私はキリスト教の正統的立場から物を見る。
私にとっては人生の意味はキリスト教による私たちの救済に中心を持ち、
私は世界の中で物を見るとき、このこととの関連において見る』



とオコナーは言う。


「今年の秋」は小説とも随筆とも評論ともいえない二十三篇から成り立っている。


父の死を扱った「今年の春」では、死にそうで死なない病床の父を描いた短編だ。
苦しむ父が、長男の嫁に最期の力で、東京に帰るのかと尋ね、
「帰っちゃならんぞ。ええか。この家にいるんだぞ。」と強く忠告する
末期にいたって、家の心配をする。
もうすでに、死を恐れていない人間を描いている。


これは白鳥が、オコナーと同様に、
人生の意味をキリスト教との関連において捉えていからだ。
父の死が、聖書に描かれたキリストの死と同じように必然的に扱われている。
感傷の入り込む余地がない。
そういう意味で私にショックを与えてくれた作品だ。
作品より人間が先行している正宗白鳥だが、その魅力を伝えるものとしてお薦めは以下。


「正宗白鳥と珈琲」 (同時代の作家たち  広津和郎 岩波文庫 に所収) 
「白鳥の死」    (楢山節考  深沢七郎 新潮文庫 に所収)
「白鳥の精神」   (小林秀雄対談集 講談社文芸文庫 に所収)


白鳥の人柄の温かさがうかがえる。
特に、私は広津和郎を喫茶店で「ここだ、ここだ、広津君!!」と呼びとめる白鳥の話に笑った。
実は、気難しそうにじっと、広津和郎を待っていた白鳥の含羞が目に浮かぶ。







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posted by 信州読書会 宮澤 at 10:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

魚雷艇学生 島尾敏雄 新潮文庫

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海軍兵科予備学生の島尾敏雄が、
終戦までの二年間訓練をうけて
遂には、人間魚雷の特攻隊隊長になるまでの
顛末を描いた小説。魚雷艇学生


学生気分の抜けきらぬまま入隊し
軍隊の中で逆説的に人間関係と世間での
処世術を学んでしまう悲哀がユーモアとともに描かれている。



実用性に乏しい体力作りのためだけの訓練や
軍隊秩序維持のために行使される
修正という名の上官の理不尽な暴力
個人的な意見は一切抑圧された非人間的なの愚劣な日々を
予感と不安と体験と習慣というローテーションで甘受した先に
待ち構えていたものは特攻隊隊長への任命だった。



目前に迫った「死」を精神的動揺としてではなく
捉えがたい観念としてもてあましてしまうあたりに
異様なリアリティーが輝いている。


特攻隊になったとたん、怠惰に傾いていく主人公の感情は
意図せざる反戦的態度だ。



この小説はあらゆるエピソードが凝縮されていて圧倒されるが
第七章「基地で」に最も興味深いエピソードが現われる。


基地進出に当たってささやかな壮行会が特攻隊幹部で料亭にて催される。
宴もたけなわになる頃、突然隣の部屋から海軍下士官の一群が乱入し
「特攻隊が何だ、自分たちも何々だ」といいながら殴りかかり乱闘騒ぎになる。



特攻隊への反感感情の爆発という小事件であり、
死を目前にした特攻隊員にこんな仕打ちがあったのかと
当時における特攻隊崇拝の熱狂的な雰囲気を勝手に想像していた
私に鮮やかな一撃をくらわせた印象的なエピソードだ。


だが、私はこのエピソードを読んで、ある直感に撃たれた。


このエピソードだけは、島尾敏雄の創作なんじゃねえか?
という直感である。しかし、証明する手立てはない。
ないとは、いえないが、その前にも料亭での修正のエピソードがある。



私の直感や洞察力をいたずらに誇示したいわけでなくて、
たぶん、こういう肝心なエピソードに島尾敏雄の想像力が入らないかぎり
凡百の個人的な感傷の枠内の戦争体験談と変わらないと思う。



つまり、敢えて小説にしたというのは、島尾の深い企みがあるはずだと信じる。
感傷の泥沼に筆をとられることなく「魚雷艇学生」を書き継ぐには、
そこに想像力の自由が働く豊饒な余白があったからではないのか。



島尾敏雄というのは、そういう剣呑な作家だと私は勝手に確信している。
「死の棘日記」を私は未読だが「死の棘」にはずいぶん創作があると仄聞する。



島尾の作品内部に表れる繊細な感受性には、常に舌を巻きつつも
それだけが取り柄の作家だとしたら、あんなに惹きつけられないはずだ。
大胆な嘘をつく作家であって欲しいと願うのは贅沢な感傷であろうか。



ふつうだったらあんな草食動物が反芻しているみたいな人の作品惹かれないよ。
島尾のユーモアというのは、案外、グロテスクな想像力に根ざしてるんじゃないかな。
いや、そうあってほしい。



特攻隊隊員に殴られて鼻血だらけになった島尾のシャツが、
翌日きれいに拭い取られているというのは華麗な嘘のほころびかも。


島尾の想像力というものを考えながら読んで欲しい作品だ。
もちろん戦争の記録としても充分感興はあるけれども。
魚雷艇学生 (新潮文庫)


続編は「出孤島記 」「出発は遂に訪れず 」
この辺は文体も違って別作品のような印象がある。






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ラベル: 島尾敏雄
posted by 信州読書会 宮澤 at 10:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あぶく銭師たちよ! 昭和虚人伝 佐野眞一 ちくま文庫

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「プチプチプチプチプチシルマ〜♪」ってご存知だろうか。
ゴールデンのCMで志村けんと研ナオコが出てるやつです。


あれっておもいきりネットワークビジネス、つまりマルチ商法まがいです。
最近はちらほら店頭販売してるけど、2年前ぐらいは一切店頭販売してなくて
怪しい個人代理店を通して50粒20000円とか、そんな感じの法外な値段で取引されてた。
以前に、私はプチシルマ体験会に連れて行かれて、ひどい目にあった経験がある。



体験会とは名ばかり、ベンツやシーマが並ぶ郊外の掘っ立て小屋で
ホストみたいなチャラいギャル男がサクラでいっぱいの異様な会場内。
「今日は新規3名です」ってひきこもりの学生みたいな人が無理矢理連れてこられてて
サクラの野郎が演じるインチキな体験談や与太話をえんえん聴かされていた。



例えば、ゲルマニウムのネックレスを巻いたレモンが半年腐らないよ、とか
体の重心が安定して血流がよくなるとか、胡散臭い実演を交えて説明され
挙句の果て、プチシルマの原料であるゲルマニウムの宝飾品を買わされて
さらに、お友達にも売るとお金が一杯入ってくるよという
ネットワークビジネスの勧誘で終わる。
これでは私は、去年1千万稼ぎましたよ! とギラギラした顔でおっさんが説得してきた。
彼がラスベガスで豪遊している写真まで見せられたので、走って逃げました。泣きながら・°・(ノД`)・°・


この体験会で最初に観せられたのが、「ズバリいうわよ!」で放映された


細木数子と渡哲也のトークである。
渡が最近ゲルマニウムブレスレットをつけたら体調がいいと、
細木に勧め、「私も欲しい〜どこで売ってンの」と細木が応えるシーンのビデオ。
番組進行に何の関係もなく、広告的ヤラセとしか思われない一連のやり取りだが、
これが志村のCMとともに、体験会でゲルマニウムの効用の権威付けに使用されていた。


さて、昨今の細木ブームとその後を追う週刊誌の細木バッシング
その先鞭をつけたのが御大、佐野眞一の「あぶく銭師たちよ!」である。


実際、初期の細木バッシングが週刊文春で掲載されたときに引用されたのは
本書所収の「大殺界の怪女・細木数子の乱調」というレポートだ。
これは初出が1987年8月号の文藝春秋なので、かなり早い時期の取材だ。



細木の生い立ち、その家系の複雑さ、闇社会との関係、島倉千代子事件、安岡正篤事件、
墓石屋、仏壇屋との霊感商法まがいの癒着などを暴き立てていて、その筆誅は今なお新鮮。



個人的には細木が三十歳くらいの頃、詐欺紳士に騙されて
十億の借金を背負った話が面白かった。
結局、修羅場をくぐった人間の人生相談であって、彼女のは占いじゃないよ。


ゲルマニウム商法の広告塔も買って出るのだから、彼女の闇の深さは測りがたい。
現在のTVの持ち上げようは罪深い。たぶんサッチーのときより罪深い。
その裏で若者に被害者を出していることを知るべきだと思う。


「プチシルマ」の製造元である株式会社レダと細木のつながりを
暴露する記事があったら読みたいです。


いずれにせよ、私をマルチ商法から守ってくれた一冊なのでお薦め。



あぶく銭師たちよ!―昭和虚人伝 (ちくま文庫)




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posted by 信州読書会 宮澤 at 10:08| Comment(0) | TrackBack(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

海辺のカフカ 村上春樹 新潮文庫

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カフカという少年が、「父を殺し、母と姉を交わる」という父の予言から抗うために旅に出る話と
少年時代に戦争中疎開先で一切の記憶を失ない、文盲となり、
星野青年と旅に出る中田さんという老人の話がパラレルに語られ最後に集束する作品。


村上春樹の作品は、私は半分くらいしか読んでない。
重要な作品である「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」「ねじまき鳥クロニクル」は
途中で挫折した経験がある。
しかし、「国境の南 太陽の西」は一気に読んだ。
これだけ、毀誉褒貶の喧しい作家もいないが、私にとって一番の問題は


登場人物の関係がフラットで、セックスや恋愛を通して描いた人間関係はともかく、
それ以外の人間関係を描いた部分に厚みがなかったり、
魅力がなかったりするところだろう。そこがいつもネックになる。



その点で「海辺のカフカ」はソフォクレスのオイディプス王を下敷きにしているとはいえ
なんとか家族関係を描こうとしているので、新鮮だった。
それ以上に新鮮だったのは星野青年と中田老人の関係を見事に描いたことだ。



それにしても、様々な作品が引用される。
マクベス、坑夫、流刑地にて、大人は判ってくれない、源氏物語、菊花の約、ヘーゲルetc.
その他、登場人物の聴くロックやクラシックのナンバー。


これら以外で、私が参考、引用しているなと思った作品名を挙げたい。



まず構成だが、「世界の終り」と同じパラレルストーリーは、
フォークナーの「野生の棕櫚」を思い出させた。


少年が森に行って背の高い兵隊と低い兵隊に出会うのも
「野生の棕櫚」の脱獄囚の話を思い出させる。



少年が森に入って、持ち物を捨てて、森に溶け込むのは、
フォークナーの「熊」に同じ場面がある。


四国の森は大江健三郎の「万延元年のフットボール」以降の諸作品。



中田さんが会話する「入り口石」 その沈黙する石は、
パウル・ツェランの「ことばの柵」所収の「ストレッタ」のテーマ。


ユダヤ人強制収容所アウシュビッツの入り口の白い石。
佐伯さんが落雷にあった人のインタビューをまとめた本を出版したのは
「アンダーグラウンド」を書いた作者自身の体験を織り込んだもの。



勝手な推量だが、創作において以上の点は参考引用にされているのではないかと思う。



そもそもオイディプス王のテーマが中心テーマにして、これだけの作品を引用し作品世界を創造し、
なおかつ、少年犯罪や猫殺し、集団ヒステリーなどキッチュな話題も交え、
神話の予言を変則的な形で成就させて小説を終わらせた手腕は巧みだと思う。



私が、特にこの作品で楽しかったのは、星野青年が出ている章だった。
カフカ少年の話は教養小説(主人公の成長の物語)として読めないが、
星野青年だけは確実に小説内で成長してゆくので、
ここだけは教養小説的な読み応えがあった。
この脇役に読了したこれまでの村上作品で感じたことのない親近感と興奮をおぼえた。



オイディプス王のテーマが入っているので、
最初から都合のいいファンタジーが物語の展開上入ってくるのは止むを得ないが、
必然性のないセックスが適当に織り交ぜられるのは、
いつもの村上作品にも感じるが下世話な感じがした。
疎開先の女教師のヒステリーの原因とか、書く必要ないんじゃないかと思う。


それでも、星野青年以外の登場人物は全くもって好きではないが、
構成的には読ませるし、先を読みたいと思わせてくれるだけで
幸せな読書体験が得られるお薦めの作品だ。

野生の棕櫚 (新潮文庫)

万延元年のフットボール (講談社文芸文庫)

熊 他三篇 (岩波文庫)

パウル・ツェラン詩集



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posted by 信州読書会 宮澤 at 10:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

予告された殺人の記録 G・ガルシア=マルケス 新潮文庫

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バヤルド・サン・ロマンとアンヘラ・ビカリオの結婚が前日でキャンセルになる。
理由はアンヘラが処女ではなかったからだ。
彼女の双子の兄は、妹と家名を辱められたとして、
サンティアゴ・ナサールを殺す決意をする。
その殺人は、街のすべての人に予告されていたが、白昼堂々とナサールは殺される。


街中の人々の証言で、この不思議な事件の真相が明らかになる。
実際にナサールが、アンヘラの処女を奪ったかどうかもわからないのだ。
真実が迷宮入りする中で、この街の土着的な風習や文化も明らかになる。


その後のバヤルドの失意の人生が綴られ、アンヘラは彼に手紙を送りつづける。
はたして、彼は再びアンヘラを迎えに来る。


彼女から受け取ったが、封の切っていない2千通の手紙を持って。
(この部分のエピソードが唯一面白かった。)


五部構成となり、モザイクの如く入り組んだ複雑な小説で、
実際の事件を元にしたルポタージュ的な作品である。


マルケスの作品では、短くて読みやすいのでお薦め。

アマゾンで買うならこちら『予告された殺人の記録 (新潮文庫)』


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posted by 信州読書会 宮澤 at 10:04| Comment(0) | TrackBack(0) | ラテンアメリカ文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

サド公爵夫人・わが友ヒットラー 三島由紀夫 新潮文庫

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「サド公爵夫人」について
澁澤龍彦の「サド公爵の生涯」中公文庫に刺激されて書き上げられた戯曲。
サドが出てこないというミステリー仕立てで読ませる。




「わが友ヒットラー」について
ヒットラーのレーム事件を題材にした戯曲。
国民の支持を、幻の中道政治にとって取り付け、
そこから国家総動員体制に象徴されるファシズムを剔抉するためには、
極右分子突撃隊のレームと、党内左派シュトラッサーを粛清しなければならなかった。


死の商人クルップが、官邸バルコニーでのヒットラーの演説を聴いてこう漏らす。


『あの人の演説は、表側から聴くよりも、裏側から聴くほうが味がある。
よいプリマ・ドンナの歌は裏側へまでひびくんだよ。』

三島事件の演説を思うと皮肉な台詞である。


戯曲中の「アドルストの鼠」の挿話は創作で、三島の面目躍如といった巧みさが光る。



「サド公爵夫人」は翻訳されヨーロッパでも広く上演されているらしい、
普遍的に受容される卓抜な構成を備えている。


amazonで買うならこちら『サド侯爵夫人・わが友ヒットラー (新潮文庫)』



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ラベル:三島由紀夫
posted by 信州読書会 宮澤 at 10:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

暗室 吉行淳之介 講談社文芸文庫

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吉行淳之介というのは短編小説やエッセイが主な作家で
私小説の枠組みを外すことがないので
長編小説は、短編の連作のようなものが多い。
作品群も人間関係の機微に関する達人いう趣があって、
エッセイに延長のみたいで
その点で、作品評価を貶める結果になっているのは残念だ。


感覚に根ざした自己規範が強い作家なので、
作品の深化があっても、転換がなかったのは確かだろう。
高度経済成長の中で文学も政治も制度化していく中で
個人の感覚を楯に、果てしない撤退作戦をしていた感じがする。



私は現在28歳なのだが、改めて「暗室」を読み返して
こういう一節に目がとまる


『たとえば、十五年前私は二十八歳で、自分がすっかり年寄りになったと感じていた。二十二歳の娘とは、不釣合いで交際する資格がないという気持ちだった』

なるほど。と思う。
身につまされる気もするが、こういう言葉に反応する姿を、人に知られたくない。
作者と心の恥部を共有しているような錯覚をおこさせる。
なので、吉行ファンが近くにいると鬱陶しいだろうなと思う。


吉行の作品を最初に読んだのは20歳くらいのときで「砂の上の植物群」だった。
文章もぎこちないし、展開もないし、低レベル作家だなというのが印象だった。
25歳くらいになってエッセイや、対談に触れる機会があり、端的にいってハマッた。
こつこつ文庫を蒐集して40冊くらい持っている。
最近は、たまにエッセイを読むくらいだ。一度読んだものでも楽しめる。



さて、話を戻して「暗室」だが、別に暗室の中の女がどうだという話ではなく、
不可解な女に惹き付けられる主人公の心の揺れがこまかく描写され、
たまに詩情のある挿話が挟まれるだけ作品だ。



「暗室」モデルの女性の暴露本が出たが、その中の吉行はグロテスクで読後感が悪い。
私は未だに気づかないが、いつか、吉行作品のいびつさを感じとれるようになりたい。

暗室 (講談社文芸文庫)



追記

35歳になってこの自分の感想文を読んでみて
恥ずかしいなあというおもいでいっぱいです。


人生というのは自分で納得できるほど単純ではないなあと
30半ばになってわかり、謙虚になりました。




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posted by 信州読書会 宮澤 at 10:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

南回帰線 ヘンリー・ミラー 講談社文芸文庫

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郵便局に勤める主人公が…とはじめようと思ったが、
あらすじはまとめることが無理なのでやめようとおもう。



どこから読んでもいいと思うし、もしかすると読まなくてもいいと思う。
セリーヌはどんな膨大な長編小説でも全部三回書き直したらしいが、
ミラーも書き直しくらいしてると思う。
何回書き直したかは知らないが、もし仮に書き直していないにしても、
読者が途中で飽きないように10分の1くらいに削ってくれたとは思う。
そういうサービス精神にあふれた作品ではなかろうか。


小説であり、日記であり、妄想であり、思想書であり、読書感想文でもある。
唯一戦争体験の話が出てこないだけであった。
ミラーは古今東西のあらゆる名作を読んでいて、
「悪霊」のイヴォルギン将軍に触れたりするところが、私の琴線を刺激する。



あとがきに人間讃歌の書とあったが、そうなのだと思う。
どんな人間に対しても同じ目線で向き合っている気はする。
日本でいえば金子光晴に近い。パリつながりで。



話は変わるが、最近題名にひかれて本谷有希子の「生きているだけで、愛」を読んだ。
この題名は、ミラーの作品にふさわしいと思う。
残念ながらこの作品は、無意識の人間讃歌ではなく
なにやら、なげやりな自己肯定に終わっているが。


煮詰まった無職の作家志望の人にお薦めの作品。


なるべく喧騒の中で読んだ方がいい。


子供が騒いでいる昼間の郊外のマクドナルドがふさわしい。
そんな環境で集中して、一日二時間くらい読めば、一週間で読了する。


読後は、うるさいガキをいとおしい眼差しで眺めることができるし、
将来への不安も一瞬まぎれる。



amazonで買うならこちら『南回帰線 (講談社文芸文庫)』



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posted by 信州読書会 宮澤 at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

老妓抄 岡本かの子 新潮文庫

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人生の酸いも甘いも噛みしめてきた老妓が、
電気工の若者、柚木を家に連れてきて
彼のやりたいと望む発明の仕事を世話してやる。


しかし、柚木は口だけ達者で手がすすまず、
老妓の養女が子供の癖に色目を使ってまとわりつくので
老妓の真意を測りかね、鬱陶しくなって家を飛び出す。
老妓はそんな柚木のわがままさも無関心であしらう余裕がある。


老いの達観に抗う女の情熱が、妄執となるギリギリを描いたエロチックな作品。 



永井荷風の世界を、老妓の視点で描いた傑作。
あるいは、長回ししない溝口健二の映画みたいだ。


下世話に言えば、細木数子がタッキーに何されても許すみたいな話。
隙のない技巧的な文章で、老境の頽廃が優美に描かれている。
人間の毒気に当てられたい人にお薦め。

amazonで買うならこちら『老妓抄 (新潮文庫)』



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ラベル:岡本かの子
posted by 信州読書会 宮澤 at 09:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

奇妙な旅 ドリュ・ラ・ロシェル 筑摩世界文学大系 (72)

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筑摩世界文学大系〈72〉ドリュ・ラ・ロシェル,モンテルラン,マルロー )

筑摩世界文学大系〈72〉ドリュ・ラ・ロシェル,モンテルラン,マルロー (1975年)


国書刊行会の「ジル」を読んで以来、虜になった作家が、ドリュ・ラ・ロシェル。
ファシストで対独協力云々と問題のある作家なのだが
日本の戦前の左翼転向問題と同じく
軽薄に言及できる問題でもないのでそれについてはコメントは控えたい。
独軍の捕虜だったサルトルの釈放を求めたり、マルローと仲がよかったり
ファシストのわりには情に厚いところがある。

昨夜、気になっていた「奇妙な旅」をようやく読了した。



主人公はドリュの分身 ジル。


ニヒルでいてそんなニヒルな自分を嫌悪するという
歪んだ倫理観で常に屈託している、ジル。


自分に折り合いのつかない人間、ジル。


最高にめんどくさい男、ジル。


そのジルが、ベアトリックスというお嬢様の気を散々惹いておいてすべて投げ出すという話。
会話がとにかく秀逸で、ジルはしびれるセリフを景気よく連発してくれる。



がしかし、「ジル」のほうが政治問題、宗教問題に深くコミットしている上に
恐ろしいほどグロテスクなブルジョアの退廃が描かれているので
それに比べてしまうと「奇妙な旅」は物足りない。

ハードボイルドが好きな人にはお薦め。


1945:もうひとつのフランス 1ー上 ジル 上


1945:もうひとつのフランス 1ー下 ジル 下


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小泉政権 −非情の歳月 佐野眞一 文春文庫

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足で稼ぐノンフィクション作家、佐野真一が小泉純一郎の周辺に迫った書。
飯島秘書官、田中真紀子、姉の小泉信子という小泉前総理を支えた人々の新事実が明らかになる。


飯島秘書官の不遇な生い立ち、
立花隆の「政治と情念 」にも触れられていない
田中真紀子の周辺情報、自民党離党後の近況、地元での評判
そして、マスコミに決して姿を現さない「奥の院」小泉信子と小泉を支える「女系一家」の実態が明らかにされている。


特に小泉の一番上の姉道子の夫、義兄竹本公輔に関する事実はスリリング。



この辺はほとんど探偵小説みたいな感じだ。
とにかく周辺人物をすべて取材にまわるというドブ板的手法が佐野作品の魅力だろう。
ただ、佐野氏自身が、取材相手に感情移入しそうになる手前で、
踏みとどまるという、一連の逡巡もいいかげんお約束になってきたと感じる。
(あと佐野氏が、異形※武田泰淳とか婦系図※泉鏡花とか、
純文学作品を連想させる惹句を仰々しく連発するのも、ちょっと飽きてきた。)


飯島秘書官以外は、本人へのインタビューがないというのも
小泉政権の救いがたい暗部を示唆していて気味が悪い。



追記
この感想書いて7年経ちました。
もっといろいろな政治的真実を知りました。


佐野眞一のノンフィクションはもう読まないけど、
書けるギリギリのラインで仕事するっていうのはつらいですね。

書店で買えるノンフィクションなんか全部つまらないですよ。
買うだけ無駄です。

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posted by 信州読書会 宮澤 at 09:54| Comment(0) | TrackBack(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

異形の者 武田泰淳 中央公論社日本の文学67

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日本の文学〈第67〉武田泰淳 (1967年)


他力本願の一宗派の僧侶となるべく、出家した主人公の加行生活の話。
主人公は左翼運動体験者であり、運動に敗れて実家の寺を継ぐため出家する。
裕福な寺で生まれただけで、加行も融通が利くという矛盾や
止みがたい女への煩悩からの愚行、衆僧を示嗾してのハンスト決行など、
出家したとしても寺もひとつの世間でしかない現実が描かれている。


主人公は、穴山という衆僧とささいなことから決闘になる。
その決闘を前にして、本堂の阿弥陀如来に心の中で語りかける。



『あなたは人間でもない。神でもない。気味のわるいその物なのだ。
そしてその物であること、その物でありうる秘密を俺たちに語りはしないのだ』



現代で出家するという意味はなんなのか、問うた作品だと思う。



武田泰淳は浄土宗の裕福な寺に生まれた。
彼自身の加行体験も投影されているのだろうが、
禅宗のような厳しい修行がないので、出家ってこんなものなのかと疑問に思った。


「食う寝る坐る永平寺修行記 」野々村馨 新潮文庫を読むと
曹洞宗の修行の基本は、蹴る殴るの指導と飢え、ひたすらな座禅と描かれている。


禅宗と比べても仕方ないが、禅宗が内省から無にいたる単純な過程だとすれば、
浄土宗は来世の地獄極楽まで因果を含んでいるの厄介だなというのが感想。


現世は地獄か極楽か悩む人にお薦め。
読んでもなにも答えは出ないが、
悩むこと自体のリアリティーを幽かに教えてくれる。







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posted by 信州読書会 宮澤 at 09:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

おまんが紅・接木の台・雪女 和田芳恵 講談社文芸文庫

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「接木の台」は、老年の主人公がかつて不倫関係を持った女と電車で出会うという小品。


作者の和田芳恵は徳田秋声に傾倒しており、
「接木の台」は、秋声の私小説のようなとりとめのない叙述が印象的だ。
中年の恋愛というのが古傷を舐めまわすような、
居心地の悪い痛みをしんみり噛み締める類のものあることがわかる。


私が最初に読んだ和田作品は「おまんが紅」で、これは名品だと思った。
新聞記者と田舎から出てきたばかりの春駒という名の娼婦との恋愛話だった。


男の穿いていたズボンを寝圧しするために、春駒がたたんで蒲団の下に敷くのだが、
折り目が前ではなく横についてしまって恥をかくという挿話が、
ふたりの関係が深まるきっかけになっていた。



「接木の台」も、ふたりが初めて一夜をともにした夜に
女がズボンを寝圧しするために、
主人公が脱いだズボンからベルトをはずし、
ポケットから財布を取り出した光景を
しみじみ思い出すところから
一挙に主人公の回想が始まる。
そのあたりに、私小説的な結構の緩さがあるにもかかわらず読ませてしまう切迫感を感じる。


ズボンの寝圧しというのが、女性のまごころであることが判る作品。



おまんが紅・接木の台・雪女 (講談社文芸文庫)

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ラベル:和田芳恵
posted by 信州読書会 宮澤 at 09:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

梶原一騎伝 斎藤貴男 文春文庫

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『巨人の星』『あしたのジョー』の原作者である梶原一騎の評伝。


私が梶原作品で読んだのは『プロレス・スーパースター列伝』
高校生の頃、復刊した『あしたのジョー』友人に薦められて読んだくらいである。


80年代の新日本プロレスはビデオで出た物しか観ていないので、
当時の熱狂はおぼろげにしか知らないが、
3歳の頃タイガーマスクが引退したのは大事件だったのでおぼえている。


『あしたのジョー』は非常に感銘を受けたが、今は読み返す気はしない。
しかし、スランプ時代の手塚治虫が
『あしたのジョー』の何が面白いのか教えてくれと悩んだそうな。


漫画原作という、作家としては評価されずらい仕事に鬱屈を抱きながらも
スポ根ものというジャンルを築き上げ、少年の心を鷲掴みにしたものの
様々なスキャンダルにまみれて不遇の人生を終えた梶原の人生が痛々しい。


感化院で過ごした幼年時代、大山倍達との確執、猪木監禁事件、家族との秘話など
波乱万丈の人生とともに、少年雑誌や格闘技、映画の同時代史も語られていて面白かった。


三島由紀夫に代表される純文学の世界に憧れながらも、
現代でいうサブカルチャーの礎となる仕事しか
残せなかった男の屈託した実像に迫れる一冊。


少なくとも『男の星座』は機会があったら読んでみようと思った。
ちなみに少年漫画雑誌の歴史という点で
「さらば、わが青春の『少年ジャンプ』 」西村繁男 幻冬舎文庫もお薦め。



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posted by 信州読書会 宮澤 at 09:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 評伝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

珍品堂主人 井伏鱒二 中公文庫

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学校の先生崩れの骨董愛好家、珍品堂(57歳)の
骨董をめぐる悲喜こもごもの人間模様を描いた傑作。


骨董愛好家達のめんどうなやりとりだけの話だったらつまらない。
実際、そんなチマチマした好事家のための小説ではない。


白眉は珍品堂が、金主を見つけて「途上園」という
会員制高級料亭を経営する顛末で、そこがめっぽう面白い。


九谷という金主を掴まえた珍品堂は
蘭々女という審美眼から性癖にいたるまで一筋縄で行かない
茶の湯のお師匠さんをコンサルに迎え、開業準備する。
女中教育を按配するくだりなどは
料亭経営のいろはを指南してくれて興味深い。



蘭々女の経営指南はこんな感じ。

『…総じてお客というものは、割合に女中の後姿に風情を感じるものである。ことに、旧式の大宴会の場合にはそうである。その風情を身につけさすには彼女たちを合宿させるのに限るのだ。女ばかりが一つ屋根の下で寝起きしていると、お客のいやらしさも、むさくるしさも、つい懐かしくなって夕方が来るのを待ちかねるようになる』


とにかく、水商売の肝要を委細尽くした女史なのだ。
彼女のおかげと珍品堂の美食センスで店は大繁盛。
だが、珍品堂と蘭々女の間に確執が走り、珍品堂は「途上園」を追っ払われる。



作中、小林秀雄をモデルとした来宮という大学の先生が出てくる。
彼が、ラストで珍品堂の窮地を救い、話は終わるのだが、
珍品堂の逆上を、「鮎の友釣」の話で治めるくだりも気が利いている。


井伏はやっぱり手練だな、と私を嘆息せしめた作品。
骨董文学としても読めるが、それより料亭文学としてお薦め。


登場人物のモデルが知りたい。


珍品堂主人 (中公文庫)


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ラベル:井伏鱒二
posted by 信州読書会 宮澤 at 09:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本文学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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